人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

インターネットの父の憂い

「インターネットの父」ティム・バーナーズ=リーの講演に行ってきました。慶應大から栄誉博士号を受けるということで、昨日、その記念講演会があった。
 
ティム・バーナーズ=リーCERNにいたときにWorld Wide Web(WWW)を考案し、ハイパーテキストシステムによって今のインターネットが普及する基盤を築いた。1989年にCERN内でWWWのもととなるハイパーテキストプロジェクトを提案し、90年に世界初のウェブブラウザでHTMLエディタであるWWWを開発した。CERNは93年にWWWを無償で開放、ティム・バーナーズ=リーは94年にMITに移り、World Wide Web Consortium(W3C)を設立して、WWWの仕様や標準化などを進め普及につとめた。
 
2000年代半ばには、大量のデータが流れ複雑化したインターネットの世界を科学の対象とする「ウェブサイエンス」をいう分野をつくり、研究を進めている。
 
ちなみにウェブサイエンスってなに?という話は日経サイエンスの記事が詳しい。こないだの人工知能の別冊ムックで読みました。
 
インターネットは、もともと分散型で、オープンな場だった。ところが、SNSの普及など特定のサービスによるユーザとデータの囲い込みが広がり、中央集約型でクローズドな用途が広がっている。
 
講演では、これまでのティム・バーナーズ=リー自身がWWWから始まり果たしてきた役割や仕事が語られたほか、このインターネットを巡る現状への懸念が示された。以下は、この懸念のあたりからの講演要旨をメモ。
 
            *  *  *
 
1989年にはいろんなことが始まった。色んな人たちがネットに繋いで新たなプロジェクトを始めた。これは分散型で、どこかの機関に対して何らかの許可を求める必要はなかった。それから28年たち、いろんなことがあったが、ウェブは少数派のものから多数派のものになった。今町行く人に「ウェブでやっていることは?」と聞くと、「Facebook」と返ってくるだろう。
 
SNSは分散型ではない。オープンスペースで色んな人がいろんなものを載せるのが本来のウェブだったが、SNSではそれができないようになっている。それぞれのSNSのサービス大手がいる。TwitterFacebookGoogle、それらは巨大な中央集約化されたデータベースを使っている。ネットは分散型でだれてもできることが素晴らしかったが、SNSはそうではない。中央集約型なのだ。
 
ネットのユーザは分散型を当たり前に使ってきた。ところが、今SNSに写真をUPすると、自分のLinkedInの同僚、Facebookの友達とそれぞれとやりとりはできるが、異なるサービス間では自由にやりとりができない。
 
これまで当たり前だったことができなくなってきている。コンピュータで例えるなら、昔のメインフレームの時代に戻ってきているようだ。ウェブはSNSのレベルではタコツボ化している。それぞれの中にデータが格納されている状況だ。
 
MITでコンピュータサイエンスを学ぶ学生の中には、ではこういう環境をどうよくするか試みている。例えば、ウェブのレイヤーでオープンプラットフォームを使いつつ、その上のレイヤーでデータを自分で管理するようにするとか、ウェブの中でSNSオルタナティブを作れないかといったようなことだ。
 
ただこれには個人情報の問題がある。自分たちのデータを、サービス提供者が握ってコントロールしている。かつてはフロッピーディスクに自分のデータを入れて自分でコントロールをしていた。そのような世界をもう一度取り戻すのはおもしろいだろう。
 
ウェブから生まれたことはたくさんある。私の話は悲観的に聞こえるかもしれないが、そうではなくて、間違った方向に行ったらどうなるのかという疑問を呈することは必要なことだと思う。ネットではそういう危険性がある。国によっては境界線を政府が管理しようとしていることも起こっている。
 
イギリスでは今後、ネットのレイヤーとウェブのレイヤーの間に規制が入る。つまり政府のスパイ活動が可能になるということだ。ウェブのトランザクションを記録する権利を国が持つ。あとで警察が確認したいと言えば、クリックの履歴がすべて確認されるだろう。プライバシーが覆される。健康やヘルスケア、保険にもかかわってくるだろう。私が癌について検索してクリックしていたとする。それをみた保険会社が、あなたには保険適用できないということを言うと心配する世界がくるかもしれない。
 
それから個人情報の悪用もある。お金儲けはすでにされているだろう。実際、Facebookはそのデータを使ってお金儲けをしている。それはひとつの問題であって、全体の問題ではない。ただ、問題は、ウェブが個々人に力を与えられていないということだ。
 
私は2年前に、ブロッキングやスパイ行為の心配をしないといけないという話をした。今、Twitterは中立的なメディアではない。RTでよいアイデアを拡散しようというのがTwitterのもともとの設計だった。Twitterユニバースという考えがあって、ひとりひとりが原子で、そのアイデアが拡散されていくのだというおもしろい実験があった。
 
