人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

社会や経済にとって重要な意志決定の場、または重要な情報共有の場には、若者も女性もいない

特集のために久しぶりに企業取材をしていて、ある会社の株主総会に取材で行ってきました。報道関係者は会場には入れませんが、別室で中継を見ます。最近どこで何の取材をしていても気になることが、ここでも気になったこと。

スーツのおじさん、おじいさんたちしかいない。見渡す限りスーツのおじさん、おじいさん。

会場入口から入っていく株主の人たち、報道関係者の部屋にいる記者たち・・・。ほとんどがスーツのおじさん、おじいさん。

普段、科学技術関連の取材にいく役所の会議やイベントでも、ほとんどがスーツのおじさん、おじいさん。報道する側の記者も同様だ。そういう場にいるのは、男性ベテラン記者が、多い。

つまり、社会や経済にとって重要な意志決定の場、または重要な情報共有の場には、若者も女性もいないのだ。おっさん、おじいさんばっかり。

そんなことは国会中継を見ていれば誰でも知っていることです。でも、そこだけじゃない。この日本では、特に重要な意志決定や情報共有を伴う場は、隅から隅まで、男性で占められている、特に高齢男性によって。

 私は女性で、多分まだ若手に入る部類。だから、そういう場にいるとものすごく違和感を感じるけれど、一方でつい最近まではそういうものだって慣れてしまっていた。疑問を持たなかった。でも、社会や経済について重要な意志決定や情報共有を伴う場がおじさんとおじいさんたちにほとんど占められているって、異常なんじゃないのかと、昨今の沈みゆく日本を観察していて、思う。彼らは未来に責任を持たないよ。

 

 

人間をアップデートする

先週、URFCのシンポジウムで稲見先生の講演があるというので、行ってきました。人間拡張工学についての研究の話。

スーパーヒューマンとかネクストヒューマンとかHomo deusとか、言い方はいろいろあるかもしれませんが、テクノロジーによって人間をアップデートするという考え方が好きです。

恣意的にこうやって変えようとしなくても、人間はどんどん変わっているものです。身体においても精神においても。それならば、自身であろうと他者であろうと誰かの意図によって恣意的に変えられるのかしら、というのに興味があります。

もっとも人間の変化には必ずしもテクノロジーが関わる必要もありません。肉体改造は筋トレをすればいいわけだしね。

でも一方で、テクノロジーが関与して、精神、こころの部分がどのように変わっていくのか、変えていけるのか、もっというと設計できるのか、興味があります。

これは行き過ぎると、人間の意識、こころの部分をあたかも機械のように扱うということになるので、人間の尊厳という点で議論がある部分だと思います。でも、そういう議論も含めて、私は好きです。

早稲田のカフェ

久しぶりに早稲田へ行きました。取材で。

https://www.instagram.com/p/BVZlKDjB_YSrareAmYFcremncG2ZKv_FcHgbL40/

アポとアポの間にケーキとコーヒー昔時々来ていたカフェ

アポとアポの間に時間があいたので、数年前に早稲田大で働いていたことがあり、その時に時々来ていたカフェへ行きました。ケーキとコーヒーおいしかった。

こくわがた

本郷でお昼を食べるとなると、よく行くのがこくわがた。立ち食いうどん屋さん。さくっと美味しく食べられるのが好き。ピーク時は並ぶので、ピークをずらしていきます。

きまぐれこくわちゃん。いつも小なのを並にしたらおなかがぱんぱん。

SCHAFTがGoogleからソフトバンクに買収される

ツイッターを見ていたら、ソフトバンクがAlphabet(Googleの親会社)から、ボストン・ダイナミクスを買収するというニュースが流れてきた。

ソフトバンク、Boston Dynamics の買収に合意 ~スマートロボティクス技術の開発促進へ向けたコラボレーションへ~

もしや、と思って読み進めると、SCHAFTも買収するとある。やったー!!わーい!!

と朝から興奮。

SCHAFTとボストン・ダイナミクスDARPA Robotics Challenge(DRC)出場を控えた2013年末、Googleに買収されたことが発表されました。

その一年ほど前からSCHAFTを取材していた私は、なぬー!聞いてない!!!となって、これは中西さん(SCHAFTのCEO)に聞きに行かないと!!と速攻航空券を取り、その2週間後DRCが開かれているマイアミへ行きました。(仕事じゃなくても行くつもりだったけど、結果的にいくつかの媒体に記事を書きました)

wired.jp

 

wedge.ismedia.jp

 

