人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

Peace Tech という考え方

テクノロジーは平和にも戦争にも使われる。歴史を振り返ってみれば、テクノロジーは戦争によって進展してきた。インターネット、コンピュータ、GPSなど今普通に使われている多くのテクノロジーの多くは、戦争のための軍事予算によって開発が進展した。そのテクノロジーを積極的な平和を進めるために進めていこうとするのが、Peace Tech という考え方だ。

Peace Techとはテクノロジーによる平和貢献、として、紛争地域で学生らにICT教育を提供しているのが、Edo Tech Global の金野さんだ。ルワンダ、ヨルダンではシリア難民向けに、10月からはボスニア・ヘルツェゴビナで、大学生にAIやVR、データサイエンス、ロボティクスなどを教えているという。現地の大学などのインフラを借り、講師は日本人でオンラインで講義をする。学生たちは、例えばシリア難民なら、ほんの数ヶ月前まではアレッポ大学でコンピュータ・サイエンスを専門としていたエリートの大学生。紛争で国を追われて勉強の機会を失われた学生たちだ。テクノロジーの専門だけではない。ソーシャルグッドマインドを養うための教育もあるという。

「戦争やジェノサイドの原体験を持つ若者たちは、平和実現へのマインドセットが強い。彼らがテクノロジーとソーシャルグッドマインドを持つような教育が、積極的平和につながる」と金野さんは言う。

こうして教育を受けた人たちがテクノロジーを積極利用していくことで、Peace Techにつなげるというのが狙いだ。

先日、広島県主催で広島市で開催された「国際平和のための世界経済人会議ミニフォーラム」の中で「テクノロジーと平和」というセッションに呼んでいただき、金野さんと一緒にパネル登壇をした。私は「デュアルユースとアカデミア」について話して欲しいという依頼だった。

デュアルユースとは、テクノロジーは軍事用にも民生用にも使えるという両義性のことを指す。だがすべてのテクノロジーはそもそもそうした両義性を持つ。むしろ今なぜデュアルユースが話題になったかに注意を払う必要がある。

2015年に新設された防衛省(防衛装備庁)の大学や研究機関、企業に対する基礎研究の研究費助成事業「安全保障技術開発推進制度」が発端だった。国による研究費助成は文科省経産省などさまざまあるが、防衛省による研究費助成事業は、戦後初めてのことだった。ということで注目を浴び、また防衛省が予算を出すということで、これは「軍事研究」に当たるのではないか、ということで、日本学術会議で昨年から議論が始まり、今年3月には「軍事研究禁止」としたこれまでの声明を継承するとの声明を出した。

そんなこんなでデュアルユースが話題になっているわけだが、とはいえ現実問題として、研究費助成の対象でもあり、テクノロジーの研究開発に携わるアカデミアの工学系研究者の間では、炎上や批判を恐れてこの話題はタブーに近くなり、思考停止状態になっているのが現状だ。

「デュアルユースとアカデミア」から考え始めると、こうしてスタックしてしまい、現実問題としてニッチもサッチもいかない。なので、この話をしたあとに、でもこのアジェンダ設定が違うんじゃないかなと思っていて、平和のためにどうしていくか、というこのイベントの趣旨からも、平和のためにテクノロジーをどう使っていくか、という問いから始めるほうが建設的なんじゃないでしょうか。というような発言をしたのは、このあとに話す金野さんへのつなぎのつもりだったんだけど、事前打ち合わせをひっくり返してすみませんでした。

ただ、そう発言したのは打ち合わせのあとにも登壇しながらもいろいろ考えた末の結論で、自分自身デュアルユースとアカデミアとアジェンダ設定をしてここ数年取材をしてきたけれど、なかなかどうにも建設的な方向にならない。切り口を変えたほうがいいんじゃないかと思っているところなのでした。