ところが、実際は誰かが何かを言った時に、ネガティブな情報のほうが10倍大きく扱われる。これは人の性質なんでしょうか?そうなんでしょう。テクノロジーについてくる共通の要素なんでしょうか?そうなんでしょう。でも、この2つを分けて考えないほうがいい。
 
SNSは、人間とテクノロジーがつながっている。システムをつくるとしても、そのノード(接続点)は人。その間の働きはマシンとして考えてもいいが、結局は人と人のつながりなのです。Twitterは人をネットワークノードと言うかたちで繋いでいるだけ。ここの懸念をもっとするべきだ。だから例えばTwitterの会社は、情報の拡散をもっとよくみて、理論だったアイデアよりも、女性差別、人種差別、LGBT差別といった差別発言のほうがより拡散しやすいということを改めて認識して、システムを再設計をする必要がある。
 
米大統領選挙では、フェイクニュースが大きく取り沙汰された。ウェブは、広告収入が大きくなっているという問題がある。Tweetでより拡散できるなら、もっとクリックさせるためにより過激なことを言おうとする。それが事実とかけはなれていてもその傾向が強まる。お腹が空いた、食べ物がない、という状況なら、誰でも人類のためではなく、単にクリックさせる方法を選ぶのでは?
 
そうやって広告システムをトレーニングしている。まったく商用的な目的によって動いているのが現状なのだ。政治的な目的であっても同様だだ。ヒラリーがトランプに勝ってほしい人がフェイクニュースをTweetをする。BBCがそれを引用する。誰もがそれをクリックする。クリックすると広告収入が入って良かった、となる。そういうシステムになっているからだ。これは商業的システムを作った結果。Googleアドを使うのが、簡単なお金儲けの手法になっているからだ。
 
それからFacebookのターゲット広告の問題もある。一般に、ターゲット広告は有効だ。だから、SNSを使って何らかのグループに対してお金を使わせようとする時に非常に有効に働く。選挙期間キャンペーンで、怒りや恐れの対象などに応じて、人を32のグループに分けて、それぞれに対して有効な広告をシステムが配信するというターゲット広告がある。だが、これは、本当に倫理的なのだろうか?
 
もし、自分が政治団体に入っていたら、このようなターゲット広告はするべきではないというだろう。なぜなら、ターゲット広告では、ひとりの人物が全く違うことを、それぞれ異なった人たちに言えるようになるからだ。ある人には「子どもの教育は重要だ」と言い、一方で他の人には反対のことを言える。こういう全体像が見えていないのが現状だ。
 
この件に関しては、過去10年間心配してきた。ウェブの全体像に可視性がない、ということが私の懸念だ。そこでウェブサイエンスの研究を始めた。プロトコル(テクノロジー)だけではなく、サイコロジー(心理学、人間の性質)を見て、そのサイコロジーが経済とどう関係しているのか、全体のシステムの安定性を研究している。こういう多角的なものの見方を皆さんにも勧めたい。
 
単に急行列車に乗るだけではだめなんです。「とにかく早く、早く」という考え方の人がいる。「とにかく新しいSNSをつくろう」と。でも、スピードだけじゃだめなんです。どういう情報が使えるか、そういうことが重要。アイデアが普及するときのシステム、情報の量、人、これらすべてを考えて欲しい。
 
ウェブサイエンスが他の科学と違い面白いのは、マイクロスコピックにものを見えるところ。ある人がクリックをして何を買うのかという一連の行動で、その人びとの心理を考えた時に、マイクロスコピックに考えると、オンラインでの議論が実は非常に暴力的に圧倒されているという構造が浮かび上がってくる。どうすればこれを変えられるのか。小さな平衡状態をどうしたら作れるのか、というのが議題になっている。こうした悪い状況を、どういったパラメータで変えられるのか。
 
例えばTwitterでは本当にこの人が誰なのか、誰に対して過った悪意のある言葉を使ったのかを分析して、警告を出すのもひとつの方法だ。こういった、政府や学会による動きはこれまでも遅い。だが、そもそもウェブはそうやって生まれてきた。インテリジェントを使ってシステムを見て欲しい。そこから自分たちが何をとれるのか考えて欲しい。動きが非常に早い。でもしっかりと観ることで、SNSで起こっていることが人類にとってどのような意味を持っているのか、悪い影響を及ぼしていないのか。
 
2010年以降のこのコミュニティの動乱は、私は楽観的に前向きに考えている。システムを作ることによって、ネット上でこの国境を超えていける。ウェブ上に国境はない。同じ言葉で話せるのがウェブというプラットフォームだ。そういった考えは、まだ残っている。
 
みなさんにこの次のレイヤーを考えて欲しい。ネットの中立性、スパイ行為と戦わないといけないかもしれない。ウェブをオープンにするために戦うこともあるだろう。
 
私はロンドン五輪の開幕式に科学者として唯一出演した。その時に面白い実験があった。会場で、「これはすべての人のためのものです」とTweetしたのです。