人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

ITは無色透明な空気になり、社会に浸透する

イケイケドンドンの時代は良かったよな。

ってデスクが言ったのはすでに10年前のことだ。新しいテクノロジー、特にITの開発もののニュース記事を書くのが、難しい時代になったな、と思う。先端技術の開発や研究成果によって明るい未来を約束するといった文脈の記事は、いまではいかにも頭が悪い能天気な、下手したら提灯記事に見えてしまう。

もっとも、特にスピードが速いIT分野では、第三者としての記者であっても、ある程度はIT分野の企業や研究者と足並みをそろえ得つつある意味ではエバンジェリストとして記事を書いてきたというのは、ここ20年くらいのIT記事を読めば明らかだ。それだけに、余計難しい。

ここ数年、紅白歌合戦はテクノロジー学芸会さながらで、演出のテクノロジーを楽しむのが恒例になっていた。ところが昨年末の紅白歌合戦はテクノロジー要素が少なく、唯一注目が集まったperfumeの演出も、知識なく見るとテクノロジーのすごさがわからない、一見「当たり前」に見える演出だった。

渋谷の街でビル(セルリアンタワーらしい)の屋上でスポットライトを浴びて歌い、踊るperfumeの3人。終盤にかけて、そのビル周辺の渋谷の街のあちらこちらから、サーチライトが3人に向けて発せられる演出があった。渋谷の街にサーチライトを仕掛けた?そうも見えなくないが、実際は他の映像をリアルタイムで重ね合わせたAR的な演出のようだ。ただし、技術に関心がある人以外は、どちらでもいいことなのかもしれない。

ITはバレたら負けなんだよ。

ってエマちゃんは言う。本当に社会に入り込んでいる、お金になっている、仕組みに入り込んでいる、そういうITは、学芸会の目玉になるものではない。その意味では、パフュームの演出は、ある意味「バレない」ITになっていたのかもしれない。

こうした「バレない」ITには、「未来をつくる」「世界を変える」といった派手なフレーズとともにメディアで持ち上げるケバケバしさはない。むしろ、無色透明な空気のように、すこしずつそっと入れ替わり、でもそのうちそれなしでは私たちが呼吸して生きていくことができなくなるようなものだ。

だからITに関しては、技術そのものの記事よりも、アプリケーション側から書くことに重点を置いていこうって、思っています。技術主体ではなくって。

 

テンセントが注目する、世界のAIやロボットをめぐる法的、経済的、社会的、倫理的な課題についての議論

人工知能(AI)ブームの中でもここ1−2年は、AI導入の大きなカギとなる法的、経済的、社会的、倫理的な課題についての議論が、世界中で進んでいます。中でも昨年は、それらの議論がまとまって報告書や法案などの具体的な形で相次いで公開されました。そこで昨年1年間のこれらの報告書や法案などをテンセントの研究所がまとめた10項目が並ぶサイトをエマちゃんに教えてもらいました。中国語ですがGoogle翻訳でだいたい意味はわかります。

2017年全球人工智能政策十大热点 

(2017年グローバル人工知能政策10ホットスポット

ここで挙げられた世界の10の議論は以下のとおり。

 

(1)FLI、アシロマAI原則を公開(2017年1月)

AI Principles - Future of Life Institute

 

(2)米コンピュータ協会(USACM)によるアルゴリズム透明性とアカウンタビリティニに関する7原則(2017年1月)

https://cacm.acm.org/magazines/2017/9/220423-toward-algorithmic-transparency-and-accountability/fulltext

(3)欧州議会、世界初のロボット法に関する決議を可決(2017年2月)

Texts adopted - Thursday, 16 February 2017 - Civil Law Rules on Robotics - P8_TA(2017)0051

(4)ドイツ政府、世界初の自動走行車の倫理原則の報告書を公開(2017年6月)

https://www.bmvi.de/SharedDocs/EN/Documents/G/ethic-commission-report.pdf?__blob=publicationFile

(5)中国政府、AI新世代開発計画を発表(2017年7月)

www.gov.cn

(6)韓国議会、ロボット基本法を提案(2017年7月)

https://www.lawmaking.go.kr/lmSts/nsmLmSts/out/2008068/detailRP

(7)米国議会、自動走行に関する法案を議論(2017年9月)

https://www.congress.gov/bill/115th-congress/house-bill/3388

https://www.congress.gov/bill/115th-congress/senate-bill/1885

(8)エストニア政府、ロボット法を提案(2017年10月)

www.independent.co.uk

(9)NY市議会、アルゴリズム差別の課題に対して責任説明法案を採択(2017年12月)

legistar.council.nyc.gov

(10)IEEE、AI設計のための倫理ガイドライン(第2版)を公開(2017年12月)

IEEE-SA - Industry Connections

 

見ての通りですが日本は含まれていません。日本でこれらの議論がまったくなかったかといったらそうではなく、政府、学協会ともに昨年は複数の報告書などが出ています。

http://ai-elsi.org/archives/471

倫理指針本体 http://ai-elsi.org/wp-content/uploads/2017/02/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E5%80%AB%E7%90%86%E6%8C%87%E9%87%9D.pdf

http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/ai/summary/index.html

  • 総務省 AIネットワーク社会推進会議、「AIネットワーク社会推進会議報告書 2017 」を公開(2017年6月)

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01iicp01_02000067.html

報告書本体 http://www.soumu.go.jp/main_content/000499624.pdf

 

日本は眼中にないってことねってエマちゃんが言っていたんだけれど、そうかもしれないけれど、テンセントが選んだ上の10つと比べて、日本での上記3つは実効性が弱いというかほぼないというのは重要な相違点だと思います。総務省内閣府の報告書にしろ人工知能学会の倫理指針にしろ、法的にも社会的にもなんら拘束力を持つものではありません。これに対して、上の10つはFLIを除いてはいずれも法的もしくは標準化によって実効性を持つ可能性があります。その点で注目に値するのだと思います。

 

 

 

2017年振り返り

今年の振り返り。テクノロジーもの中心に、書いた記事の中で印象に残っているものをいくつか。所属先のAERAがほとんどですが、たまにほかでも書いていました。
AERAは雑誌の記事を切り刻んでウェブに載せていて、一応リンク貼っていますが、雑誌では大特集の一本だったものを分割して一本原稿としてウェブ記事になるし見出し変わるしで、元記事の文脈が変わることが多々あります。。。)

Post-truth関連

昨年の米大統領選挙とトランプ大統領誕生の影響で、今年の前半はPost-truthの話題がことかきませんでした。フェイクニュースそのものというよりも、「エビデンス」や「事実」の描かれ方、扱われ方に関心がありました。

「産学官」のエビデンス合戦 あなたは健康ビジネスを信じますか 2017/4/17 AERA
内閣府ImPACTの「脳科学」プロジェクトの過剰広報について。科学技術の情報流通については、広報PRの弊害がここ数年目立ってきたと感じています。この記事もともと大特集にねじ込んだんだけれど、当初ウェブ掲載見送られて、新聞が記事にするようになって話題になってきたらウェブでも掲載されました。

ネットで軽くなる「事実」の重み 2017/5/25 日経サイエンス
→「トランプVS科学」特集の中で書いた記事。

フェイクニュースに抗うテクノロジー アルゴリズムは分断を克服するか 2017/7/10 AERA
→上で書いた記事に続いて、ではどうしたらいいのかなーというところを取材した記事。

人工知能(テクノロジー)と社会、人間への影響関連

AIというかITと社会や人間の変化はずっと関心がある分野で、AIブームなのでAIというと記事になりやすいのでAIと社会と一応言っています。記者として外から観察して書く、というよりも、一緒に議論して考えていくということがここ数年は増えていますが少しは書いています。

SFなどコンテンツを介してテクノロジーと社会を考えるというのが好きで、その関連からアニメや映画をとっかかりにした記事も書いていました。

複雑化する社会を良く生きるためにテクノロジーでできること 2017/2/15 ハフポスト
→昔からの取材先のじゅんじさんが監訳をしたウェルビーイングについての本が出たので、それについてじゅんじさんと江間ちゃんに対談してもらった記事。

