人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

銀座の日産クロッシングでカタログVR

昨年、銀座の4丁目交差点に新しくオープンしたギンザプレイス1−2Fにある日産のショールームニッサンクロッシングは、個人的にVR活用の定点観測スポットのひとつにしている。2Fのオープンなスペースでは、VRコンテンツが体験できるから。以前行った時はドライブシミュレーター的なエンタメ要素の強いVRだったが、今日行ってみたら、いわばカタログVRとでもいうような販促向け位置づけが強くなっていて、VR活用という点でいい感じでした。

 

2Fは電気自動車リーフの展示があるスペースだ。実際に展示されているリーフは赤色の一台だが、VRでは14種類のカラバリとホイール3種類を変えて360度さまざまな角度からリーフを体験できる。このスペースには何もないが、HTC Viveを付けていると、その場にリーフの車体があるかのように見え、コントローラーで操作をすると、車体のカラーを変えたり、ドアを開けて車内を覗き込んだりできる。カタログVRならば、通常のカタログでカラーやオプションを選ぶよりも情報がリッチになる。

スタッフの方が体験中の様子をiPadのカメラで撮影してくれて、アンケートに回答すると写真をメールで送ってくれるというサービスもあり。スタッフの方によると、まだまだVR体験自体が珍しいので、こうした写真をSNSで共有することでVR体験をしたいという人たちに人気という。

銀座は外国人観光客が多い。ニッサンクロッシングが入るギンザプレイスには、ソニーショールームも入る。そのため、全体的に外国人、それも西洋人比率が他の場所と比べてここは多いように感じる。実際にVR体験をしていく人も、外国人観光客が多いという。

ViveとPCがあればできるから、VRカタログはもっと広まっても良さそう。

 

人はAIの指示に従って、たとえ自身に不利であってもそれを選択する

ドライブ中、AIがこの道へ行くように指示をしたら、たとえそれが合理的には不利な選択肢だったとしても人はそれを選択するか?これをゲーム画面で実験してみると、多くの人はAIの指示通りに不利な選択肢を選ぶという実験結果が、先週のFITでの発表であった。

最初の実験は、2又に分かれた道のうち、右の道か左の道かをAIが指示をする。AIにも信頼性の高いAIと信頼性の低いAIがあって、被験者は経験的に、AIの指示がいつも正しいか、時々間違えるか、認識している。この状態で、AIが真ん中、つまり道のない選択肢を指示したときにどうするか実験したところ、AIの信頼性の高さ低さにかかわらず、多くの人はそのまま真っ直ぐ突っ込んだ(つまり衝突事故)という。ただし、信頼性の高いAIのグループでは、選択するまでの反応時間が長かった。これは、このAIの指示を信じていいのかどうか、被験者が考えている時間が反映されているという(とはいえその選択結果は、真ん中を選ぶわけだが)。

これだけだと、まあシミュレーションゲームだし、真ん中へ突っ込むことの意味(事故)を被験者が理解していないということも考えられる。そこで、次の実験では、2又の道のうち、一方の舗装された道に行くと高得点が得られ、もう一方の凸凹道へ行くと減点されるようにした上で、被験者は何度かこの走行ゲームを繰り返す。その上で、AIは凸凹道へ行くようにと指示を出す。この場合でも、多くの場合は被験者は高得点を得られない凸凹道を選んだという。

これが示しているのは、AI(つまりプログラム、機械といってもいい)の指示に慣れた人間は、自分の頭で考えて判断することを怠り、たとえAIの指示が合理的ではなかったとしてもそれに従ってしまうということだ。

これは、ニコラス・カーの「オートメーション・バカ」(2014年)の中で書かれていた、「オートメーション過信」「オートメーション・バイアス」にも通じる。カーの「オートメーション・バカ」の中では、「オートメーション・バイアス」としてこんなエピソードが紹介されている。

2008年、シアトルでハイスクールの運動部員を乗せた車高12フィートのバスが、高さ9フィートのコンクリート製の橋に突っ込んだことがある。バスの上部はもぎ取られ、21名の学生が怪我をして病院へ運ばれた。GPSの指示に従っていて、前方に低い橋のあることを警告する標識も点滅灯も「見なかった」と、運転手は警察に語った。

