人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、取材とか思ったこととかの備忘録

「倫理」ブームと、「そもそも」から考えるということ

なんだか一部界隈で、「科学技術と倫理」というお題目がブームになっている。ここで言う「倫理」は、生命倫理環境倫理、情報倫理のいわゆる応用倫理とは少し異なるように見える。倫理、といってもESLI(ethical social legal issue)全般を含む。もっと言えば、「科学技術と社会のあり方を考えよう」といったばくとしたものだ。

なお、ブームになっている、というのは、情報の流れもあるが、いろいろなところで予算がつくようになった、ということ。情報、人の動きを加速するのは、結局はカネだ、この場合は政府の予算。

行政のカネの流れをみていると、ここ最近の「倫理」ブームに火を付けたのは同じくブームになっている人工知能だ。人工知能とシンギュラリティ、労働と雇用の問題、自動走行でのトロッコ問題と、「倫理」を考えよう、と声が出てきたのがここ1−2年。

「倫理」、というとまず、人文社会学系の研究者の領域だと考える。さあ「倫理」をやろう、となり、政府(科学技術政策の場合はだいたい文科省)は情報科学系(人工知能からの)といわゆる「倫理」に関する調査研究の予算を付けた。そして「倫理」をうたう研究者やプロジェクトが雨後の筍のように出てきて、(一部界隈で)猫も杓子も倫理と言っているというのが現状だと、観察している。

でも、それ自体はいい取り組みだと思う。情報化によって産業構造が変わりつつあり、それによって働き方や社会構造の変革も求められている中、情報技術と人間、社会のあり方をそもそもから考える、というのは、今求められているのは確かだ。

「そもそも」から考える。というのは現状の否定の含む。

だが、政府が予算をつけるということは、それが政策の推進を助けることで政府の安定化に貢献する、という大きな枠組み設定がそもそもにあるわけで、暗黙の了解として考えることができる範囲は決まっているようだ。

というのを強く感じたのは、先週末行ってきたある研究会。それは、先端的なテクノロジーの研究と、「倫理」についてそれぞれの研究者が発表し、議論をするという会だった。「倫理」側の専門家として、いわゆる科学技術社会論STS)分野の研究者3人が発表をした。

3人の発表を聞いて、奇妙に感じたのは、政治や経済の話題がほとんど出てこなかったこと。社会とか、市民とか、パブリックエンゲージメントといったキーワードは散りばめられているのに。

社会は、政治と経済の枠組みの中で、私たちは日々さまざまな活動をしている。だから、マスコミのニュースの多くは、政治と経済、それに事件などの社会のトピックスで構成される。それにもかかわらず、科学技術の研究者が「科学技術と社会」といったときに、政治や経済の話をする人ってほとんどいないよね、という話。

科学技術と社会のことを考えると、(1)現状の政治と経済の枠組みの枠内で最適化、またはハックする、(2)現状の政治や経済の枠組みを変えるような価値観を作っていく、の2通りがあると考えている。

で、あとからEちゃんとチャットをしていて、納得した。この日のイベントで研究者らが言う「科学技術と社会」というのは、「調整型」のことを言っているのだ、と。上記で(1)(2)に分けて考えていたことに近いことを、Eちゃんは「調整型」「再構成型」のそれぞれとして整理している。

科学技術と社会のことを考えるにあたり、「調整型」と「再構成型」の2種類があるとEちゃんは言う。いわゆるSTSなどで科学技術政策に介入し(ようとし)たり、科学技術予算を得て進めるたりするのは、「調整型」がメインだ。科学技術を推進して今の社会に実装し、うまくやりくりする(現政権だと、経済成長にいかに寄与するか、など「やりくりする」の目標設定は政府が行う)にはどうしたらいいのか?と考えて、調整していく。つまり、今の政治と経済の枠組みに最適化する、ということ(ハックする、変える、という思いで「調整型」を行っているのだとしても、現実を見ると最適化というか政策推進をスムーズにするためだなあ、、、と)。

一方で、「再構成型」とEちゃんが呼ぶのは、「そもそもから考えよう」ということ。これは必然的に、科学技術側から考えるのではなく、社会側から考えることになる。

科学技術と社会、といったときに、科学技術を主体に考える。でも、「再構成型」では、それで、本当の目的はなに?その科学技術と社会との関係をよくしていくのは、手段であって目的ではないよね?では、そもそもその科学技術必要なの?とそもそもから突っ込むということ。

「再構成型」を提案して実践しようとしているSTS研究者は、私は寡聞にして、Eちゃんくらいしか知らない。

ただ、ここ最近人工知能(というか情報技術全般)と、社会とのあり方や倫理といった議論が増えているのは(もちろん「調整型」もあるが)、社会のあり方、人間のあり方からそもそもから考えようと、という「再構成型」の流れなのだと認識している。