暗い未来のほうがリアル ディストピア小説が静かなブーム  2017/2/20 AERA
→テクノロジーと社会について考えるときに「ディストピア」という状況を想定して考えていたところにトランプ政権誕生で「1984」が売れているというところから取材して書いた記事。

目指すのは「人間の拡張」 『攻殻機動隊』は研究者たちの必読書 2017/4/3 AERA

押井守監督はハリウッド版をこう見た! スカヨハの「ゴースト・イン・ザ・シェル」 2017/4/3 AERA

「人工知能脅威論」が覆い隠す、本当の問題は何か?ーー日仏の研究者が議論 2017/6/1 ハフポスト

仏学者が警鐘鳴らす「AIと巨大IT企業の情報操作」 2017/6/28 AERA.dot

AIは神様になれるか テクノロジーと宗教の究極の「融合」 2017/7/30 AERA

四十九日まではロボットで一緒に 弔いだって最先端はデジタル化  2017/7/30 AERA

「AIも怒る」は幻想です 技術の進歩でSFロマンは過去の遺物へ 2017/9/4 AERA

言葉はもういらない 「触感」「表情」「bot」が感情決壊を防ぐ  2017/9/4 AERA

 会わないほうがうまくいく 2017/10/23 AERA

→大特集でオンラインやITが日常の私たちのコミュニケーションについて書きました。VRコミュニケーションのような不可避な今後をもっとくっきり描きたかったんですが、紙媒体の特性上もう少し近視眼的な話になりました。でもコミュニケーションの変容に関心があるので印象に残っています。

初対面でハグしちゃう!? VR体験型パフォーマンス「Neighbor」とは 2017/11/4 AERA

ネクストブレイク100 2018年はこれが来る! 2017/12/25 AERA

→年末恒例大特集で、テクノロジー関連はAIからAH(人間拡張)へ、をテーマに企画しました。ほかにモビリティや医療なども担当しましたが、全体的にAI(というかIT)のようなテクノロジーを使いこなすことで人間が賢く強くなっていく、という文脈で書いています。テクノロジーが人間を賢く強くするというのはテクノロジーはただの人間が作り出したツールである以上アタリマエのことなんだけれど、昨今のAIブームやテクノロジー信仰の風潮ではその当たり前のことが忘れられて過度に期待されたり恐れられたりする向きがあり、それがいかがなものかと思っているので、あえて人間拡張というワードを強調しました。

 

記者以外の活動


AI(というかIT、もっというとテクノロジー全般だと思っている)と人間、社会の関連について関心があって、客観的に記者として観察して書くだけじゃなくて、中に入って一緒に議論して進めていけないかといろいろやっていました。

人工知能学会倫理委員会 倫理指針(2017/2)
委員をやらせてもらっている人工知能学会学会倫理委員会で倫理指針をつくり、2/28に公開しました。

IEEE "Ethically Aligned Design" ワークショップ(2017/4-7)

IEEEではAIなどの自律システムを倫理的に配慮しながら設計していくための報告書を作っていて、そのバージョン1についてフィードバックをするための勉強会をエマちゃんと一緒にやっていました。最近アップデートされたバージョン2が出たので、こちらの勉強会も年明けから始める予定です。

人工知能学会誌 Vol. 32 No. 6 (2017/11)の小特集「マスメディアから見た人工知能」に、「マスメディアから見た“AI”と専門家から見た“AI”のギャップを越えて」という記事を寄稿しました。記者として、いろんな分野の専門家と一緒にこういうことがやりたいっていう話を書いています。
編集委員の鳥海さんの巻頭言、小特集「マスメディアから見た人工知能」にあたっては無償でPDFがDLできます。

あとほかに、ひでまんさんにお声がけいただいて赤ちゃん学会post-truthについて話題提供したり(2017/7)、マカイラさんにお声がけいただいて広島の平和に関する会議でテクノロジーと平和のパネルでデュアルユースの話題提供をさせていただいたり(2017/9)と、人前で話す機会がパラパラある1年でした。普段人前で話すことがないので、たまに機会があると楽しい。

 

記者としてAERAでは何でも書いていましたが、今年後半は特にテクノロジー関連を特集の中に入れることを意識していました。ただいろいろ企画したり書いたりしていて、一般向けの週刊誌でテクノロジー中心の取材記事を書くことは、もうそぐわないんじゃないかと、今は考えています。専門媒体ならありなんだけど。

一般の人向け媒体では、テクノロジー中心ではなく、社会側、人間側が課題を抱えていて、その解決方法のひとつとしてテクノロジーがあればそれを書けばいい。ただ、テクノロジーが主体になるのはちょっと違うんじゃないかなって思っています。AIにしろAR/VRが大きく話題になっている昨今だけれど、社会に入っていくのは必ずしもテクノロジードリブンではない。新しい、先進的な、先端技術によって社会をドライブしたり変えていったりするわけではない、ということを、そのあたりの分野を取材してきたここ10年で痛いほどに実感しています。それにもかかわらず、テクノロジー中心で書くと、そのあたりに寄りがちになる。それはデスクからの期待(忖度)もあったり、テクノロジー側(研究者、開発者)の関心や願望がそこにあったりするからなのだけれど、もっとも、取材する側としてもそこがおもしろい。でも、社会の実態にはそぐわない。そういうちぐはぐさは、ここ10年で強くなる一方でした。

ということで、来年は課題側から書ける場所にうつります。課題とその解決のひとつとしてのテクノロジーについて取材して書いていければと。それと、記者以外の個人でやってきたテクノロジーと人間や社会について考えて前へ進めたいなー活動の幅を、今度は仕事として少しずつ広げていければと思っています。

去年の同じ時期の振り返り

一方で、取材して書く、というだけでなくそれをもう少し推し進めて、形がないところから取材先も含めてみんなで一緒につくっていくという仕事は、新聞社を辞めた時からずっとやりたいと思っていながらなかなかできていません。つくっていく、というのは記事やメディアそのものというよりもっと大きな、メタな考え方とかあり方とか概念とかシステムとかなのかなあ。ぼやっとしていますが、その具体化も含めて、来年の課題です。来年のテーマは「定点観測ブイかつ船になる」

と書いていましたが、その点では少し進められた一年だったと思います。人工知能学会誌の小特集ではそのための具体的な取組みについて書いたつもりです。ということで来年のテーマは「定点観測ブイかつ船になる(船の比重を今年よりも高める)」です。

テレイグジスタンス型ヒューマノイドロボットが楽しい

今年はテレイグジスタンス型ヒューマノイドロボットをたくさん見かけた年でした。テレイグジスタンスというのは舘先生が30年位前に提唱された概念ですが、離れた場所にいる人(マスター)と同じ動きを、ロボット(スレーブ)が再現するというロボットの操縦方法です。これまでは大学の研究が多かったのが、最近は企業の出展で多く見かけます。

テレイグは、国際ロボット展でお披露目されたトヨタのT-HR3がわかりやすいです。

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左にいる操縦者と同じ動きを右側のヒューマノイドロボットがしています。操縦者は座っていますが、その場で足踏みをすることで、ヒューマノイドの歩行操作もできるそう。

ところで操縦者の技術者の方は高身長なのですがヒューマノイドは150センチメートルと身長も体格も異なります。操縦しているとロボットに乗り移ったような感覚になり、身長や体格が異なっても、ロボットに合わせた感覚になると言うのが印象的でした。稲見先生や鳴海さんがおっしゃる身体自在化やゴーストエンジニアリングって、VRもだけれどテレイグが最もわかりやすいかもしれない。

なおこのロボット、テレイグもおもしろいんですが、ヒューマノイドとして素晴らしくて、関節の動きの滑らかさがこれまで見てきたヒューマノイドから飛び抜けていました。ヒューマノイドのデモを見て久しぶりに感動しました。やっぱりトヨタすごい。