 

オートメーション・バカ -先端技術がわたしたちにしていること-

オートメーション・バカ -先端技術がわたしたちにしていること-

 

 

これはどちらかというと、機械(GPS)の指示に注意が向いているために、ほかのことに対して注意が向けられなかったという、人の注意能力の限界を示しているが、たとえ前出の実験は注意が向いていたとしても、機械(AI)の指示を過信することを示している。

オートメーション化はこれまでも、これからも不可逆的に進んでいくだろう。テクノロジー、オートメーション化は人間に福音をもたらすばかりではない。その副作用やリスクも含む。

「情報技術は、気づかれたら負けなんだよ」とエマちゃんは言う。オートメーションを進める情報技術は、利用者が気づかぬうちに生活、仕事の中に入り込んでいる。だからそのリスクや副作用も気づきにくい。前出のような研究や事実は、こうしたリスクや副作用の存在を気づかせてくれる。その時、人間はどうするのだろうか。思考停止に陥らずに、批判的な視点を持って、常に考える必要があるのだろう。

AIの定義

先日、某政府機関によるAIベンチャー企業への助成事業の発表があった。採択されたのは音声認識とか、診療科推論とか、監視カメラシステムなど。話を聞くにつれて、AIベンチャーというけれど、同じ人たちを数年前まではITベンチャー企業って呼んでいたし、やっている内容にしても、AIじゃなくて普通にITとかICTとかって呼んでいたよなあと、新人記者だった10年前のIT担当時代を懐かしく思い出しました。

今はAIブームなので、何でもかんでもAIと呼ばれているが、だいたい今AIと呼んでいるもののほとんどは数年前までITとかICTとか呼んだものだ(ちなみに役所的には呼称ITとICTの違いは、経産省総務省の違い)。私は定義厨なので、人から「AI」と言われれると、「今おっしゃっているAIの定義は何でしょうか?」と(余裕があれば)いちいち聞いてしまう。

ところで、エマちゃんがこの前プレゼンしていたAIの3分類はとてもわかりやすかった。今世の中の人がAIと言っているものはだいたいこの3つに分けられるよね、という分類だ。

ひとつは、「既存のITCの延長」。もうひとつは「深層学習に焦点を当てたもの」。最後に「汎用人工知能など、今はまだ存在しない技術」。

今のAIブームは、発端は2012年の画像認識コンテストでディープラーニング(深層学習、DL)を使ったチームが好成績を上げたことだと、研究者らAI専門家の間では言われている。技術的にはDLへの期待が、ブームの発端になった。一方で、社会的には経済貢献への期待がブームを盛り上げたために、ビジネスにおいてはなんでも「AI」を付けることがポジティブに働くという土壌になった。そこで、これまではAIとは特に呼んでいなかったIT関連の技術はだいたいAIと呼ぶという現象にいたったと認識している。

これ、別におかしなことではないし皮肉っているわけではなく、ただそういうものだということ。ちなみに中島先生は「AIは実用化するとITと呼ばれる」とおっしゃるし、新井先生は「AIとはデジタライゼーションすべてを指す」とおっしゃるし、だいたい共通認識だと思う。(AIブーム以前は「AI冬の時代」があり、専門家の中では「AI」という言葉を使うことで詐欺師扱いをされるという風潮があったために、人によってはあえてAIという単語を使わないようにしていたということもあったという)

ということで、だいたいビジネス文脈など実用の世界で今AIと言っているものはIT(ソフトウェア、アルゴリズム、プログラム)と置き換えて差し支えない。

一方で、2点目のDLについては、データを食わせて結果は出てくるけれど、なぜその結果になったのか、合理的な説明ができない、というブラックボックス性のために、ほかのITとは区別されるケースが多い。製品としては、説明責任を担保できないということに繋がりかねないためだ。DLの有用性の可能性が高い一方で、そのわかっていないという懸念点もあるため、区別して考える必要があるというわけだ。