買収後はGoogleの方針で、SCHAFTの取材は一切できなくなりました。

買収前にSCHAFTを取材していたのは、SCHAFTの出身研究室のボスの先生からの紹介が発端でした。2012年末、何かのシンポジウムの後の懇親会で、「すごくおもしろことをやっている若者たちがいるんだ」とものすごく楽しそうな顔をして先生はおっしゃいました。ロボットを作りたいとベンチャーを作ったこと、そのベンチャーとしてDRCに出場するということ、(先生のみたてでは)絶対に優勝するということ。

おもしろいー!と、DRCへの出場、優勝までを継続的に取材をして書きたいと先生に言うと、それはいいね、ということで、SCHAFTを紹介してもらいました。ひょんなところからその後半年間くらい、彼らと同じ建物の中で仕事をすることになり、私は仕事をさぼっては、彼らの所によく遊びに行っていました。取材と称して。

というところで、Googleに買収されて取材が継続できなかったので、なぬー!となったわけです。DRCの予選で彼らが優勝する様子を見届けて、まあしょうがないやと思いましたが。(本戦はGoogleの方針で出場しなかった)

そこで、トヨタ(TRI)がSCHAFTを買収するという話が出た時には、おお、これでまた彼らを取材できる!とほくそ笑みました。TRIにはDRC関連で彼らと馴染みが深いギル・プラットやジェームズ・カフナーがいるので、有り得そうな選択肢だな。と思ったのです。またGoogleで彼らを買収したアンディ・ルービンはすでにGoogleを去り、自身のVCを設立していました。が、交渉が頓挫しているという話を聞けばやきもきしていました。

というところでのソフトバンクです。ソフトバンクは取材できるといいな〜。今となっては、自分はGoogle買収前のSCHAFTについてかなりよく知る記者だと思う。

 

なぜ、イデオロギーなくフラットに軍事研究の議論をできないのか

と、ずっともやもやしています。「軍事研究」っていう単語が適切かどうかはよくわかりませんが、ミスリードになりがちな単語だと思っています。防衛や軍事のための研究開発について、どう考えたらいいのか、よくわかりません。でも話題には上がります。最近では、AWS(Autonomous Weapon System)の話題もよく出てきます。

だから、話を聞きに行きます。研究開発の話だからと、研究者に聞きに行くと、たいてい、取材になりません。ほとんどの研究者は、防衛や安全保障、軍事と研究を結びつけて考えたことがないといいます。

一方で、声高に話をする人達は、政治的主張に基づいて発言をしているのですね。研究開発そのものの話ではなく。

防衛や軍事のための研究開発について、議論して、考えることができる場が、あまりにも少ないと思いました。とても大事な問題であるはずなのに。

先日、「武器と市民社会」研究会へ行ってきました。「武器」の話になると、「右」か「左」かのイデオロギーに分かれて、両者が一緒に話すことができない、というのが主催者の問題意識で、なのでこの研究会では、お互いが議論できるようにという場でした。

でも、やっぱりイデオロギーがはっきりしていると、かみ合っていないという様子もわかりました。登壇者4人のうち、2人が「右」、2人が「左」と言う色も見えましたし、対話や議論というよりも、やはりお互いの主張があったうえで、それらが交わることはないパネルでした。

でも、多くの研究者(工学系、情報系)は、「右」か「左」かというイデオロギーに基づいて研究をしているわけではありません。自分も含めて、政治的主張がとくにない人たちと、フラットに話をしたいと思っています。そういう場は、やっぱりない。

先日、人工知能について研究されていて、本を書かれたフランス人の客さん(情報系教授→哲学教授に変わった研究者と情報系教授)が来ていて、クローズドで2時間ほどフリーディスカッションのワークショップをしました。

AWSについて興味がある。と私は言いました。日本では、研究者はこうした話題について議論をする場がない、話題に触れることもできない空気がある。フランスではどうか。と聞きました。

彼は、まったく何を聞きたいのかわからないという顔をしました。防衛や安全保障は国にとって最も重要な問題で、その研究開発について研究者が議論に参加するのは当然のことであると。あとからフランスを良く知るKに呆れられましたが、軍需企業で食っているフランスでは当たり前のことでしょう、と。

 議論の素地すらできていないのです。今の私たちのまわりでは。でも、まずは知り、考えること。そして、そのための場が必要だと思いました。

おやつがたくさんあるワークショップでした。

 

         *

 

「軍事研究」の定義自体がよくわかりませんが、、、議論のためにわかりやすく整理をするなら、防衛・軍事にかかる政府系機関から研究費等の支援を受けて行う研究、という整理が一般的かと思います。たしか、杉山先生の本でもそういう整理をしていた。