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動きがしなやかだしバランスもいい。この動画の操縦はテレイグではなくプログラム操作。

テレイグはSFではおなじみですが、ロボットの操作方法として直感的にできることから、初心者にも操作しやすく実用性が高いのだと思います。が、これまでは技術的ハードルが高かったのが、最近では汎用品の組み合わせでもマスター/スレーブによるテレイグジスタンスが実現しつつあるということなのだと思います。

こちらはTHKのロボットをテレイグで操作しているデモで、国際ロボット展でのものです。

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このTHKのロボット本体などを使ったテレイグロボットは、先月のdocomoの5Gを使った展示会でも出展していました。

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新日鐵住金ソリューションズの出展で、本体はTHK、手は電通大ベンチャーのメルティンMMI、マスター側の触覚フィードバックは慶應大の南澤さんのところなど、ハードは汎用のものを組み合わせ、システムは内製しゼロから3ヶ月で作ったそうです。Slerすごい。デモされている方始めこれを作られてたエンジニアの方たちがすごく楽しそうだったのが印象的。

もちろん、舘先生の本家テレイグも今年も話題になりました。これまで大学でやっていたのをKDDIなどの支援で会社化。

tx-inc.com

パシフィック・リム」でのイェーガーの操作方法もマスター/スレーブ型になるんじゃないのかなあ。パイロットと同じ動きをイェーガーがする。パシフィック・リム好きでした。

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SFなどからテレイグジスタンスなどのロボット操縦方法については、舘研出身の大山さんの論文が詳しいです。

「SFと科学技術におけるテレイグジスタンス型ロボット操縦システムの歴史」(大山英明、前田太郎、舘暲)

「エンタテイメント作品におけるロボットの操縦方法」(大山英明、阪口健)

いわゆる「人工知能」研究者コミュニティの分類

一昨日の人工知能学会合同研究会での杉山先生の招待講演はほぼ一般向けの内容だったが、いわゆる「人工知能」研究者コミュニティの分類が整理されていてわかりやすかった。「人工知能」研究者、というと日本では人工知能学会が代表のように言われるが、機械学習が専門で東大教授、理研AIPセンター長の杉山先生は人工知能学会コミュニティではない。

人工知能コミュニティは、この図にある「人工知能研究」「ニューラルネットワーク研究」「機械学習研究」の3つのコミュニティに分かれて、それぞれで研究が進められてきたと杉山先生は指摘をする。これは国内だけでなく、海外でも同様という。

もともと「人工知能」はダートマス会議から始まり、人の知能をコンピュータで実現しようという夢が根本にある。こうした「人工知能」の思想を受けてその研究を進めてきた「人工知能研究」「ニューラルネットワーク研究」が1次ブーム、2次ブームとそれぞれ発展してきた。

一方、これらとは別に、90年代からコンピュータサイエンスの研究者が進めてきた流れが「機械学習」コミュニティだという。杉山先生もここに含まれる。先の2コミュニティに対して、この「機械学習」コミュニティは、人の知能をコンピュータで実現するといった「人工知能」を自分たちが研究しているという認識ではないという。

だが、経済社会的に実用面から今のAIブームで「AI」として注目を集めるのはこの機械学習の流れにある。

研究者コミュニティはこの3つに分断しており、特に「人工知能研究」「ニューラルネットワーク研究」のコミュニティは機械学習の流れを飛ばして、「汎用人工知能(AGI)」を目指しているが、これら3つのコミュニティが協力しあって研究を進めていく必要がある、と杉山先生は指摘する。

コミュニティが違うというのは、それぞれの研究発表の場である学会や研究会などが異なるということを指す。

この図では神経科学や社会科学などコンピュータサイエンス以外も含まれるが、「人工知能」に関係する国際会議と関連分野は多岐にわたる。

 

ところで、杉山先生の講演から離れるが、コンピュータサイエンスだけでも、ものすごく大雑把にAI(Airtificial Intelligence)コミュニティとIA(Intelligence AmplificationまたはIntellifence Augumentation)コミュニティに研究者コミュニティは分かれている。なお、AIコミュニティは杉山先生の3分類を包含するもので、IAコミュニティはVRなどHCI系だと理解している。海外でも同様だということがジョン・マルコフさんと瀧口さんの本でかなり明確に見てとれる。

 

人工知能は敵か味方か

人工知能は敵か味方か

 

AIコミュニティとIAコミュニティは、思想の根本の違いから二分できるようだ。前者は人間の知能をコンピュータで実現すること、後者は人間を拡張または増幅するためにコンピュータを活用すること。ものすごくざっくりと社会実装については、前者は分析などソフトウェア、後者はインターフェイスとして実装されることが多い。とはいえ、社会実装ではソフトウェアとインターフェイスは切り離せない。これらのコミュニティが研究だけでなく社会実装がより近くなるにつれ、接点が増えるのは必然だ。

なお、AIコミュニティ(のうち人工知能学会の方たちの一部)もIAコミュニティ(のうち主にバーチャルリアリティ学会の方たちの一部)も四川料理が好きという共通点がある。私はもともと辛いもの好きだが、両コミュニティの方たちとそれぞれ別に四川を食べに行くうちに辛いもの耐性が付きすぎてしまった。

杉山先生の講演にあったように、3つの人工知能関連コミュニティの連携または融合も必要だし、そのさらに進んだ社会実装レベルではAIコミュニティとIAコミュニティの連携がより重要になっていくと考えている。ただ、その際に両者の思想は水と油のようにあまりにも違いすぎていることが時々気になっていて、そのあたりうまく舵取りができるような仕組みとか枠組みとか人とかってどういうふうなのかなあ、結局は市場原理なんだろうけどなあとか、よくもやもやしています。

 

コミュニケーションの未来はVR

2016年は「VR普及元年」といわれるけれど、2017年は「コミュニケーションVR元年」だと勝手に思っている。昨年来製品販売が相次ぐ、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)とコントローラーといったシステムをVRと呼ぶのなら、それらをネットワークに接続して人同士でコミュニケーションをとる「コミュニケーションVR」がVRの本命だと思っている。

オンラインのVR空間でコミュニケーションをするプラットフォームとしては、今年4月にFacebookFacebook spaceを発表したほか、日本ではclusterが6月から始まった。

Facebook spaceは同社が買収したOculusのHMDを使う事が前提になっているが、clusterはHMDのほか通常のPCのディスプレイでも利用できる。

また、コロプラ子会社の360チャンネルが今夏発表した「FACE」は、視線追従機能付きHMDの「FOVE」とカメラを組み合わせて、表情の情報を取得し、それをVR空間内のアバターにリアルタイムで反映させる。表情付きのコミュニケーションVRが可能になるというわけだ。

こうしたコミュニケーションVRのためのプラットフォームは増えていくだろう。

コミュニケーションのツールは、手紙、電報、電話、ポケベル、PHS、携帯電話、スマホとハード的に変化してくるとともに、ソフト的にもEメール、チャット、ビデオメッセージ、Skypeのようなテレビ会議とスピードが早く、情報量がリッチな方向へと進展してきた。コミュニケーションVRは当然、その延長線上にあるだとう。

っていう話を特集のメイン記事で書きたかったんだけれど、メイン記事では通りませんでした。ほかで書いたからいいんだけれど、でも、こういう避けられない未来、っていうのを今明確に書いておきたかった。

もう少しコミュニケーションVRについて。

HMDなど技術としてのVRは、ディスプレイの拡張だ。二次元で一定のスペース内だけだったディスプレイを3次元で360度にした。音声や触覚というのもあるが、視覚のディスプレイの効果が人の認知能力上最も大きい。

こうしたディスプレイの拡張によってコミュニケートできる情報量が圧倒的に増え、それによってリッチなコミュニケーションが可能になる、というのが最も単純な理解。現実のコミュニケーションの要点(そもそもバーチャルとは本質という意味だ)を抽出し、それを再現して提示する。それに加えて、追加の付加情報を提示する。コミュニケーションVRはそういったものだ。

