人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、取材とか思ったこととかの備忘録

現状のウェブ文化へのジャロン・ラニアーの痛烈な批判

フリー、オープンネス、知の民主化、クリエイティブ・・・

そのようなキーワードをもってインターネットを礼賛する声は多い。だが、インターネットは本当に私たちを知的に、賢くして、幸せにしたのか。この10年、それは幻想だったことに多くの人たちが気付き、民主主義をアップデートするといった楽観的な議論を書き散らしていた言論人たちは、何も言わなくなっていった。

ジャロン・ラニアーは2010年の著書「人間はガジェットではない IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言」(ジャロン・ラニアー著、井口耕二訳、ハヤカワ新書)の中で、現在のインターネット文化全体覆う、イデオロギーサイバネティックス全体主義」に対して痛烈な批判を浴びせる。

ラニアーは1980年代に「バーチャルリアリティ」という言葉を最初につくったコンピュータ科学者で、ミュージシャンで、変人。そして、徹底した人間中心主義者だ。「技術の一番大事なポイントは、それが人々をどう変えるか」だという。彼が最初につくったVRのシステム「VR for 2」は、彼のお母さんとコミュニケーションを取るためにつくったのだという。

ラニアーがサイバネティックス全体主義と呼ぶのは、「オープンな文化やクリエイティブ・コモンズの世界の住民、リナックスコミュニティ、人工知能的アプローチのコンピュータサイエンスに携わる人々、ウェブ2.0関連の人々、文脈を考慮せずにファイスを共有したりマッシュアップする人々などだ。彼らの首都はシリコンバレー。その地盤は世界ーデジタル文化がはぐくまれている場所、すべてだ。ボインボイン、テッククランチ、スラッシュドットなどのブログがお好みで、旧世界にはワイアード誌という大使館を置いている」コミュニティ。要するにウェブのメインストリームにいる人たちだ。彼らは、フリーやオープンネスを推進し、あらゆるものをビット化し、固定化し、効率化し、ネットで共有する。さらにネットワークでつながったコンピューティングクラウドがどんどん賢くなり、超人間的になると嘯く。

ラニアーはいくつかの理由でサイバネティックス全体主義者たちを批判する。ひとつは、人間よりもマシン中心であること。そもそも人間はあいまいなものだ。ところがデジタルはあらゆるものをビットで切り取り固定化する。現実全てをビット化することは不可能だから、技術的にやりやすい部分だけをビット化する。その結果、人間は、窮屈な固定化されたビットの中に押し込められ、矮小化されることとなる。

もうひとつが、フリーとオープンネスは、商業メディアを駆逐しつつあることで、結果的に知的で創造性に富む文化を破壊しつつあるということだ。知的な情報を無価値化した。フリーと言えば聞こえはいいが、情報の対価を支払わないということは、価値ある情報の生産は保てなくなる。フリーとオープンネスによってクリエイティブな文化が育まれると言われていたが、現時点では概してそれは幻想に過ぎない。

ただし、本書ではこれらに対する解決策をラニアーはいくつか提示するが、いずれも歯切れが悪い。本書の発行は2010年。だが、今をもって同じ課題を私たちは抱えており、解決策を見いだせないまま、状況はさらに悪化している