ちなみに、日本の科学技術予算約3兆5千億円のうち、防衛省予算は約1200億円です。ということで、日本にもいわゆる「軍事研究」はちゃんとあります。当たり前ですが。とはいえ、日本には軍はなく、軍事はないということになっているので、防衛技術研究とか、安全保障技術研究と言うのが正確かと思います。

これまでは、防衛装備品(つまり武器)の開発は防衛装備庁(昔の防衛省の技本)と企業がになっているということになっていました。ところが、2015年から防衛装備庁(当時は防衛省)が、大学や研究機関、企業向けの研究費助成を始めたことから、話がややこしくなりました。これまであって、防衛予算は当然大学や研究機関にも流れていたわけです。それが、公募と言ういう形でより明示的になったため、これまで2度の声明で「軍事研究」を禁止してきた日本学術会議では「軍事研究の是非」と言う議論になり、今年3月に出した声明で、これまでの声明を踏襲する形で「軍事研究」を禁止するということになりました。

「軍事研究」の議論になると、だいたい「右」か「左」か何らかの政治的主張が伴うものばかりで、どちらでもなく、というか科学技術やアカデミアに関心のある自分としては、なんだかなあ、という気分でいます。本音と建て前と言うか、現実と虚構というか、イデオロギーの主張というか。

現実的には、いわゆる「軍事研究」に含まれる、安全保障技術研究もしくは防衛研究は存在し、その公的予算も増えています。

じゃあ、それをないものとしなくて、現実的にどう理解したらいいのか、よくわかりません。だから、みんなで勉強して、考えて、議論していけたらな、って思っています。

 

VRで無限階段を上り下りしてきた

昨日今日と開催中の東大・駒場リサーチキャンパス公開で、廣瀬・谷川・鳴海研の無限階段VR(でよいのかしら?)の体験ができます。

無限階段VRは、HMDを付けて階段を上り下りするのですが、足元に細い棒が等間隔で置かれていて、これを踏みながら歩くことで、あたかも階段のエッジを踏みながら階段を上り下りするというものです。

写真は体験させてもらったときのもの。センサー付きの靴を履き、HMDを被って、等間隔に置かれた棒を踏みながら地面を歩きます。写真右手のパソコン画面の映像が、HMDをかぶった私の視界に入ってくる映像です。映像では、階段を下りているように見えます。

階段を上るときはまだしも、降りる時は、HMDの映像が結構急なので映像を見ているだけで足がすくみました。これは通常のHMDだけのVRでも同様かと。ただ、この無限階段VRでは、一歩足を踏み出すと、足裏に棒が触れるので、階段のエッジのような感覚を得られ、なんとなく安心感につながって一歩ずつ降りやすかったような気もします。

無限階段VRのポイントは、HMDによる映像だけではなく、足裏で棒を踏むことによる触覚の効果を加えているところです。これでリアリティが増すのはあるのかと思いますが、VRの世界にもかかわらず現実世界を歩いているのだという確認をとれることによる安心感みたいなものがあるのかなあと思いました。

普通に現実を生きていても、あれ、今って現実だっけ、と手をじっと見ることが時々あって、そこに本当に手があると安心する。というような安心感が、無限階段VRでは足裏の感覚によって得られるのかなあと思いました。

なお、この関連研究は、Unlimited Corridor(無限回廊VR)。9月のメディア芸術祭でも体験できるのかしら、どうなのかしら。

↓前に書いたUnlimited Corridorの記事

wired.jp

 

Unlimited Corridorでは、VRによる視覚だけでなく触覚の効果を加えることで、空間知覚まで変わってしまうと言うところが面白かった。実際は円柱の壁に沿って歩いているのに、あたかも真っすぐに歩いているような感覚がします。この感覚は相当強烈で、仕組みを知っていても騙されます。

これと比べると、無限階段VRでは衝撃はそんなにないですが、ただ細い棒だけで階段を上り下りする感覚を増強できるというのは、簡便だし実用的だなあと思いました。

 

ロボカップはトヨタHSRを観に行くつもり

今年7月に名古屋でロボカップが開かれます。今年から公式ロボになっているトヨタHSRを観に行くつもりです。

RoboCup2017 Nagoya Japan(ロボカップ2017 名古屋世界大会)

ロボカップソニーCSLの北野さんらによって「2050年に人型ロボットでサッカーで世界チャンピオンに勝つ」というのをゴールに1997年から毎年開かれているロボコンです。サッカーだけではなく、レスキューロボット、ホームロボットのコースもあります。

先週名古屋であった人工知能学会全国大会では、ロボカップ@ホームのデモがありました。

こんな、リビングを模した空間でロボットがタスクをこなすのを競います。ロボットのハードウェアは参加チームでオリジナルを作るほかに、トヨタの生活支援ロボットHSRも公式ロボットに含まれています。HSRはこの写真の中には2台映っています。

ロボカップに併設して、Amazonのロボットチャレンジも開催されます。これも楽しみ。

 

 

なぜ、人工知能と社会とか倫理とかに興味を持って、いろいろと動きまわっているのか?