でも、要点だけを抽出して提示するだけじゃなくて、付加情報や情報操作のあり方によっては、現実を「超える」コミュニケーションが可能になる。「超える」というのは、さまざまな点での定義ができるけれど、コミュニケーションにおいてはその機能から見ていくのが適切なのだと思う。

1989年に「バーチャルリアリティ(VR)」という言葉を最初に使ったコンピュータサイエンティストで起業家、音楽家でもあるジャロン・ラニアーは、当時すでに「バーチャル・リアリティの本当の効用はコミュニケーション・メディアという側面にある」と言っている。ここで言うコミュニケーション・メディアは電話のようなツールという主旨だけれど、情報伝達のために記号化できない、記号化によってこぼれ落ちる何かをすくい上げて提示できるのは、VRなのだと思う。

 

専門家と非専門家がひとつの目的に向かって一緒にわいわいするといいことあるよ

専門家と非専門家がひとつの目的に向かって一緒にわいわいするといいことあるよ

っていうことを、AI研究者の方たちに伝えたくて、今月の人工知能学会誌の小特集「マスメディアから見た人工知能」に「マスメディアから見た“AI”と専門家から見た“AI”のギャップを越えて 」という記事を書きました。記事っていうかエッセイ?

【会誌発行】人工知能学会誌 Vol. 32 No. 6 (2017/11) – 人工知能学会 (The Japanese Society for Artificial Intelligence)

 

小特集そのものは、鳥海さんの企画で、企画趣旨はここから読めます。

見出しは以下。

小特集「マスメディアから見た人工知能
小特集「マスメディアから見た人工知能」にあたって…………………………………………………………………………… 鳥海 不二夫 927
報道における「正確さ」と「わかりやすさ」の両立
 ─第二次ブームから第三次ブームへ─ ……………………………………………………………………………………………… 嘉幡 久敬 928
新聞記事に見る人工知能やロボットの言説の変化 …………………………………………………………………………………… 河島 茂生 935
現在のメディア空間における「人工知能」の語られ方 ……………………………………………… 吉永 大祐・小幡 哲士・田中 幹人 943
マスメディアから見た“AI”と専門家から見た“AI”のギャップを越えて ……………………………………………………… 長倉 克枝 949


朝日の嘉幡さんによるAI第二次ブームから今の第三次ブームに至る報道の話から始まり、河島さんによる第一次ブームから今に至る新聞における「人工知能」記事分析、田中さんらによる新聞やネットでの「人工知能」記事分析があります。

鳥海さんからの依頼は、メディアにいながら研究者の中にも入り込んでいる立場として書いて、というものでした。私は取材する側の記者ですが、人工知能学会では倫理委員をやらせてもらっていて、そういう意味ではアウトサイダーでありインサイダーでもあります。

両方の中にいると、それぞれのディスコミュニケーションが解消されるともっとおもしろいのになあ、と思う事が多々ある。じゃあもっとおもしろいことって何なのかなあと思って、ここ数年自分がやってきたことやエマちゃんをはじめとする仲間たちとの議論を振り返って考えてみたときに、一般的によく言われる「サードプレイス」みたいなものとして、専門家と非専門家が同じ目的に向かって一緒に議論したり行動したりする場の話を書くことにしました。そういう場が、コミュニケーション不全の解消に役立つだけではなく、もう少しメタに状況を捉えた時に、全体をある方向に進めていくことになるのだと考えています。経験則だけど。

学会誌自体はそのうちKindleで購入できるようになりますが、もし専門家と非専門家のコミュニケーションにご関心のある方いらっしゃいましたら、該当部分のpdfお送りしますのでご連絡くださいませ(不特定多数配布は禁止、特定の個人への共有可)。

人間関係をあたたかくするVR体験型パフォーマンス「Neighbor」

男女ペアでHMDかぶって体験する、体験型パフォーマンスの「Neighbor」が、昨日と今日、ICC(東京・初台)で体験ができます。

www.ntticc.or.jp

 前日の内覧会で体験、取材させてもらって記事を書きました。少しでも多くの人に体験してもらいたいと思ったから。

dot.asahi.com

https://www.instagram.com/p/BbCHIRnBifU/

https://www.instagram.com/p/BbCHKaaBYXV/

https://www.instagram.com/p/BbCHMZbBw_W/

https://www.instagram.com/p/BbCHOVGBOYn/

https://www.instagram.com/p/BbCHFkbhVyA/

体験後、HMDを外したら現実世界にもどり、なぜか爆笑してしまいました。

 

Neighborを知ったのは去年、藤井先生のFBの投稿。

grinder-man.com


当時のアーカイブは上のサイトから見られます。「人間関係をあたたかくするVR」というのが素敵だなあと、体験したいと思っていました。それが、今回ICCで体験できるというので、早速行ってきました。

藤井先生はVRで過去と現在の映像をシームレスに切り替えることで、目の前の現実世界とバーチャル空間を切れ目なく行き来する、代替現実(SR)システムを理研時代に開発しました。この仕組みを使ったアートパフォーマンスをパフォーマンスグループのGRINDER-MANらと制作してきて、今作はその3作品目になります。

2012年に発表された最初の「MIRAGE」は私も体験したのですが、現実と過去の区別がつかなくなるあいまいさ、世界がグラグラとする不安な感覚の中、ダンサーの方が自分に触れた時、横を通りかかった時のさっと風圧を感じる時、そうした時に現実の確かさを感じる、不思議な体験でした。

当時はリアルタイム映像の画質がそんなによくなくて、ノイズも入っているからよけいに過去映像との違いがわかりにくかった。同時に、映像の解像度やきれいさは、リアリティを感じるか否かには関係がないのだと感じました。

体験者はひとりでHMDかぶってその周囲をダンサーがパフォーマンスをするMIRAGEに対して、今回のNeighborは男女ペアの2人で体験する。この2人は、初対面の男女というルール。ダンサーの男女2人とともに舞台にあがり、体験者の2人はHMDを付けて、リアルタイム映像と過去映像が切り替わる中で、相手と手をつなぐように誘導される。

パフォーマンスの時間は約5分。体験後には、初対面の2人がまるで以前からの知り合いのように親密さが増す。

テクノロジーは人と人を分断する方向に向いがちだ。VRだってHMDかぶって一人の世界に入り込む。でもそうじゃない、人と人をつなぐようなテクノロジーの使い方ができないかといったときに、実はVRはコミュニケーションのためのツールなのだ。

桂さんの著書「人工現実感の世界」の中で、1989年に最初にVRという言葉を使ったジャロン・ラニア―は当時、「バーチャル・リアリティの本当の効用はコミュニケーション・メディアという側面にある」と言っている。ここで言うコミュニケーション・メディアは電話のようなツールという主旨だけれど、情報伝達のために記号化できない、記号化によってこぼれ落ちる何かをすくい上げて提示できるのは、VRなのだと思う。

ということでコミュニケーションのためのVRにとても注目しています。

 


 

「ブレードランナー2049」雑感 (ネタバレあり)

めっちゃ良かった。

映画『ブレードランナー2049』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

1983年の「ブレードランナー」はDVDで観たし、ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」もKindleで読んだくらいの一般教養程度の知識で、それ以外今作の事前知識はゼロで観に行ったが、すごく良かった。両質なSF映画。初日にIMAX 3Dで観てよかったし、これも一般教養として観るべきSF映画になるレベル。ただ、前作の予習は必修です。生命とはなにか、大きなストーリーとして見事につながっている。

以下気になった雑感メモ。思ったこと書きなぐったらめっちゃネタバレしてるわ。

 

自己保存と自己増殖、生命としての要件
前作では寿命4年のネクサス6型の自己保存がテーマだったが、今作のレプリカント製造はタイレル社倒産後に買収したウォレス社がになっており、すでにレプリカントの寿命はなくなり(!)、そのハードルはクリアされたようだ(前作で散々課題になっていた寿命延ばす話が今作開始5秒くらいであっさりクリアされてて何だったんだ感とまあSFってこういうものよね感と)。一方、生命としての要件は自己保存に加えて自己増殖、つまり繁殖を満たすことだ。

