人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、取材とか思ったこととかの備忘録

ダンスを記録する表記法「ラバーノーテション」と符号化出来ないものの価値の共有

 フランスからお客さん(日本人)が来ていて、食事に。彼女は社会学者で、音楽で言う音符のような、ダンスを記録する「ラバーノーテーション」という表記法を使って人の動きを記録して研究をしている。人の体の動きを符号化して表記するということだから、ダンス以外でも使える。彼女は、パリの地下鉄で通勤する人々をラバーノーテーションで表記する研究をしていたという。

 人の身体の動きや感情は、符号化して記録してデコードして再現する、というのが難しい。ラバーノーテーションだって、ダンスのすべてを記録できるわけじゃない。身体の動きを記録するだけだから、感情にまつわるところはすっかり抜け落ちる。でも、符号化出来なくて一過性だからこそ、価値があるのかもしれない。

 一方で、価値は評価に左右される。一般に、評価は、客観的であるために定量的なものが信頼性が高いと思われている。 

 符号化出来ないものー感情とかーの価値をどういうふうにみんなが共有できるのかなとここのところ考えています。個々人が体験すれば、価値を感じられる。けれども、みんなが体験しないと価値を感じられないのは、効率がわるい。ああ、でもここで効率がわるいと考えてしまうのがよくないのかな。みんなが体験できるようになるといいのかしら。