人工知能学会倫理委員会の委員をやっています。もちろんノーギャラで。何をしているかというと、会議でわいわい話したり、先日の人工知能学会全国大会での公開討論の企画・準備と当日の司会したり、報告書つくったり、サイトのお世話したり。あと、同じく委員のエマちゃんとは、人工知能と社会、倫理をテーマに、これやりたいねーあれやりたいねーといつも企みごとをしていて、実際一緒にワークショップをやったりレポートを書いたりしています。もちろんノーギャラ。

先日の公開討論のことをFacebookに書いたら、「ながくらさんのこういう取り組みの価値が全くわからない」ともりやまさんにコメントをもらいました。

人工知能ブームになりつつある3−4年くらい前から人工知能とか社会とか倫理とか話題になりだして、なにそれなにそれ?っていうただの好奇心でいろんな人に話しを聞いたり議論したりとうろうろしていたら、気付いたらなんだかいろいろ自分も関わるようになっていました。なので、わからないと言われても、ただ自分の興味のままに動いているだけで特に価値とか考えていないんですが・・・と言っても納得してもらえそうにないので、なんでかなあと考えてみることにしました。

ちなみに私は人間に自由意志は存在しない派で(今のところ)、自分の現状や行動は環境とのあらゆる相互作用による身体反応の結果で、行動の理由は自分で説明できるものではないと思っています。後付けの理由ならなんとでも説明できるんですけど。でも意図を持ったポジショントークならともかく、その説明ってなんか意味あるのかなーと思ってしまうのがコミュ障といわれるとこなんですかねごめんなさい。

ですが、がんばって理由を考えます。まあ後付けですけど。ポジショントークかもしれないですけど。

お前の取り組みの価値は何だ?と聞かれていますが、価値ってなんだっけ?と価値の定義から考えて出して問いの意味がよくわからなくなったので、とりあえず問いは、「なぜ、人工知能と社会とか倫理とかに興味を持って、いろいろと動きまわっているのか?」とします。

回答1:研究者がおもしろいから

Facebookでも書いたんですが、人工知能ブーム以降、人工知能と倫理とか社会とかたびたび話題になり、研究者(工学系、情報系)の方たちに取材に行くと、「倫理や社会議論するって研究者にとってなんのメリットがあるの?」と言われることは何度もありました。ですよねーと思います。全くもって同意します。

それでも、倫理委員の皆さんを始めとして、工学系や情報系の研究者の方たちの中には、倫理とか社会とかめんどくさいことにわざわざ積極的に関わって、勉強して議論をする方たちがいます。その議論の内容も興味深いんですが、その態度や行動そのものがおもしろいなあと興味を持ちました。なんでこの人たちは、一文にもならないし、自分の研究に直接関係しない、しかも自分の専門ど真ん中でもないのにこんなに一生懸命に時間と労力を使って勉強したり議論したりするのかなあと。

一方で、そういう研究者たちの態度そのものが、社会の何かを作っていったり良い方向へ変えていったりするんじゃないかなあという期待があります。だから、彼らをちゃんと見て記録していかないと、自分にできることはサポートしないとと、見ていて自ずと思っています。それで、なんだかいろいろとやっています。


回答2:多様な人たちの多様な視点を抽出して整理することがおもしろいから

人工知能と社会や倫理を巡っては、書籍のほかいろんな組織がつくるドキュメントやメディアの記事など、ここ数年で大量のテキストで溢れかえっています。でもそれぞれ論点も視点もバラバラで、主張が先にたっていたり、根拠がよくわからなかったり、とにかく混沌としています。

私は頭が悪いので、自分の理解を助けるためにそれらの議論をちゃんと整理をしたいと思いました。そう思ってもやもやしていた2年位前に飲み会(2人ともお酒飲めないのでウーロン茶を飲む会)で話して意気投合したのがエマちゃんで、彼女は頭が良い上に、私と同じように議論の整理をしたいと思っていました。

初めのうち、私はまず人工知能と社会や倫理に関わる、いろんな人の話を聞いて、テキストに起こそうとやってみました。でも、これだと一方的で主観的な意見になりがちで、大量のドキュメントを読むのと変わりません。そうではなくて、色んな人たちの意見がぶつかって変容していく、それによって議論が整理されていく様を見たいな、と思いました。