レプリカントが生殖能力を持つことは、生命としての要件を満たすことになる。今作が生殖がテーマになることは、レプリカントを介して生命を問ううえで自然な流れだろう。

 

相変わらずレプリカントのメカニズムはわからない
とはいえ、レプリカントが何なのか、科学的な説明は一切ない。まああったら物語として成立しませんが。

レプリカントは普通の人間と比べて超人的な能力を持つ。Kは怪我の部分を接着剤のようなものでくっつけるだけで怪我が治癒するし、ゲノムのシークエンスを目視で判定する。だが、解剖学的には人間そのものだ。この設定は前回と同じで、レプリカントか人間かの判別をするには、専用の装置で目を検査するほかない(前作であったようなチューリングテスト的な問答は今回は必要ないらしい)。それと今作では骨に刻まれた製造番号を顕微鏡のズームで確認して判断するという場面もあったが、これは人間の専門家は見落としていたから、一般的な判別方法ではないだろう。

で、どうやってレプリカントを製造するのかとか生命?維持システムとかレプリカントのメカニズムが気になるんだけれど、そこはわからない、というかそれが明確になったらこのストーリーは成立しない。

超人的とはいえ、解剖学的、肉体的にはほぼ人間と同じだ。一方で、レプリカントは「魂(soul)」を持っていないということになっている。その点において人間ではない、ということで奴隷のような労働に従事させられたり、人間から差別的な扱いを受けたりする。

あれ、でもこれってちょっと待って、人間社会で頻繁に見られることでは。つい数十年前まで黒人は白人社会において人権がなかったし、日本社会ではいまだに事実上女性に人権がないかのような場面も少なくない(というと反発もあるだろうが、まあ事実だし)。レプリカントという異質な存在を描くことで、人間社会の差別や偏見をも浮かび上がらせている。

 

二項対立ではない、自立と解放

前作では、人間とレプリカントの対立という二項対立が描かれた。前作の最後で人間であるデッカードレプリカントであるレイチェルを殺すことなく一緒に逃亡する。二項対立の物語はその時点で終わった。今作ではレプリカントは人間から解放され、自立することを志向する。対立じゃなくて、「ほっといて」ということ。

人間で警察でKの上司であるジョシは人間社会の秩序を守ろうと、部下であるレプリカントのKを使う。一方、レプリカントのラヴはウォレス社社長の命令に従って、Kを”使って”レプリカントの子供を探そうとする。秩序通りに、人間がレプリカントを支配する世界だ。ただ、レプリカントはその秩序から自ら解き放そうとする。終盤、Kはジョシに嘘をつき、嵐の中の海辺での戦いでラヴは殺すべき敵であるKにキスをする。

レプリカントが解放され、自立するために必要な要件はなにか。冒頭でKに殺されるモートンは、「奇跡をみた」という。レプリカントが子供を産んだのだ。その奇跡に、物語のすべてが集約される。それは神ができていくプロセスであり、宗教的でもある。

 

雪が示唆するキリストの誕生
キリスト教では、神の子イエス・キリストが誕生するのは、雪の日の夜である。前作が徹底して雨の映画である一方で、今作は雨、高濃度放射線の乾燥地帯のほかに雪が重要な役割をはたしている。

幼少期を持たないレプリカントに記憶を作るデザイナーであるアナ・ステリン博士にKが会いに行く日も、Kとデッガードが会いに行く日も、外には雪が降っている。ホログラムで世界を作って遊ぶのが好きなステリンは、ガラスの部屋の中で自分の周囲に雪を降らせる。Kが最初に会いに行った時に遊んでいたホログラムは、子供たちが誕生日会でケーキのろうそくの火を吹き消す様子だ。

奇跡の子供であるステリンが神の子であり、レプリカントが生命として自立して解放されることを導いていく様子が示唆される。

 

バーチャル彼女の存在感
Kの彼女はウォレス社製のAIとホログラムでできたバーチャル彼女のジョイだ。ジョイの存在感は大きい。レプリカントの娼婦マリエットよりも人間らしく描かれる。

VR好きの人は、虚構が現実を凌駕すると読み取るのかもしれない。だが、虚構は虚構でしかない、ということは作中で何度か描かれる。マリエットが言い捨てる「あんたの中身を見たけれど、空っぽだった」という一言が意味深だ。ジョイがKにつけた名前「ジョー」はいかがわしい広告の巨大なVRの裸の女性が通行人の男性に呼びかける名前だ。

 

結局のところ、主人公はデッカード
レプリカントの生命としての自立と解放の物語でもあるが、主人公が誰かと言えば、デッカードだ。Kの物語であるように描かれるが、実はKはある意味での狂言回しの役割でしかないのだと、終盤気付かされる。物語として、前作から引き続き、最初から最後までデッガードの物語だった。

DCEXPOでVRを体験する

今年もデジタルコンテンツエキスポ(DCEXPO)が昨日から3日間開催されています。

経産省などが主催するDCEXPOは、イベントや展示会が多い秋でも終盤に開催されますが、CEATECなど他のビジネス系イベントと比べるとゆるめで比較的来客が少ないため、ここ1年位のさまざまなイベントで体験しそこねたコンテンツを体験できる機会だと勝手にとらえています。

で、今年はどのイベントにいっても展示手法としてどこでも見かけるVRですが、ビジネスでもアカデミックともに新しいVRを体験できるのもDCEXPOの特徴かと思っています。

DCEXPO出展選抜の審査にVR系の人が多かったり、国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト(IVRC)の決勝戦が同時開催されたりと、もともとアカデミックのVR系コンテンツはDCEXPOでは多いですが、今年は去年に引き続きさらに増えた。あっちこっちでヘッドマウントディスプレイ(HMD)をかぶって体験するコンテンツで溢れています。

ということで、初日の昨日行ってきました。

今年はこれは体験したいと思って行ったのが、NHKの「8K:VRライド」。去年良かったのが、NHKの「8K:VR」というコンテンツで、これは8Kディスプレイを使ってHMDを使わずにリアリティの高い映像体験をするというもの。今年はさらに4D機能も追加された「8K:VRライド」というコンテンツになっていました。

展示は7階へ。

半球形ディスプレイに8Kプロジェクターで映像を投影し、椅子の部分は可動式でコンテンツに応じて動きます。コンテンツ連動ではないですが、正面から常に風が拭いてきています。映画館の4Dで画面が半球型になっているという感じ。視野全体にディスプレイが入るので、HMDではなくても高い没入感が得られます。

コンテンツは、東京を瞬間移動したり上空に飛び上がったりして、縦横無尽に行き来するというもの。上空に上がったり降下したりするときには、HMDかぶった時に感じるような、あたかも実際に上下しているかのような体性感覚がありました。実際に椅子ががたがたと動きので、その効果もありますが、視野全体に入る半球面ディスプレイの視覚効果も大きいと思います。

ただ8Kといっても、通常の8Kディスプレイで見る解像度だと思っていると、少しがっかりするかもしれません。もっと解像度は落ちて見えます。

それとやはり物理的にガタガタ身体を動かされるのは、不快感が伴うなあと。。臨場感ではあるんだけれど、たぶん、外部の力によって身体を動かされるということ自体が、人間にとっては避けられない不快な感覚なんだと思う。

そういう点で、いつもおもしろいなあと思っているのが東大の廣瀬・谷川・鳴海研究室の鳴海さんたちがつくるVR体験で、外部から無理やりではないやりかたで、臨場感というか新しい体験を作り出す。