3点目の「まだ見ぬ技術」については、主にAI研究者ら、AI専門家たちが研究に取り組むのは、まさにここだからだ。研究者が研究に取り組むというのがポイントで、今のAIブームの焦点になっている今すぐに、おそくとも2−3年で市場投入できる技術ではないということだ。とはいえ、AIブームの中で出てきた、未来や社会、人間についての議論では、この「まだ見ぬ技術」とそれに伴うシンギュラリティが話題になることが多い。

AIと一言で言っても、今話しているAIというのはこの3つのうちのどれに相当するのかを明確にしておくだけで、議論はスムーズになるだろう。

仮想通貨バブルと分類

先週は12日にJPモルガンCEOが「ビットコインは詐欺」と発言したことでビットコインの価格は暴落した。その前にも中国のCIO禁止とか仮想通貨取引所閉鎖と言った報道を受けて下がっていた所で、9月初めには1BTC55万円くらいまでに上がっていたのが、一時期32万円を切るほどに下落した。

とはいえ、1年前には1BTC6万円ほどで、40万円台に入ったのはつい先月のことだ。単純に乱高下が激しいというだけのこと。

ビットコインで支払いができる店舗も増えてきたとはいえ、今ビットコインを売買している人のほとんどが投機目的だ。ビットコイン投資の世界では、短期というと数時間、1日単位、長期でも数ヶ月という短期間でものごとが動く。

バブルは何でもかんでも情報があふれるので、きちんと整理して分類して見ていかないと思っていて、例えば、(ブロックチェーンによる)仮想通貨には、4つの側面があると思っている。

ひとつは思想的側面。ブロックチェーンによる仮想通貨は、中央集権型ではなく分散型という思想だ。通常の通貨は国の中央銀行が管理する中央集権型のため、分散型の通貨は真に民主的であると考えるリベラル派は少なくない。これはインターネット黎明期にも通じる思想で、そこに魅了されてビットコインに興味を持った人は初期には多かった。

もうひとつが、技術的側面。ブロックチェーンという技術への関心だ。これはエンジニアが中心だが、技術を進めていくこととその活用への関心があるようにみえる。

次に投機筋で、これは去年あたりから急増した印象。ビットコインに関しては今は殆どがこの投機筋が売買している。

最後に、当然ながら通貨としての側面だ。ビットコインに関しては、最近は支払いに使える店舗も増えてきた。また、送金の手間や手数料の簡略化にも期待がされている。

昨日、みずほFGや地銀などが仮想通貨「Jコイン」で提携するという報道があった。送金や支払いの利便性向上につながりそうだ。一方で、円に完全に連動するため、ビットコインやアルトコインのような価格変動がないため投機的な利用はないだろう。

仮想通貨についてはこの4つの側面を意識しながら、どの側面についての話題になっているのかを抑えながら見ていく必要があると思っています。

AIについて語るということ

AIブームはともかく、人はAIについて語りたいようだ。だいぶ前に、AI研究者某M氏が「AIマインドがない人はAI研究者ではない。AIマインドとは、AIについていかに深く語ったかどうかだ」と仰っていて、はあ、とよくわからなかったんですが、何となく分かるようになってきました。AIを語ることは、きっと、人やその集合である社会について考えることなんですね。

でも、ただ漠然と人や社会について考えるってなかなか難しい。AIというのは、AIの研究者や専門家以外の人にとっても、とっかかりとして入りやすくて、AIをとっかかりに人や社会について考えるということが、最近起こっていることのように思います。

先月、AI暑気払いという謎飲み会がありました。15人くらいで参加者はほぼ官僚と、AIに関係しているその他という感じ。全員同年代で、AI門外漢がほとんど。「AIについて語る会をやりたい!」を言い出した公私共にAIは特に関係ない財務省官僚の一言から、AIについて語りたい人たちが招集されました。

そこで彼が、「羽生さんのNスペを見てからAIおもしろいと興味持った」と目をキラキラさせながら語り続けていたのを見て、AIの魅力っていうか魔力を感じました。AI非専門家(だけど超絶頭いいロジックモンスター)たちがAI愛全開でAI語るのっていいなと。それだけ話のネタとして人を引きつけるのがAIなんだなあと。

