備忘録

テクノロジーと人間

6年前の今日

東日本大震災から今日でちょうど6年。毎年振り返っているけれど、改めて振り返り。6年前の3月11日も、今日みたいに青空が広がる、良い天気でした。

2011年3月11日は、午前中はつくばの動衛研に取材。お昼くらい、帰りのTXで、その前日にインタラクションで取材をして書いた原稿を、土曜の夕刊用に出稿しなおすようにデスクから指示があり、いったん大手町の本社に向かった。出稿用の記者端末を持ち歩いていなかったので本社で出稿しなおして、歩いて霞が関へ向かった。

当時、本社にもデスクがあったが、厚労省記者クラブに所属していて、厚労省に常駐していた。15時から厚労省感染症関連の審議会の取材があったので、それに間に合うようにと、向かったのだ。

雲一つない良い天気だった。だから(花粉症とはいえ)、大手町から霞が関まで皇居を望む内堀通りを歩いていくのはいい運動で気持ちが良かった。

日比谷公園を通過したのが14時半ごろ。まだ少し時間があるので、厚労省が入っている合同庁舎5号館に近い日比谷公園内のカフェテラスで、カフェラテを頼んで出てきたところで、地面が揺れた。

地震は部署の担当なので、とっさに本社に上がらなきゃって思った(入社してすぐの2007年の中越沖地震では祝日だったが本社から呼び出しがはいり、「携帯鳴らすまえに本社上がれ」とキャップから怒らたものだった)。

携帯はすでに通じず、キャップからメールで安否確認と指示が入った。とりあえず友人や弟に安否確認のメールをして、合同庁舎5号館から記者クラブの同僚や取材予定だった会議参加者らがぞろぞろと出てきて日比谷公園(避難場所だ)に集まってくるのに出会った。

すでにタクシーは捕まる気配もなく、仕方がなく大手町まで歩いた。道中同じような人たちがたくさんいたし、皇居前広場には避難している人たちが集まっていたから、写真を撮りながら本社に戻った。

2009年に新築された新社屋の編集局は高層にあり、私の所属部署も26階だった。当初から編集局を高層にするなんて正気の沙汰じゃないと言われていたが、案の定エレベーターは止まっているので、26階まで汗だくになって階段を昇った(途中でへばって倒れている?おじさんたちがいた)。

その日帰れたのは2時くらいだったか。一旦止まった地下鉄が一部運転再開したので地下鉄で帰った。普段なら宅送りで帰るが、道路よりも再開した地下鉄のほうが早そうだったから。翌日からは早番と遅番でローテが組まれて、震災・原発対応が、部署が変わるまで続いた。

今日の14:46には黙祷をしました。