同じ7階で、無限階段VRの出展がありました。

 単純に床にアルミパイプが置いてあるだけで、その上をHMDを付けてあるくことで、階段を昇り降りしている感覚が得られます。

整理券配布で体験できます。他の展示が1Fに集まっていて7Fはわかりにくいですが、まず7Fへぜひ。

メインの会場は1F。

ずっと体験したいと思って今回初体験だったのが的場やすしさんの「流動床インターフェイス」。

ただの砂場に下から空気を送り込むことで、砂をあたかも流体ようにするというもの。砂が敷き詰まっていますが、スイッチをオンにして空気を送り込むことで、このボールがずぶずぶと沈み込んでいきます。

DCEXPOは大学などアカデミックの展示も多く、VRブームでビジネスや開発よりの人たちが増えている中、研究としての(いい意味で)変態的な技術も多く楽しめます。そのひとつが「バーチャルな加速感覚を付加する高臨場感VRヘッドセット」。阪大・安藤さん、明治大・青山さんたちによるもの。安藤さんたちは前庭電気刺激(GVS)によって、人の動きをコントロールするという研究をずっとされていますが、今回は、GVS専用のVRヘッドセットになっていました。

おでこの両側と耳の裏側を拭いてから、ヘッドセットとイヤーマフのような装置を装着します。

普通のヘッドセットに電極を付けた手作り感が溢れますが、ヘッドセットを被るだけで電極を当てられるのは便利。

コンテンツはVRでよくあるジェットコースターでしたが、これは普通に視覚だけのVRだとまず酔います。そこにGVSを加えることで加速度を感じる感覚を制御して、酔いを減らす、というのがおそらく研究の狙いなのだと思います、、、が最初にGVSなしでコンテンツを体験してさんざん酔い、そのあとにGVSありで同じコンテンツを体験するというのは普通に辛かったので、2度目で酔いが低減したような気もしますが、すでに酔っていたから。。。

 

球体の中にはいってHMDかぶって体験するコンテンツ。やりたかった・・・。

自動で折りたたみをしてくれるセブンドリーマーズも出展していました。

メガネスーパーウェアラブルバイスを出展していました。社内で開発をして、分社化してB向けに来年から量産に入るとのこと。

シースルー型ではなく、ふつうのメガネに小さなディスプレイを取り付けるといった、手元にあるスマホをメガネに装着するような感覚です。普段使いにはまだまだですが、工場などで手作業をしながらディスプレイに指示書を出す、といった用途を想定しているそう。

超音波ディスプレイで知られる東大の篠田研からは、超音波を使って、狙った場所ににおいを届ける匂いディスプレイが出展されていました。

煙のように見えるのは、においが含まれた蒸気で、左からコーヒー、ミント、グレープ。奥に超音波を発生する装置が並んでおり、手前に座っていると、コーヒーの匂いだけをかぐようにしたり、ミントだけの匂いだけをかぐようにしたり、という切り替えができます。

地味にすごいなと思ったのが首都大の池井先生の研究室が出展していた、THETA2台を動かすことで、自身の分身のようにするテレイグジスタンスシステム。

画面左下にTHETA2台が台の上に載っていますが、HMDのを着けている私の視界はこのTHEATAに映る様子がリアルタイムで反映されます。首を振ってHMDを動かすと、TEHTAが載っている台が同期して動きます。

意外と簡単なシステムでテレイグジスタンスができていいなあと。

通り道に、ユニコーンガンダムもいました。

DCEXPOは明日まで。無料。

東京モーターショーに見るVR

東京モーターショーが、明後日から5日まで開催される。今日と明日はプレスデーで、行ってきました。

www.tokyo-motorshow.com

 

各社、EVとAIが目立つ出展でした。ところで、展示手法としてVRがもはや定番化してきていたのが興味深かった。

まず、モビリティの未来を展望するTOKYO CONEECTED LAB2017という展示。車の展示というより、コンセプト展示の位置づけが強い。

www.tokyo-motorshow.com

ここでメインになっている体験型展示が、「THE FUTRE」と「THE MAZE」。

まず「THE FUTURE」から体験しました。スマホのアプリから数個の質問に回答して、自分の未来のモビリティのタイプや乗り物のデザインを判定します。ちなみに私は「SHARE」でした。

全天周のドームに入ります。

こっちは出口ですが。

こんな感じで、ドームの内面に映像が投影され、未来のモビリティについての解説映像が流れてきます。

全天周ドーム内面360度映像の投影ですが、没入型ディスプレイ(IPT)といってもいいのかなあと。その意味で、これはIPTのVRとも言えるのかと(強引)。

VRと言えば今はヘッドマウントディスプレイ(HMD)のイメージが強い。「THE MAZE」は同時に30人がPSVRを装着して、VR空間で都市の道路を抜けてゴールまで向かうドライビングゲームです。

なかなかディストピア感漂って素敵な光景だなあと。

実際にHMDを付けてゲームをしている時間は10分弱ですが、あっという間に酔いました。椅子に身体を固定した状態で、あたかも運転席に乗って移動しているかのような映像が続くので、苦手な人は酔いやすいコンテンツです。

酔って気持ち悪くて早く終わりたかったので、あっという間にゴールできました。ゴール後に画面が動くので、それがまた酔いを誘います。ゲーム中はともかく、ゴール後に無駄に画面を動かすのは必要ないかな―と思いました。

このコーナー自体のコンセプトが「コネクテッド」なので、このゲームでも、同時プレイしている30人が同じVR空間内をドライブしていて、道でであったりすることでコネクトして、滑走した地図を共有する、といったコミュニケーション機能があります。

が、ちょっとコミュニケーション機能が弱いかなあ、と。30人同時接続プレイの意味はあんまりない。(個人的にVRの本命はコミュニケーションVRだと固く信じているので、コミュニケーション系VRに求めるハードルが高いです)

というかVRのイベントではなく、モーターショーなのでした。

車の展示エリアに戻ります。

EVと言えば、話題になるのが日産のリーフ。完全自動運転EVのリーフIMxの発表がありました。

で、そのコンセプト展示手法もIPT的なVR。

ディスプレイは3面ですが、一番手前のディスプレイのうち座席部分はディスプレイではなく、実物大の実体です。


171025_東京モーターショー日産LEAF

この映像は見ているだけで楽しい。しかしこれ、リーフnismoだ。

ほかにVRが目立っていたのがデンソー。ここは渋谷のVR PARK TOKYOかと一瞬見間違いました。

トヨタももちろんHMD系VR。

目玉のコンセプト愛の展示でも、体験展示がありました。

東京モーターショーは、車とお姉さんを見に行くだけじゃなくて、体験型展示も楽しめるかと。

岩井俊雄さんとメディアアートとテクノロジーと

岩井俊雄さんがICCで9年ぶりに講演をするというので、ICCへ。ICC20周年記念シンポジウム「メディア・アートの源流とその変遷 メディア・アートとICCの20年」を聞きに行きました。

www.ntticc.or.jp

 

岩井さんは絵本作家として人気だけれど、私以上の世代の人にとってはメディアアーティストとして影響を受けた人は少なくない。小学生の頃クラスの誰もが見ていたウゴウゴルーガも岩井さんが手がけた。当時はまだ珍しかったCG合成によるテレビ番組のさきがけだ。坂本龍一さんとのピアノ演奏と映像のコラボ作品は、誰しも一度はどこかで見たことがあるはずだ。

私が岩井さんを意識して知ったのは10年前で、上京して記者になってテクノロジー取材するようになってメディアアートに興味を持ったころに、ヤマハから発売されたのが電子楽器のTENORI-ON。でも結果的には、2007年のこの作品が、(現時点では)岩井さんのメディアアーティストとして最後の仕事になった。

その岩井さんが、子供時代から振り返り、メディアアーティストとしての仕事を解説、さらに実演まであったのが昨日のシンポジウムでした。講演は1時間の予定が2時間近くは話されていたんじゃないかしら。

今、岩井さんの話を聞きたかったのは、岩井さんの「転向」に対して、どこか腑に落ちないままもやもやとしていたからなのかもしれない。TENORI-ONを最後に岩井さんはメディアアーティストとしてではなく、絵本作家として子供たちに向けて絵本を書いている。