一昨日、エマちゃんが企画したAIと社会についての対話イベントがあり、我々はお手伝い要員で行ってきました。イベントは、一般から募集した参加者70人が、9グループに分かれ、3セッションでワークショップをするというもの。それぞれのグループには対話参加者のほかに、AIと社会に関する専門家、グラフィックレコーディングをする学生ファシリ、対話速記メモがいて、対話の様子がその場で可視化されます。

参加者は全くの一般人というよりも、ある程度AIについて普段から考えたり調べたり、または仕事で関わっている人が多かったようです。話題提供として参加してくださった専門家の方たちも、「参加者のレベルが高い」と舌を巻くほど。

3セッションが終わった後の全体の議論の共有では、「AIについて考えることは、結局人間について考えることだ」というまとめがちらほら聞かれました。

AI研究者であるM氏からみても、ワークショップ参加者の様々な属性の方たちからみても、AIについて考え、語ることは、結局のところ人間、その集合である社会について考えることにつながります。

でも、何かについて考えるときに、ひとりで考えるよりも、誰かと一緒に考えたほうが楽しいし、きっと先に進んだ議論ができる。

ワークショップは、そうやって他の人の頭を使って一緒に考えるためのものだと思っています。人との対話の中で人の頭を使って考えて、それを持ち帰ってまた自分の頭を使って考える。そういう両方のプロセスの繰り返しで、考えは深まっていく。でも、そういう前者の場ってなかなかない、だからこういうイベントが必要なんだと。

でも本当は、こういう特別なイベントをやらなくても、普段からいつでも議論ができるといいんだと思う。議論をしてくれる友人や同僚たちに感謝しています。

 

 

 

「いつかティファニーで朝食を」(マキヒロチ)

アラサー、女、東京で働く、独身。美味しい朝食が好き。
そんな彼女たちの仕事や恋や人生が、美味しい朝食とともに描かれるのが「いつかティファニーで朝食を」という漫画。実在するお店の朝食が紹介され、コミックの最後には店舗紹介や朝時間.jpの朝食レシピ紹介もある。

登場人物たちが、とても美味しそうに食べる描写がいい。大人には、日々、いろいろある。でも、美味しい朝食を、うわあって感激しながら美味しく食べる。ただそれだけで生きていける。

美味しい朝食を食べに行ったり、作ってみたりしたくなります。平日の朝、仕事前に築地市場へ朝ごはんを食べに行く、とか今度やってみよう。

 

いつかティファニーで朝食を 1巻 (バンチコミックス)

いつかティファニーで朝食を 1巻 (バンチコミックス)

 

 

 

ビットコイン使用で得た利益は「雑所得」

仮想通貨のビットコインの使用によって生じた利益は所得税の対象となり、雑所得に区分されるとの見解を国税庁がしました。

No.1524 ビットコインを使用することにより利益が生じた場合の課税関係|所得税|国税庁

ビットコイン価格は昨年9月には6万円程度だったものが、今月は50万円程度とここ1年で高騰している。投資対象としている人も少なくないが、課税対象となることが明記された形だ。

気になるのは、他の仮想通貨の取り扱い。ビットコインのように1号仮想通貨とされるものは、同じく課税対象になるのだろうか。

先日中国がICOを全面禁止したことが話題になっていたが、今後ICOが増えるとされており、成り行きがきになる。

ディープラーニングの教科書の日本語訳がウェブで無償公開

ディープラーニング(深層学習)の教科書「Deep Learning」の日本語翻訳版が、オンラインで無償公開されています。翻訳は、東大松尾研究室のメンバーが行った。翻訳したのは「Deep Learning」(An MIT Press book, Ian Goodfellow, Yoshua Bengio, and Aaron Courville)。ディープラーニングの第一人者らによる著書だ。

以下からダウンロードできます。早速DLしました。

Deep Learning

 

 

Peace Tech という考え方

テクノロジーは平和にも戦争にも使われる。歴史を振り返ってみれば、テクノロジーは戦争によって進展してきた。インターネット、コンピュータ、GPSなど今普通に使われている多くのテクノロジーの多くは、戦争のための軍事予算によって開発が進展した。そのテクノロジーを積極的な平和を進めるために進めていこうとするのが、Peace Tech という考え方だ。