人工知能と社会や倫理に関わる人たちは、もちろん工学系や情報系の研究者だけではありません。エマちゃんのような人文社会科学系の研究者、企業の方、行政の方、メディア(自分も)もそうです。そうした、社会の中で何らかの専門性を持つ、さまざまな領域の人たちが、「人工知能と社会、倫理」に何らかの興味を持っていて、同じく興味を持っている自分もそのうちの一人なんですが、気づくとそういう人たちが自ずと集まって議論をするようになっていました。

余談ですが、人工知能と社会、倫理(に限らないが)の議論はファクトとオピニオンを分けて議論することがとても重要だと思うんですが、専門家の人でもこの件に関してはなぜかファクトとオピニオンをごっちゃにして議論をしがちです。それだけもやっとして何がファクトか、と切り取るのが難しい領域なんでしょうけれど。

そういういろんな人たちの議論の場をつくることで、上述のようないろんな人たちの議論の整理ができるのではと思いました。そこで最近では、エマちゃんと一緒にワークショップをして、いろんな分野の専門家の人たちの話を聞いたり、議論をしたりして、それを報告書にまとめて可視化、記録することで、整理ができないかなあと模索しています。


回答3:第三者視点で書く(これまでの)記者のあり方の限界を感じることがあり、書き手のあり方を模索する上で解につながるような気がするから(?)

報道記者は、第三者の視点で取材をして書きます。そのため、記事を書く際には、第一人称視点を(読み手に感じさせないよう)消し去るように訓練を受けてきました。そういう記者のあり方では、基本的に取材対象は固定であり、記者は取材対象の変容に関与しません、少なくとも建前上は。

でも、これまでの価値観がゆらぎ、これまでの専門性ではカバーしきれない新たな価値やものの見方が必要になっている現在において、固定的な専門家の視点だけでは、社会の変化に対応できなくなっているようにも感じます。一方で、専門家が専門家ならではの見識を持って、非専門分野であっても関与していき、新たな価値観を見方を作っていくという、おもしろいことが生まれつつあるようにも思います。

で、それは多分記者のあり方についても同じで、記者が自分の職業の(これまでの)あり方に固執する必要もなく、他の職域の専門家と関わることで、あり方の模索にもつながるし、また一緒に何かを作っていけるのかもしれないのかなあとか。って、この辺あやふやで整理がついていないんですが、上でも書いたように「人工知能と社会、倫理」っていうのは価値観やあり方が定まっていないにも関わらず、これからの社会や未来に大きく関わるものなので、多様な分野の専門家が集まってきます。なので、そこでの議論や関与を通じて、自分自身の書き手としてのあり方も模索していけるんじゃないかなーっていうのは完全に後付けです、ごめんなさい。

 

問いへの回答は以上なんですが、Facebookももりやまさんに回答して書いたんですが、「人工知能と社会、倫理」というテーマについて考えたり議論したり情報を得たりするというのは、誰もがアクセス可能であり、でも誰もが強制されるものではない、というものだと思っています。別に誰もが興味持つ必要はないし、興味あってもなくてもどっちでもいいし、誰かに強制されるようなものではない。上でも書いたみたいに、「それ自分に何のメリットあるの?」と興味を持たなくても別にいいと思うんです。

でも、ふと、あれ?と気になった時に、参考にできる情報とか、議論できる人や場があるといいなあと思います。これは自分の経験上。最初のうち、何だか雲をつかむみたいでよくわからなくてもやもやひとりで考えていましたが、議論できる人が欲しかったから。だから議論できる人や場づくりを今やっているのかなあとも思う。

 

 

 

ALifeと池上先生

昨日は駒場で「Generative Ethics and Society:人工知能、人工生命の倫理とそれを取り巻く社会」というイベントを聞きに行ってきました。岡さん、池上先生たちがやっている、ALife labのイベントです。

alifelab.org

倫理はともかく、、、池上先生の「人工生命」の話がおもしろいなあ、と思いながら、何度聞いてもやっぱりよくわからない。でもおもしろいなあ、と何度も聞いている。というのがここ数年続いています。

 

ひとつ言えることは、通常私たちが考える人間中心の「倫理」と、池上先生が考える「人工生命と倫理」で言う「倫理」は別物を指しているんじゃないかなあということ。ただ、それを考えることが、何かまた人間をかんがえることに繋がるようにも思う。