最後の対談でのICCの畠中さんの指摘のように、メディアアートはテクノロジーを使いながら、テクノロジーに対する批判や批評をもともと含んでいる。岩井さんは、映画やテレビといった映像メディアが発展し普及する中でこぼれ落としてきたものを、その時々の表現やテクノロジーをもって拾い上げてきたのだと思う。そこには、テクノロジーを使いながら、テクノロジーへの批判・批評が含まれている。

テクノロジーを礼賛し、その利便性を享受しながらも、私はどこかテクノロジーへの警戒を持っているし、健全な批判がないテクノロジーは健全な発展はないと思っている。単なるテクノロジー礼賛と活用にとどまらない、批判精神を含むメディアアートは、テクノロジーの健全な発達にも寄与すると思っている。

ところが、岩井さんは「今のコンピュータは不完全。子供の創造性を高めるには、今のコンピュータは役不足」として、コンピュータを捨て、紙と鉛筆に戻り、絵本作りやワークショップの活動をしている。

テクノロジーと人間の間に足りないものを拾い上げて、豊かな人間のために表現をしてきた岩井さんだからこそ、コンピュータから紙と鉛筆に戻ったことが興味深くもあるし、わからなくもないのだけれど、まだ30代の私たちは、それをあっさりと受け入れるには、まだまだ経験も人生も足りていないのだと思う。

イベントのあと、このもやもやした感じを友人に話そうとしてもうまく言葉が出てこなかった。「絵本作家です」と、子供のためのWSの話をされる岩井さんは、正直に素敵だと思った。でも、メディアアーティストとしてのお仕事の話はすごくどきどきした。どっちもほんと。ただ、岩井さんから大きく影響を受けているという友人の「岩井さんは絶望したんだと思う」という推測は、それを肯定することで、自分やその友人の10年後20年後に訪れるかもしれない絶望を予言してしまうような気がして、どう捉えていいのかわからない。たとえ岩井さんが人類に絶望したシャアのように、テクノロジーとそれを作り出し使う人間に絶望したのだとしても、この先何があるかわからないにしても、その友人には、絶望してほしくないなあと思った。

 

ともかく。岩井さんの講演は、岩井さんの子供時代からこれまでのメディアアート作品の解説と実演。愛知県で育った子供時代。おもちゃを買うかわりに、自分で作りなさいという親。中部電力の技術者だった父親。ものづくりの道具はなんでも買ってくれて、それで作りたいものを作った子供時代。制作ノートをつくり、完成図とメカニズムの説明図を絵に書いた。すでにある機械から、手を使わなくても傘をさせるマシンなど。

筑波大学で芸術を学ぶ。フィルム映画の制作をしたかったが、コストなどから難しいと、子供の頃に作っていたパラパラ漫画にヒントを得て、CGをツールをして使いながら、パラパラ漫画でアニメーションを作った。

19C末、リュミエールが映画を発明する以前の映像メディアにヒントを得て、制作をする。ひとつは「驚き版」。スリットが入った絵が描かれた円形の板をクルクル回して鏡にうつし、それをスリットからのぞくと、描かれた絵がアニメーションのように動いて見える。さらにその進化系のゾートロープでは、壁面にスリットが入った円柱の筒の内側に絵を描いた紙を巻きつけ、筒を回す。これはハードウェアをソフトウェアが分離したということ。

驚き版や、ゾートロープにヒントを得て作品を制作。「映画以前の映像メディアを、今のアイデアや技術でその可能性を開かせる」と岩井さんは言う。映画の登場で、驚き版やゾートロープのような他の映像メディアの進化は閉ざされてしまったけれど、それ自体が独自の進化を遂げることもあったかもしれない。それを、コンピュータやアイデアを使って、進化を進めてきたという。

例えば、円盤の上に立体物を敷き詰めた「時間層」では、回転させてスリットから覗き込むのではなくて、ストロボの光を点滅させることで、あたかもスリットから覗き込むのと同じような効果を出した。また、円盤上の立体物は、コンピュータで位置を計算して配置した。ストロボとコンピュータがない19C末にはできなかったことが、こうして20Cのテクノロジーで進化を遂げた。

なお、この「時間層」の実演はNHKの番組で放送され、その放送を見ていたスタジオジブリの宮﨑駿監督からオファーがあり、当時三鷹で制作中だったジブリ森美術館に展示するために、トトロの立体ゾートロープのインスタレーションを作ったという。今でもこれは現役で見られるとのこと。

パンチ穴の開いた長細い紙を使った手回しオルゴールがある。この紙を逆にすると、まったく新しい曲になる。そこからヒントを得て、作ったのが、楽譜ではなく、オルゴールのパンチ穴を、夜空の星のように描いて、そこを縦線が通り過ぎる時に音が出るCG作品。では、パンチ穴をコンピュータで入力してプロジェクターで映像を投影、それがピアノの鍵盤を通り過ぎると音が出るーー。そんなインスタレーションにつながった。さらにこれが、1996年の坂本龍一さんとの共演へと発展する。先のインスタレーションと逆に、坂本さんがピアノを演奏すると、その音がパンチ穴のように映像となって空間に投影される。ここで、楽器が変わると、音楽家はどう変わっていくのか見たかったと岩井さんは言う。

このあたりから、物質性やインターフェイスへと関心がうつっていたと話す。「作品それだけで完結するのではなく、関わった人によって変わっていく。いわば道具のような作品」と岩井さん。メディアアートの特徴のひとつはインタラクティブ性で人が関わることで作品となるものが多い。こうしたもののさきがけを作ってきたのも岩井さんなのだと今更ながら気付かされた。つまり、メディアアートとして方法としてできることは、岩井さんが10年前までにだいたいやりつくしている。

テクノロジーと人間が向き合う中で、そこからこぼれ落ちたもの、見逃されているもの、そういったものを私たちは考えて、それらをどうにかして補いたいって考えながら生きている。それは結構しんどいことでもあって、戦いでもある。でもまだ、絶望しないで戦っていたいんです、私はね。

「わたしを離さないで」はディストピアSFだ

カズオ・イシグロさんが、ノーベル文学賞を受賞した。これまでに「日の名残り」も読んだが、7年前に初めて読んだ「わたしを離さないで」は強烈だった。

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

 

今思うと、「わたしを離さないで」は、ディストピアSFだ。テクノロジーは、人の便利さの追求だけでなく、人そのものの健康にも大きく貢献している。ただ、ある人の生の追求が、他の人の生を犠牲にして上で成り立っているものなのだとしたら。

「わたしを離さないで」は、そんな話。人間を始めとする生物は、すべてが何かの犠牲の上で生きている。それは生物であれば自明。なぜなら、生物は自己保存と増殖のために、ほかの生物を捕食して、エネルギーを得なければならないからだ。人間も同様。

でも、人間が自らの生の追求のために、ほかの生物の生を奪うだけでなく、人間の生を奪うとしたら。それが、人間が作り出した人間だとしたら。

そういう世界を、幸せな世界と呼ぶのかしら、ユートピアと呼ぶのかしら、それともディストピアと呼ぶのかしら。

過去のブログを見ていたら、初めて読んだのは2010年10月。2010年は改正臓器移植法が施行された年だ。当時、科技部で厚労省担当だったから、直接担当していなかったとはいえ、臓器移植のニュースは関心を持って追っていた。

私が高校生だった1996年、臓器移植法が施行された。たぶん授業で先生が話題にしたのだと思う。意思表示カードを記入して、すべてを提供する、としていた。子供なりに、考えた末でそう記入した。

でも、いつくらいか、大学生くらいから、提供しない、と書き換えた。今は、意思表示をしていない。その時々に、それなりの理由があってのことだ。臓器移植についての私の考えは、いつも揺らいでいる。