Peace Techとはテクノロジーによる平和貢献、として、紛争地域で学生らにICT教育を提供しているのが、Edo Tech Global の金野さんだ。ルワンダ、ヨルダンではシリア難民向けに、10月からはボスニア・ヘルツェゴビナで、大学生にAIやVR、データサイエンス、ロボティクスなどを教えているという。現地の大学などのインフラを借り、講師は日本人でオンラインで講義をする。学生たちは、例えばシリア難民なら、ほんの数ヶ月前まではアレッポ大学でコンピュータ・サイエンスを専門としていたエリートの大学生。紛争で国を追われて勉強の機会を失われた学生たちだ。テクノロジーの専門だけではない。ソーシャルグッドマインドを養うための教育もあるという。

「戦争やジェノサイドの原体験を持つ若者たちは、平和実現へのマインドセットが強い。彼らがテクノロジーとソーシャルグッドマインドを持つような教育が、積極的平和につながる」と金野さんは言う。

こうして教育を受けた人たちがテクノロジーを積極利用していくことで、Peace Techにつなげるというのが狙いだ。

先日、広島県主催で広島市で開催された「国際平和のための世界経済人会議ミニフォーラム」の中で「テクノロジーと平和」というセッションに呼んでいただき、金野さんと一緒にパネル登壇をした。私は「デュアルユースとアカデミア」について話して欲しいという依頼だった。

デュアルユースとは、テクノロジーは軍事用にも民生用にも使えるという両義性のことを指す。だがすべてのテクノロジーはそもそもそうした両義性を持つ。むしろ今なぜデュアルユースが話題になったかに注意を払う必要がある。

2015年に新設された防衛省(防衛装備庁)の大学や研究機関、企業に対する基礎研究の研究費助成事業「安全保障技術開発推進制度」が発端だった。国による研究費助成は文科省経産省などさまざまあるが、防衛省による研究費助成事業は、戦後初めてのことだった。ということで注目を浴び、また防衛省が予算を出すということで、これは「軍事研究」に当たるのではないか、ということで、日本学術会議で昨年から議論が始まり、今年3月には「軍事研究禁止」としたこれまでの声明を継承するとの声明を出した。

そんなこんなでデュアルユースが話題になっているわけだが、とはいえ現実問題として、研究費助成の対象でもあり、テクノロジーの研究開発に携わるアカデミアの工学系研究者の間では、炎上や批判を恐れてこの話題はタブーに近くなり、思考停止状態になっているのが現状だ。

「デュアルユースとアカデミア」から考え始めると、こうしてスタックしてしまい、現実問題としてニッチもサッチもいかない。なので、この話をしたあとに、でもこのアジェンダ設定が違うんじゃないかなと思っていて、平和のためにどうしていくか、というこのイベントの趣旨からも、平和のためにテクノロジーをどう使っていくか、という問いから始めるほうが建設的なんじゃないでしょうか。というような発言をしたのは、このあとに話す金野さんへのつなぎのつもりだったんだけど、事前打ち合わせをひっくり返してすみませんでした。

ただ、そう発言したのは打ち合わせのあとにも登壇しながらもいろいろ考えた末の結論で、自分自身デュアルユースとアカデミアとアジェンダ設定をしてここ数年取材をしてきたけれど、なかなかどうにも建設的な方向にならない。切り口を変えたほうがいいんじゃないかと思っているところなのでした。

 

変わるロボットの概念

金出先生の講演


先日行ってきた経産省NEDOのイベントでの、カーネギーメロン大学教授の金出武雄先生の講演がおもしろかった。内容もさることながら、先生ご自身が本当に楽しんで研究をされているということが伝わってくる、わくわくとさせられる講演だった。

講演の中に出てきたマグネットと磁界で動かす方はこの方かー。
http://www.msrl.ethz.ch/the-lab/team/Brad_Nelson.html

ということで以下は金出先生の講演のメモ。

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ロボットの概念の進展には3つの軸がある。ロボットと呼ばれる前にも、歴史的にはからくりや機械でも、プログラムやメカニズム(機構)は昔からあった。

近代のロボティクスでは、コンピュータでプログラム制御をするのが、本当の意味でのロボットの進展だった。現代、ロボットが重要になったのは、メカニズムという概念から離れて、情報によって駆動されるようになったためだと思う。

