人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、取材とか思ったこととかの備忘録

フィルターバブルの中を生きている

 中立公平だとか、メタにものごとを見ているとか言ったって、私たちは常にフィルターバブルの中を生きている。「フィルターバブル」は、ネット検索などでアルゴリズムが最適化された結果、自分に近い、潜在的に望む情報にしかリーチできなくなり、あたかもフィルターに覆われた泡の中に閉じこもってしまうかのような状態を言う。

 5月実施調査の調査によると、主婦の3人に2人が参院選の実施を知らないと回答したという。新聞記者の友人がSNSで紹介をしていた。報道メディアの人間にとっては、参院選の実施を知らない人がいることが驚きだが、それもフィルターバブルにすぎない。誰もが新聞を読んでいるわけじゃないし、ニュースを見ているわけじゃない。

 インターネットはフィルターバブルを加速はしたけれど、ネットがない頃でも、人はフィルターバブルから逃れられない。人間はそもそも見たいものしか見ない。聞きたいことしか聞かない。知りたいことしか知ろうとしない。という無意識の性質がある。

 先週の無限回廊VRの体験会は、楽しかった。無限回廊VRは、以前記事を書いたが、要するにバーチャルリアリティ(VR)の新しい技術。体験会はクローズドで、参加者の多くはVR関係者だ。体験会に併設してLTと知見共有WSがあったり、原田さんの講義があったり、参加者が持ってきたHoloLensを体験させてもらったり、室内にもともとある光学迷彩や超音波のデモを体験させてもらったり、下手なイベントよりもずっと楽しい。おそらく、主催者や参加者らともともと共有しているものごとが多いからこそ、楽しめた。

 でもその楽しさは、フィルターバブルの繭の中の、ある種の心地よさもあるのかもしれない。

 私は研究者でも開発者でもない。ただのライターだ。取材は、いつもアウトサイダー。彼らの人生のある一点を覗き見して、サラッと一部をかっさらって、字にするのが仕事。でも、一部の取材先とはある一点じゃなくて、線だったりたくさんの点だったり、付き合いが長くなることも、増えた。もちろん、それによって見えてくることもあって、そうやって長期的な俯瞰した視点をもって字にすることもまた、仕事。

 一方で、そうやってインサイダーとアウトサイダーの中間のような位置に立った時、彼らの中にいるのが心地よいのは、フィルターバブルなんじゃないかと、どこかで引け目がある。

 そうじゃなくても、自分は常にどこかで居心地のいいフィルターバブルの中にいるのだということを自覚している。でも私は自分の足で出かけて行って、自分の目で見て耳で聞いて手で触れて全身で感じて、いろいろな人たちと話し、本を読み、少しでもフィルターバブルの外へと手を伸ばそうとする。たぶん、それが記者としての矜持で、それがなくなったら、記者じゃなくなるんだろうな。