人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

消極的に生きる

他の人がどう見ているのかどう考えているのかどう評価しているのか、気になる。でも目立つのは恥ずかしい。自分の名前が前にでるのは恥ずかしい。抵抗がある。でも自分のやったことは認めてもらいたい。認めてもらうには、他の人に共感してもらいたい。でも認められたいと思っているって他の人に思われたくない。そもそも他の人たちって何が好きで何をどう考えて何を求めているんだろう。。。
 
他の人のことなんかわからない。他の人が何を求めているかなんかわからない。だから他の人に共感してもらうのなんて不可能なんだ。なんだか疲れた。もうめんどくさい。
 
と、毎晩のように頭の中で独り言ちています。
 
見て聞いて話して、記録して記事に書く。記者は目立たない、裏側の存在。表には出ない、よって外のほかの人に共感してもらう必要も、評価してもらう必要もない。そういう新聞や雑誌といった紙の世界の記者の仕事をしてきたつもりでした。
 
でも、情報の媒体は紙からネットへと移行しつつある中、情報を媒介するメディアの記者のあり方も、そういった昔ながらの記者からの変化を求められているように感じだしたのは、新聞にいたころでした。
 
ネットへの出稿が求められると同時に、編集委員クラスは、記者の名前でビューを稼げる記者が求められるようになりました。
 
ネットの世界では声が大きくて目立つ、人の感情を掻き立てる、共感を呼ぶ人たちが注目を集める。そして、そういう「積極的な」人たちが世界の正しさを作っていくような、そんな風潮になってきました。
 
難しいことをわかりやすく。おもしろく。共感を集めるように。
 
でも、本当にそうなんだろうか。もっと立ち止まって、答えを出さなくてもいいからじっくり考える必要があるのではないか。
 
ということで、目立たなくてもいいから、答えを出さなくてもいいか、ゆっくりとじっくりと考えることができるように、消極的に生きるというあり方について考えています。
 
「消極的に生きる」。
企画は通っているんだけれど、いまいちまだもやもやしていて形にできていないんだよなあ。。。いろいろとお世話になっているみなさますみません。。