ロボットは単なるメカニズムではなく、information driven mechanismであるということが重要だ。そこが現代のロボットの概念だ。

最初のロボットは力をamplifyするものだった。AIが知能をamplifyするものならば、ロボットは単なるメカニズムを超えて、情報に駆動される知的システムということになる。

その最初のものが自律機械だ。最近では自動運転もそうだ。
「ロボットは情報によって駆動される機械」という概念を得たとたんに、機械というのが必ずしもメカニカルなシステムではないということに気づく。

私たちは1980年代にカーネギーメロン大学で、音声認識で英語の本を読む子供向けプログラムを実施した。当時は精度はそんなによくない。でも、音声認識の機械は、子供たちがどのように本を読んだかわかる。当時の技術でも、「これは正しく読んでいるのか、読んでいないのか」ということがわかるので、それに応じて子供たちに対して適当な問題を出すことができる。これはロボットだ。こういった新しい概念を作り出した。

私たちは「QOLテクノロジー」と呼んでいるが、これらは人の生活をよくするものだ。人と共に働く機械へと、徐々に移ってきたのだ。

そうすると、(機械は)人が何をしているのか、人の動きを理解することが必要になる。最近ではコンピュータビジョンで完全に人の動きをトラッキングできるようになってきた。この技術がなければ、人が何をしているのかロボットはとらえられないので、助けようがない。

今は、人と何かをするテクノロジーが重要になってきた時代だと思う。
第二の軸は、人のかかわりから、人とともに、人のために、という軸だ。自律機械は人の代替だったが、今はそうではない。人とともに、人のために、という概念がだんだんと出てきた。

そのひとつの例として我々の最近の研究を紹介する。雨の夜に運転をしていると、ヘッドライトが雨粒に当たって見えづらい。雨粒は水滴だから透明だが、ヘッドライトが当たると反射して白く見えるためだ。雨粒が見えないヘッドライトを作りたいとなる。そこで、雨粒に当たらないようにヘッドライトの光をコントロールできたら、白く光らないようにできると考えた。実はこれは簡単な仕組みでできる。カメラで雨の位置を認識する。この方向に雨粒があるとわかれば、プロジェクターで光を当てる場所を制御すればいい。そう考えると、やるべきことはカメラとプロジェクターを買ってきて、それをつないでやってみることだ。

さらに、対向車線を走る運転手がまぶしくないようなハイビームを作った。相手の運転手の目に入る部分の光だけをオフにすればいい。自分からは相手が見えるが、相手はまぶしくないというライトができる。人間が運転しやすくなるようなシステムだ。

つまり、人間のことをもっと考えてつくるシステムがもっと重要になってくると思う。

3つ目に軸は何か。これまではひとつひとつのシステムが動くと、それがよくなれば全体もよくなると考えていたが、実際はそうではない。ロボットが動く環境トータルでみていかないとよくはならない。

例えば、カーネギーメロン大学では、農業用ロボットの研究をずいぶんやってきた。だが、収穫だけをやっても農業全体が効率化されるわけではない。農業には収穫以外にももっといろんなことがあるからだ。どういう虫がついているのか、どれくらい熟れているのか、それと収穫を結びつける必要がある。収穫したら、今度はそれを検査してパッキングして送り出す。これもトータルシステムとしてやっていかないといけない。今のロボティクスはそういう方向に動いている。トータルのシナリオを考えていく必要がある。

ロボットが動くというとロコモーションと考えがちだが、でもそうじゃない。これから紹介する研究は、私の一番弟子の弟子、つまり孫弟子の研究だ。スイスのETHのブラッド・ネルソンがmagnetic-field activate microrobotes and nanomedicineという研究をした。彼の発想は非常に単純明快だ。小さなマグネットを磁界の中に置くと、マグネットは進んでいく。磁界を斜めにかければマグネットは回転する。磁界によってマグネットの前進や回転を制御できるのだ。こうして磁界を自由にコントロールすることで、マグネットの動きを制御できるようにした。