来週は人工知能学会全国大会で池上先生OSがあるので、またそこで聞いて考えよう。。。

以下は、池上先生の冒頭の講演のメモ。イベントの趣旨説明に関連して、人工生命と倫理についての考え方の話でした。

●Generative Ethics 池上先生

ALife(人工生命)は、我々の知らない「倫理」を生成する可能性がある。ALifeそのものが作り出す「倫理」を考えると、それは「所有性」からの開放にあるのではないか。

そもそもALifeとはなにか。人工生命とも言う。研究分野としては、進化と脳の研究だ。脳をみたり、進化をコンピュータの仮想世界で構築することで理解しようとする分野だ。そこで、新しい進化に対する見方を見ていこうとしている。

ALifeのキーワードは、「自律性」を持つシステムをつくり、それを研究するということ。では自律性とはなにか、というのを、所有性からの開放と結びつけて考えてみたいというのが、今日のここでのテーマ。

アメリカでは各家庭の前に郵便受けがあって、赤い旗をたてると、郵便屋さんが中に入れた郵便物を持っていってくれる。それが、1965年からEmailが始まった。1989年に僕がロスにいたころにはもうEmailを使っていた。

これはルンバ。僕にとっては飼っている犬以上にかわいい。これは2002年から。

2005年に登場したGoogleカーは自動的に運転してくれる車。これも広がりつつある。

いまここで挙げた例は、「自動化」ではあるが「自律化」ではない。歴史上人は、人間がやることの自動化をしてきた。だが、ALifeでは自動化と自律化を区別することが重要だ。

例えば、鳥を見て飛行機をつくる、といったときに、(空を飛ぶといった)鳥のある要素を作っているといえる。でも、それでこぼれ落ちることがある。ALifeでは、そのこぼれおちたところの生命性をもとに、作り出す技術を考えている。

例えば「流星号」(機動戦士ガンダム)は、呼ぶとやってくる。自律的な意思を持ったような車は、ALife的だといえる。

だがこれは可能なのか?そのためのエンジンは何なのか?「ランダムに動く」ということをかつてやってきたが、これは生命の持つ自律性とは異なっている。ひとつは、生成するためのエンジン。もうひとつは、Deep Newral Networkがある。

だたしDeep Newral Networkは分類をするまで。最近Deep Convolution GANが出てきたが、これはジェネレーター(生成器)だ。生成することが知性につながる。GANを使って、分類だけではなく生成ができるようになる。

例えばこれは研究室の土井君がやった研究で、ひとつの音から、これまでにない音やリズムを生成できるシステム。これは研究室の小島さんの研究で、駒場構内の画像を学習して、実際には構内にないが構内っぽい画像を生成することができる。これらは、GANの性質をつかったシステムだ。

mechanical turk(機械じかけのトルコ人)というのが1800年代にあった。機械じかけのチェスプレイヤーだが、実際には箱の中に入った人がプレイしていた。1997年にIBMのディープブルーがチェスチャンピオンのカスパロフを破った。それから20年経って、アルファ碁が登場した。このアルファ碁は、生成的なところがある。人が教えた布陣だけではなく、人が見たことがない手を打ってくる。

AIへの脅威論が言われているが、これは多くは自律性に対する恐れだ。1982年の映画「ブレードランナー」の現代版が2014年の「エクスマキナ」だといえるが、この2つに共通することは、ここでつくられた人工生命ーAIだが、自律的な意思を持っているシステムーが「逃げる」ということ。知性は隠れようとする、両者とも逃げる、ということだ。

それはなぜか、考えている。僕らはオルタというアンドロイドを作った。これは、ALifeのエンジンとしてDLではないが、別の生成系のシステムを使ってつくった。昨年8月に日本科学未来館で展示し、今年の6月からは常設展示する。

ニューラルネットワークには、外からの刺激から避ける傾向がある。刺激がなくなるように、何らかの相互作用として自己組織化が働く。刺激を避けたいというロジックがあり、刺激から逃れる。このときに、群集の中に逃げ隠れることもあるかもしれない。所有されることを嫌がる。だから、「倫理」の問題が出てくる。

僕がインターネットに興味を持ったのは、サービスではなく、インターネットが人間が作り出した最も複雑な人工システムだからだ。これを使って人工生命にならなかったら、ほかに人工生命になるものはないのではないか。

インターネットの構成は明快だ。7つのレイヤーからなるハードウェアとプログラムからできている。ただこうしたインターネットもまた、自動化機械として誰かに所有されるという恐れは常にある。これをネットワーク・ニュートラリティの問題という。