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第1回肉肉学会カンファレンス雑感

農水省の原田さん、格之進の千葉さん、稲見先生、江渡さんらによる肉肉学会主催の第1回肉肉学会カンファレンスが昨日駒場で開かれました。格之進での講義の後に試食をする肉肉学会にはこれまで伺ったことがありますが、今回のカンファレンスは講演、アンカンファレンス、懇親会(BBQ)と盛りだくさんの中、研究者、生産者、料理人、消費者ら多様な分野の人たちが分け隔てなく議論できていて、そこから何か生まれていきそうで、なんかすごくドキドキしました。

午後は講演とアンカンファレンス、夕方からBBQというスケジュールでした。最初に、個人活動から起業して培養肉(純肉、クリーン・ミート)の開発・普及に取り組むインテグリカルチャー(株)の羽生さんの講演があり、その後、「肉肉学会への期待」と題して、肉肉学会を作ってきた江渡さん、人形町今半の高岡さん、格之進の千葉さん、調理シミュレータを開発する加藤さん、美味しさの研究をする河合さん、食研究と言えばの和田先生、食VRと言えばの鳴海さん、触覚からの食というじゅんじさん、生産者のための食の流通をつくるベンチャー、プラネット・テーブルの菊池さん、磯沼牧場の磯沼さんによるトーク

途中、おやつ休憩で、今半の揚げたてコロッケが届けられました。びっくりするくらい美味しかった。

続くアンカンファレンスは江渡さんによる企画で、その前の講演を聞きながら、参加者はポストイットに気になるテーマや話したいテーマをそれぞれ書いていく。それを元に次のアンカンファレンスが行われました。

アンカンファレンスとは、話すテーマから参加者で自由に決めて進める議論の仕方です。まず先程のポストイットを、なんとなく近いテーマごとに模造紙に貼り付けていきます。それを大雑把に6つのグループに分けて、それぞれのグループの模造紙1枚に先程のポストイットを貼ります。テーマは、チーム1は「純肉」、チーム2は「美味しいのメカニズム(心理・脳)、チーム3は「美味しさの化学・科学」、チーム4は「新調理法」、チーム5は「五感と美味しさ」、チーム6は「消費者と生産」に。

各チームには予め決められたファシリテーターがひとり付きます。ちなみに私はチーム1のファシリ。ファシリ以外は、自由に移動をして、自分が参加をしたいチームを決めます。だいたい1チーム5〜6人に分かれて、セッションがスタート。

1セッションは20分。チーム内で進行役、書記、タイムキーパー、発表役を決めて、議論を始めます。「何を話すか」から、予めあるポストイットを見ながら話し合います。

私が参加したチーム1は羽生さんの講演にあった「純肉」がテーマです。純肉は培養細胞によって作る肉。量産化によって肉の生産エネルギーを大幅に下げて環境負荷を軽減するというもの。背景には、3Dプリンターの普及とメイカームーブメントからパーソナルファブリケーションへと進んだ流れと同様に、細胞培養などのバイオテクノロジーを自宅で気軽にできるようになるというバイオテックのカルチャーもあります。一方で、純肉の社会受容やバイオテクノロジーを気軽に利用することへの倫理的な懸念もあります。そこで、私たちのチームでは、社会受容について話し合いました。ただそもそも、ルール作りや倫理的観点など、社会受容に向けて考慮、整備することが多い中で、環境負荷軽減以外に、消費者にとって純肉のメリットはあるのでしょうか。そこで、稲見先生から「パーソナルファブ肉」という単語が飛び出しました。自分で好みにあった肉を作れるというわけです。

これらの議論をまとめて、発表役が最後に各チームごとに発表をしました。個人的に興味深かったのがチーム6の発表です。チーム6はテーマは「消費者と生産」ですが、マーケティングや情報発信、リスコミのようなソフト面の要素がポストイットには多く含まれていました。

このチームが導き出した結論は「FOOD5.1」。プラネット・テーブルの菊池さんのトークでは、現在の大量生産・大量消費型の食品生産・流通を「FOOD4.0」として、その次の生産者から消費者へ必要な分だけ無駄なコストなく時間のロスなく流通をする流通改革を含め「FOOD5.0」という概念を打ち出していました。それをさらにアップデートしたものがFOOD5.1という、ウェルビーイング的観点が含まれていたものでした。

ポストイットを使ったワークショップはここ数年参加したり企画運営側だったりしてきましたが、江渡さんのアンカンファレンスはとても刺激的です。たぶん今まで2−3回参加させてもらったことがありますが、参加者みんなが関わって、次へ進めていこうと、参加者それぞれが気付きを得えらます。今回も、とても充実したアンカンファレンスでした。

アンカンファレンスのあとは懇親会BBQ。格之進のハンバーグ、ステーキ、今半のすき焼き肉での焼きしゃぶを、千葉さんと高岡さんが焼いてくださるという贅沢なBBQでした。率直に、最高だった。

農政長く担当して外交今見ている某社の記者の方と、今や担当分野だけ取材していると実体がつかめなくなっているっていう話を懇親会でしていて、本当にそう思いました。

また帰り道では、peripheralっていう単語が研究者から何度か出てきたけど、研究者だけじゃなくて記者にとってもperipheralが大事だと思っています。(でも中心を持っていないと周辺もなにもないけれど)

週刊誌に来てからは政治も経済も事件も土地勘のない分野や人のところに突っ込んできたけれど、でもそれって結構しんどい。前提や文脈、目的、見ている方向、それらの共有は難しく、何か共通項を見つけないとコミュニケーションはしんどい(コミュ障の自分にとっては。コミュニケーション強者の同僚はコミュニケーションについて考えたことがないと言っていて目からうろこだった)。

肉肉学会は「肉」という共通項で研究者、生産者、料理人、消費者ら多様な分野の人たちが集まってきて、同じ愛する対象があると、コミュニケーションしんどくないんだなあというのと、そこから何か生まれそう、というのでドキドキしました。

ちなみに炭の火消し(新品)はワインクーラーに使っていました。後片付けのときに知ったw運営スタッフのみなさま、素晴らしい会をありがとうございました!この後の展開が、とても楽しみ。

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展示物すべてが”フェイク”?「クローン文化財」のシルクロード企画展がとてもよかった

昨日から藝大で開催されているシルクロード特別企画展「素心伝心」は、展示物のすべてが失われた文化財を複製した「クローン文化財」で構成される展覧会だ。

バーミヤン石窟を始めとして、シルクロード仏教文化財の中には、近年の紛争など失われたものが少なくない。そこで藝大では、資料や三次元計測などを元にしてあたかも本物と同じような見た目や質感の「クローン文化財」を制作した。

複製技術推しなのかと、あまり期待せずに行ったら、展覧会としてとても良くてびっくりした。素人の私にとっては、仏像も壁画も、本物でも複製でも、多分区別がつかない。「クローン文化財」とはフェイク。本物ではない。だが、展示物が本物である必要性はいったいどのくらいあるのだろうか。「本物」がすでに存在していないという事実もまた、フェイクであるクローン文化財の価値を意味づけする。

10月26日まで開催している。入館料は1000円。

sosin-densin.com

まず入ると、すぐに気づくのが香りだ。まるでお寺の中に入ったかのような、お線香の香りがする。ここには、法隆寺金堂壁画と釈迦三尊像が再現された展示がある。

「触れる展示」も。複製ならではだが、複製とはいえクローン。質感なども本物の再現をしているという。

アフガニスタンのゾーン。

展示物が「本物」ではないということから、むしろ展示としての幅が広がっているのが興味深かった。たとえば、展示物に自由に触れることができる。部屋中にお線香の香りが充満する。指向性スピーカーにより、ラクダの足音がどこからともなく聞こえてくる。

 

デジタル技術によって、展示を豊かにしようという試みはこれまでもある。今回の藝大の「クローン文化財」も文科省COIという研究費助成事業の一貫として行われているが、10年位前にも、文科省ではデジタルミュージアムの基盤技術開発という研究費助成事業があった(事業仕分けとかいろいろあり途中で終了したが)。デジタルミュージアムのプロジェクトでは、「本物」にデジタル(映像投影など)によって情報を付加して拡張するという方向性がメインだったと記憶している。