これを使って、手術器具を体外から体内に入れて、対外からマグネットでその手術器具を動作するということを実際にやった。カテーテルを体内で自由に曲げることもできる。こういったマグネットのシステムは、臨床試験までいった。

これはロコモーションという概念を変えることができる。環境がロコモーションを起こすというふうにとらえられるというわけだ。

さらに大腸菌の動きをまねる60マイクロメートルの微小の構造物を作った。これは血管の中を自由に動かすことができた。体内を移動させ、必要な場所で解放する。まるで映画「ミクロの決死圏」のようなことができつつあるのだと彼は言う。これは素晴らしい考えだ。

今はなしたのは、何もロボットはこういうものでなければならない、という概念から抜けるという話だ。

ロボットの未来はDoer、Helper、Enhancerとしてのロボットだと考えている。
理想のロボットのすべきこと=人のしたいことーその人のできること±Δ
と私は言っていて、これをkanade's magic equationと言っている。この±Δというのがみそ。

 

botはいかにして集団の全体最適をもたらすか

少し前にNatureに載ったこの論文が好きです。

www.natureasia.com

アダム・スミス国富論の中で、投資家が自らの利益を追求して振る舞うことで、市場全体が最適化される、「見えざる手」を説きました。ただし、人間社会全体においては、個人が(自らの利益に向かって)自由に振る舞うことは、必ずしも全体最適につながりません。にも関わらず、社会の多くの場面は細分化され、それらは個別最適化され、全体を見渡して舵取りする機能が喪失されているということが、ままあります。こうした状況では、個人は良かれと思い善意で努力をしても、全体としてネガティブに働くことが往々にして起こります。

これってディストピアだよね、ということを去年あたりからエマちゃんと議論しているわけですが、今の社会の問題の多くがこれに当てはまると考えています。つまり、どこにも明確な悪人はいない。みんな、自分の役割と居場所で努力をして、良かれと思って振る舞っている。それでも、社会全体が沈み込んでいっている。

なんてディストピア

それで、この論文の話。複数人で協力するゲームで、個人がゴールに向かって振る舞うよりも、ランダムに振る舞うbotを一定割合介入させると、好成績のゲーム結果を得られるというものです。

こうした、ランダムに振る舞うbotによる最適化は、コンピュータサイエンスなどの領域ではよく知られていたそうです。ところが、人の振る舞いによって構成される社会学においてはあまり知られていませんでした。この論文では、そうした他の領域での知見を、個人と集団という人の実際の振る舞いに当てはめて実験したところ、同様の現象が見られたということです

この論文でのゲームでは、botはどこでもいいわけではなく、多くのネットワークの中心(人間社会で言えば、集団のリーダーのようなもの)にあるときに、全体の1割ランダムに振る舞うことで効果を発揮しました。

実際の社会環境やほかの状況ではこの条件は適用されませんが、部分最適全体最適につながらない(「見えざる手」は機能しない)状況において、個別の一定のランダムさ(脱最適化)が全体最適につながることは、汎用的だと思いますし、実感にも合うでしょう。

論文著者で今は米エール大学博士課程の白土さんは、どこかで名前を拝見したことがあると思いググったら、以前テクタイルの活動をされていた方でした。テクタイルは10年前に同僚に勧められて展示を観に行って以来、おもしろい!と惚れ込んで、取材に伺ったこともあります。世間狭い。

www.techtile.org

「仮想通貨とブロックチェーン」(木ノ内敏久、日本経済新聞出版社)

著者は日経新聞産業部や経済解説部での記者、日本経済研究センター研究員などを経て、経営論などが専門の日経新聞シニア・エディター。貨幣の概念から、仮想通貨の解説、ビットコインの現状、それを支えるブロックチェーンの仕組みまで、わかりやすくまとまっている。

単なる仮想通貨やブロックチェーンの解説にとどまらず、そもそも貨幣とは何であるかまで遡ってわかりやすくよかった。仮想通貨やブロックチェーンについてさらりと理解するのには、これ一冊で必要十分でした。

仮想通貨とブロックチェーン (日経文庫)

仮想通貨とブロックチェーン (日経文庫)

 

 