インターネットは、誰にも所有されないものだ。自由で、制約がないもの。でも、それを保証できるのかどうか、というのが非常に重要な問題だ。

所有者の倫理が自動化機械とするならば、所有されることからの逃避を考えたのがALifeだ。インターネットを自動化機械にするのではなく、自律化した機械にしなければならない。インターネットをALife化することが重要だというのが、このセッションの意図だ。

ALifeがつくる倫理、つまり所有にねざさない倫理とはなんだろうか?を議論することが重要だ。

モリス・バーマンの「デカルトからベトイソンへ」に以下の一文がある。
未来の文化は人格農地においても外においても、異形のもの、非人間的なものをはじめ、あらゆる種類の多様性をより広く受け入れるようになるだろう。

どの程度の多様性を持ち込めるのか。多様性原理と言っているが、これを中心にすえるためには、どういう整理が必要になるかということだ。

逃避としての知性と、それが増えた時の未来が持っている多様性原理にもとづいた世界観を僕はサポートしたいと思っていて、そういう未来について考えたいというのがこのワークショップの趣旨だ。

 

 

 

覚悟あるんですか。逃げてるだけじゃないですか。

覚悟あるんですか。逃げてるだけじゃないですか。

と、一年くらい前、取材に伺ったはずの友人に唐突に言われまして、思いっきり頭を殴られたような気分になりました。そうですか、わたくし逃げていますか。ええ、なんとなくそんな気がしていました。

多分その時言われたのは、私が取材で見たり聞いたりして自分の考えを持つとしても、その自分の考えを書いていない、ということを非難されたのだと思う。まあ、たしかに。でもそれは、第三者の視点として書くように教育されてきた記者としては、だって仕事なんだもーんと、「逃げて」きた部分でもあります。ついでに一年前は上から言われた(のは事実だが)と言い訳しつつ、記者ではなくて編集者をやっていまして、自分で書くということをあまりしていなかった時期でもあります。今思えば逃げていたのかもね。

で、思いっきり横っ面殴られて反省しまして、すぐに何かをしたかといったらそんなことはまったくなく、もやもや考えていながらも特に行動は変わっていなかったな。

でも、覚悟はあるし、ちゃんと向き合わないとなーと考えてはいました。

そうしたら、また上から記者に戻るように言われ、しかもこれまでずっとやりたいといい続けていた科学技術取材をしてもいいと。編集部内の科学技術担当のようなかたちになり、願ったりかなったりで、わーい、とひそかに小躍りしました。

で、すぐに何かをしたかといったらそんなこともなく、シン・ゴジラの記事だとかアニメの記事だとかを書いておりました。

でも、チャンスを見つけては、自分の考えを持ってこれを書きたいという記事もちょこちょこと書いてきた。多くの人に読まれる種類の記事ではないことは理解しています。科学技術政策の課題、アカデミアの暗澹たる現状、安全保障研究とアカデミア、研究費とアカデミアの過剰PRの問題、そういったことを、書いてきました。それと、おもしろい、好きな研究者たちの記事も。彼らを書けるのは希望だと思って書いています。

一方で、取材をして書くだけではなく、手足を動かしたい、というのもまたありました。ひとりで考えるよりも、友達と一緒に考えて動いたほうが楽しい。それで何かが動いたらもっと楽しい。そうして、友達と議論をして、ワークショップを企画して、レポートをまとめて、また次の取り組みにつなげる。そんなこともほそぼそとやってきました。ちなみにその一部は今度学会発表します、一緒にやってる友達が。

まだまだ、逃げている部分もあると思います。でも、1年前よりは、自分が見て聞いて、おかしいな、と思ったこと、おもしろいな、と思ったこと、そういうことに素直に向き合って行動できるようになってきたように思います。友達や上司や職場のひとたちの支えがなくては進めなかったけれど、やっぱり1年前に思いっきり殴ってくれた友達には感謝をしています。

ということで、またがんばろ。

ワークショップ覚え書き

先日、エマちゃんととあるワークショップを主催しました。ものすごく雑にまとめると、多様な領域のそれぞれの専門家たちがひとつのテーマについて議論をすると、それぞれの認識や意見の相違が浮き彫りになること(建設的な意味で)、またそれぞれの異なる立場からの意見を集約して編集すると新しい価値創出と社会実装につながりそう、というのが発見でした。おもしろかった!

