人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

インターネットディストピア

昨日、エマちゃんに会いに駒場へ行ったら、博物館でマザリナードの展示をしていたのでふらりと入った。

マザリナードは、フランス革命直前の17世紀のフランスで宰相マザランに関連して出回った大量の文書だ。もともと、フロンドの乱と同時期に反マザランの書き手たちがマザランの批判の文書を書いたことを発端に、マザラン側の王太子妃らに対する誹謗中傷の文書が氾濫し、一方で親マザラン側はマザラン擁護の文書を書くなどして、フロンドの乱の6年間の間に5000〜6000の文書が溢れた。

文書の内容は、事実に基づいて論理的にマザラン批判するものから、虚偽の内容までさまざまで、書き手の間の党派間で対立が起こると、党派のプロパガンダのための事実の捻じ曲げも行われた。

マザリナードは8ページくらいで今の物価だと3-40円ほどで売買された。一般大衆が購読した。印刷技術の普及で、一般大衆にも知識が広がっていったのだ。だが、内容は事実かどうかといった妥当性よりも、誹謗中傷が過激な文書ほど高価で取り引きされ、王太子妃を侮辱する内容の文書は4倍もの値段がついたという。マザリナードはのちにコレクターたちの蒐集対象となったが、その際にも、過激な内容のものに高価な値がついた。

人は、見たい情報しか見ない、しかも、感情的で過激で下品で刺激的な情報を人は求める。淡々とした事実の描写よりも、感情的で刺激的な内容をあたかも事実とした情報の方がより強く拡散するのは、いつの世も同じことだ。

「インターネットディストピアだよ」

出版社で社長兼編集部長をしている元上司が、疲れた顔をしてため息混じりにそう言った。ネットが普及し、ろくな取材もせずに書かれた無料の記事がPVを集め、新聞も雑誌も売れず読まれなくなってきた。

20年前にインターネットが普及し始めた時、ネット界隈の人たちは、誰でも無料で情報を手に入れられ、自由に言論を発表することができ、知識は民主化され、民主主義がアップデートされると期待の声を上げた。

だが、実際に私達が経験してきたのは、濫造される質の悪い(剽窃だったり、デマだったり)コンテンツがPVを集めることでさらに量産され、取材や事実確認にコストをかけたコンテンツが駆逐され、「事実」が軽視される情報の流通だった。それによって、出版社や新聞社といった、コストのかかる質の高い情報を流通する企業のビジネスモデルは崩壊しつつあるのが現状だ。

welqの件は氷山の一角だし、インターネットディストピアは悪化する一方だ。

イギリスとのオックスフォード英語辞典は、今年の言葉として「post-truth」を選んだ。「客観的な事実や真実を重視しない」社会を指すと言う。Brexit、米国大統領選では、ネットやSNSに氾濫するデマ情報が結果に影響を与えたとされる。「事実かどうかは言論の構成には関係のない時代」になりつつある、いやすでにそうなってきている。

だが、そんな時代は嫌だ。事実を元に、論理的に議論ができる世の中がいい。なるべく多様な人の話を聞き、取材をし、事実に基づいて記事を書く。その後デスクと校閲さんの手が入った記事が印刷され、流通に乗る。そのようにして情報の質を保つ仕事をしてきた。私は私の仕事のやり方で全力で抵抗をする。

 

駒場はもう黄葉終わりかけ。きれいでした。