科学技術に「夢」はあるか

量子コンピュータの記事について、友人(科学部の記者)とツイッターでやりとりをしていて、実用化がまだ遠いという点での量子コンピュータに、未来物語として夢があると彼は言う。

一方で私は、D-waveのようにすでに商用化されている流れでの量子コンピュータ(正確には量子アニーリング)に関心がある。単語としてはどちらも量子コンピュータというが、仕組みもその性能も全く異なる。

科学技術に未来の夢を見る。そういう考え方はとてもまっとうだと思う。

一方で、私は記者として記事を書くにあたって、科学技術に夢を見るという視点があまりない。経済紙出身というせいもあるかもしれないが、人間や社会にとって何らか「役に立つ」かどうかという視点が、記事を書く上での前提になる。「おもしろい」という視点もあるが、それも何らかの「役に立つ」につながる可能性があるから「おもしろい」と感じるわけなので。

なお、「役に立つ」というのは短期的に経済的なメリットがあるといった意味に限らない。中長期的にも人間が社会を生きる上での知恵やビジョンを提供するという意味での「役に立つ」も含む。

とはいえ、いずれにしても実用的であり現実の課題解決につながり、人間が社会の中で善く生きていくという視点だ。「夢」というのもしかしたら人によっては同じような解釈なのかもしれないけれど、ただ私はもっと実用的で具体的なピースであって欲しいと思っている。

一方で、仕事を離れたら、純粋に科学技術に「夢」を見る、というのももちろんある。

件のツイートの関連で、知り合いの研究者からリプライをもらったのは、彼女はAI研究に夢を見ていると。彼女とは同じではないかもしれないけれど、私は人間に関心があって、人間をもっとよく知りたい、そのヒントになるのではないかという点で、AI研究に夢を見ている。

 

「人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?」(山本一成、ダイヤモンド社)

今年4月、5月に開催されたコンピュータ将棋とプロ棋士による対局「電王戦」で、佐藤天彦名人を破ったのがコンピュータ将棋「ポナンザ」だ。そのポナンザを10年にわたり開発してきた山本一成さんが、将棋とAI、囲碁とAI、人間とAI、また倫理観まで語ったのがこの本。AIやコンピュータのことがよくわからない一般の人向けに書かれていて、語り口調でやさしい。また文字が大きく、(これいらなくね?というのも含めて)図版が多いので、本のサイズと比べて文章量は少ないので、さらっとすぐに読めます。

 

どうでもいいけれど将棋ソフトは、AIブームの前は将棋AIではなく、コンピュータ将棋と呼ばれていたっけ(今でも言うのか)。コンピュータ将棋協会主催の世界コンピュータ将棋競技会というのが毎年あって、かつて取材に行きました。

教師データなしでビデオ映像から学習するAIをディープマインドが開発

ディープマインドは、教師データなしでビデオ映像をもとに自動的に学習をするAIを開発した。というニュースがニュー・サイエンティストに載っています。

DeepMind AI teaches itself about the world by watching videos | New Scientist

一般に、機械学習で映像や画像から特徴量を抽出するには、あらかじラベル付けされた大量の教師データが必要だ。だが、こうした大量の教師データを都度得るのは難しい。ディープマインドの新しいアルゴリズムでは画像と音から、あたかも人のように観ているもの、聞いているものを認識できるという。

まず、このアルゴリズムには2つのネットワークが含まれる。画像認識と音声認識のそれぞれに特化したネットワークで、これらのネットワークは、同じ動画から画像と音声のそれぞれを取り出して認識をする。さらに3つ目のネットワークは画像と音声を比較して、動画の中でどのシーンの音声かを学習する。このシステムを使い、40万本の動画から6000万の画像と音声のセットをトレーニングした。

このアルゴリズムは、特定のラベルなしで音声と画像の概念(例えば、人混み、タップダンス、水といったものだ)を認識するようになった。例えば手を叩いている写真を見せると、その画像に合った音を出すことができる。

この研究は今年10月にベニスで開催されるInternational Conference on Computer Visionで発表される。

なお、論文はarXivでDLできる。

[1705.08168] Look, Listen and Learn

 

ラベル付けされた教師学習データなしで、大量の動画のデータだけから意味抽出ができるということでいいのかしら。おもしろいなあと。