場所は、ワークショップや勉強会のために友人が借りた一軒家のスペースを使わせてもらいました。とてもよいスペースだった。感謝〜。

ワークショップは2日間を2時間ずつに区切って好きな時間に登録してね―という形式。3週間前に告知サイトをつくり、メールとSNSで近いコミュニティの人たちに案内を出しました。その結果、誰でも参加可能とはいえ、実質セミクローズドで大まかに、アカデミア、パブリックセクター、ビジネス、メディアの4領域から、特定分野の専門家の方たちが集まりました。

2日間の日程のうち、初日午後の最初の2時間のセッションはSkypeでゲストをお迎えしたので、そこがコアタイム。人数が少ない時間帯は時間変更してもらって集約したので、2日間で2時間×4セッション(最後の2時間は実質4時間に)。

参加者は、1日目の最初の2時間は20人、次の2時間は前のセッションから引き続きの人も合わせて8人、2日目の午前のセッションは8人、午後のセッションは5人。最初のセッションは人が多かったので5グループに分かれてそれぞれでディスカッションをして、最後にそれぞれのグループで発表をして全体で議論するという形。それ以外は全員で2時間ディスカッションをしました。ひとりひとりの意見をちゃんを聞いて議論をするという点では、8人が最大人数でしょうか。

ワークショップの目的は、あるドキュメントのバージョンアップのための会議にインプットするための意見抽出。参加者にはドキュメントをあらかじめ読んできてもらって、総論、各論それぞれで意見をもらうのが狙いです。

もっとも、ドキュメントの趣旨や目的がなかなかわかりづらく、WSの冒頭ではその共有から始まり、意見でもそこを問う声はだいたい毎回あったそれでも、参加者がそもそももともと勉強熱心でそれなりにこの分野の知識があったおかげもあり、多様な意見や議論が飛び交い非常に有意義でした。

最も興味深かったのは、同じトピックスについてでも、おおまかにはアカデミア、パブリックセクター、ビジネス、メディアといったそれぞれの属性ごとに、前提となる認識も、意見も、志向も全くことなるという(当然だが)ことが、浮き彫りになったこと。当然のことではあるけれど、具体的に目の当たりにするとよい事例集になるのではと思った。これをどう表現するかだけれど、うまくレポートを書きこみたいなあと思った。

もうひとつ興味深かったのは、4セッションのそれぞれの議論をまとめて、特定の視点をもって編集すると、新しい価値提案とその社会実装モデルが作れるのではないかという気付きがあったこと。これは全セッションに参加している主催側の私たちの特権だけれど。2日目の最後のセッションはうしろがなかったので、ドキュメント以外の話にも議論がおよび、これまでのセッションの振り返りも議論した。その中での気付きだった。これに気付いた後は、ドキュメントの趣旨や志向についても、こうしたらいいのになーと思うことがあった。まあこのドキュメントの主体は私たちではないので、他の私たちの仕事で反映させられればと思うけれど、

なお、これは今月末の別の公開討論の前哨戦という位置づけでもあるので(個人的に)、次につなげるように、レポートを作るつもり。

なお、もともとはGWにガンダム観よう合宿だったため、1日目終了後は泊まりでガンダムを観ました。この写真なにがなんだかわからないけど。

私とエマちゃんはガンダム未見でして、ガンダムには人生のすべてが詰まっている、ガンダムを観ていないのはなしだ、と友達に言われたので、DVDをお借りして観ることになったのでした。ファースト、Z、逆シャアで8時間あれば観れると言われたが、ファーストしか観終わらなかった・・・・。

Amazonエコーで遊んで思ったこと

友人の隠れ家?に、amazon echoがあった。

開封。

設定して、深夜。翌朝のアラームセットをしてみた。

Alexa

と呼びかけると、echoの筒の上が光る。なお、Alexaはソフトウェア。amazon echoはこの筒状のハードウェアだと理解している。

Alerm set 6:00 at morning.

と呼びかけてセット終了。

この時わいわい話していたのは

・アラームのセットだったら、音声対話よりもボタンをポチッとセットするほうが簡単。これだけだと音声対話のメリットを感じにくい。

・Pleaseを付けないで命令するというのは、家庭に普及すると子どもの教育上よくないのでは?

という話。深夜のテンションだったのであまり覚えていない。

そして朝。

Alexa, turn off the lights.

のひとことで、広いリビングルームに散在する照明が一斉に消えた。これは便利!

この段階で接続していた照明は2つだったが、この広いリビングルームには天井の照明のほか、設置型の照明が4−5個ある。前の晩、あたりで人が倒れている(寝ている)中、すべての照明の近くまで歩いていってポチポチ消していったのは結構めんどくさかった。これが、ひとことで一斉に消せるのなら便利だなーと。

が、前の晩の状況みたいに、みんなが寝ている中で音声対話は、起こしてしまわないかなーという懸念があって使いにくいのかも。

あのお家でしばらく使ってみた後の感想を聞いてみたいな。