人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

「細胞」はアートかサイエンスか?

 山中研の展示「ELEGANT CELL展」を見てきた。細胞を使ったものづくりの研究をしている竹内研とコラボして、会場でバイオの実験室を再現しただけでなく、細胞を使った作品が並んでいた。

 個人的には獣医学部の学生だったころに細胞培養をして扱っていたので、(研究テーマのウイルスを増やして検出するため。ウイルスは細胞内でしか増えない)懐かしさを感じるとともに、何かが少しひっかかった。

 なんだろう?

 ところで、バイオアートが、ここのところブームだ(と、10年前から聞くが、昨今は展示やイベントも多く本当に流行っている)。細胞などの生体素材が扱いやすくなってきたため、それらの素材を使った作品も作りやすくなってきたのもあるだろう。だがどうもこれにも違和感があった。

 バイオアートそのものは見に行くし、好きだ。でも、なにかが引っかかる。

 考えてみたら、「細胞」や「バイオ」をどう捉えるかという問題のようだ。それまでの個人の経験と記憶によって変化する。自分がサイエンスの対象として細胞を扱っていたという経験と記憶があるから、アートの対象として、考えを簡単に切り替えられなかったためだと思う。

 山中研はデザインの研究室だが、竹内研は細胞工学の研究室だ。つまりデザインやアートとしてではなく、本来はサイエンス、エンジニアリングの研究として細胞を扱っている。ただしこの展示では、山中研が全体のデザインをしてアーティストの鈴木康広さんが参加しており、展示としてはデザイン、アートの色が濃くなっている。

 竹内研の展示は、培養細胞を顕微鏡で見たり、コラーゲンを基盤とした細胞塊「細胞ビーズ」などを顕微鏡で見たりできた。この展示にはおそらく、両義性がある。

 細胞を扱ったことのない人やバイオの実験をしたことがない人にとっては、インキュベータや安全キャビネット、顕微鏡、その上のシャーレの中の細胞そのものが、アート作品のように見えるだろう。一方で、竹内研は細胞工学のトップ研究室だ。細胞ビーズなどの細胞を使ったエンジニアリングは、医療やものづくり分野への応用が期待されている。つまり、そこにあるのはトップ研究者の研究成果でもある。

 展示そのものはどちらとして楽しめる。そしてそれを可能にするのが、「ひと」だ。会場には、白衣(山中研の特注の白衣)を来たスタッフの人がいて、質問に答えてくれる。デザインを専門とする山中研と、細胞工学を専門とする竹内研のスタッフがいるのだ。これは贅沢なことだ。展示は静的に変わらないものだけれど、人と話すことでどれだけでも深めていかれる。

「この細胞は何を使っているのですか?」「3T3細胞です」

「細胞ビーズはどのようにできているのですか?」「コラーゲンのビーズの周囲に、細胞1000個ほどがくっついています。細胞は培養液の中でしか生きられないので、この展示では生きているのと同じ状態で固定した死んだ状態で展示しています」

 といったように。

 トークイベントにも行ったのでまたレポートを書こうかしら。とてもよい展示です。火曜まで。