人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、取材とか思ったこととかの備忘録

岩井俊雄さんとメディアアートとテクノロジーと

岩井俊雄さんがICCで9年ぶりに講演をするというので、ICCへ。ICC20周年記念シンポジウム「メディア・アートの源流とその変遷 メディア・アートとICCの20年」を聞きに行きました。

www.ntticc.or.jp

 

岩井さんは絵本作家として人気だけれど、私以上の世代の人にとってはメディアアーティストとして影響を受けた人は少なくない。小学生の頃クラスの誰もが見ていたウゴウゴルーガも岩井さんが手がけた。当時はまだ珍しかったCG合成によるテレビ番組のさきがけだ。坂本龍一さんとのピアノ演奏と映像のコラボ作品は、誰しも一度はどこかで見たことがあるはずだ。

私が岩井さんを意識して知ったのは10年前で、上京して記者になってテクノロジー取材するようになってメディアアートに興味を持ったころに、ヤマハから発売されたのが電子楽器のTENORI-ON。でも結果的には、2007年のこの作品が、(現時点では)岩井さんのメディアアーティストとして最後の仕事になった。

その岩井さんが、子供時代から振り返り、メディアアーティストとしての仕事を解説、さらに実演まであったのが昨日のシンポジウムでした。講演は1時間の予定が2時間近くは話されていたんじゃないかしら。

今、岩井さんの話を聞きたかったのは、岩井さんの「転向」に対して、どこか腑に落ちないままもやもやとしていたからなのかもしれない。TENORI-ONを最後に岩井さんはメディアアーティストとしてではなく、絵本作家として子供たちに向けて絵本を書いている。

最後の対談でのICCの畠中さんの指摘のように、メディアアートはテクノロジーを使いながら、テクノロジーに対する批判や批評をもともと含んでいる。岩井さんは、映画やテレビといった映像メディアが発展し普及する中でこぼれ落としてきたものを、その時々の表現やテクノロジーをもって拾い上げてきたのだと思う。そこには、テクノロジーを使いながら、テクノロジーへの批判・批評が含まれている。

テクノロジーを礼賛し、その利便性を享受しながらも、私はどこかテクノロジーへの警戒を持っているし、健全な批判がないテクノロジーは健全な発展はないと思っている。単なるテクノロジー礼賛と活用にとどまらない、批判精神を含むメディアアートは、テクノロジーの健全な発達にも寄与すると思っている。

ところが、岩井さんは「今のコンピュータは不完全。子供の創造性を高めるには、今のコンピュータは役不足」として、コンピュータを捨て、紙と鉛筆に戻り、絵本作りやワークショップの活動をしている。

テクノロジーと人間の間に足りないものを拾い上げて、豊かな人間のために表現をしてきた岩井さんだからこそ、コンピュータから紙と鉛筆に戻ったことが興味深くもあるし、わからなくもないのだけれど、まだ30代の私たちは、それをあっさりと受け入れるには、まだまだ経験も人生も足りていないのだと思う。

イベントのあと、このもやもやした感じを友人に話そうとしてもうまく言葉が出てこなかった。「絵本作家です」と、子供のためのWSの話をされる岩井さんは、正直に素敵だと思った。でも、メディアアーティストとしてのお仕事の話はすごくどきどきした。どっちもほんと。ただ、岩井さんから大きく影響を受けているという友人の「岩井さんは絶望したんだと思う」という推測は、それを肯定することで、自分やその友人の10年後20年後に訪れるかもしれない絶望を予言してしまうような気がして、どう捉えていいのかわからない。たとえ岩井さんが人類に絶望したシャアのように、テクノロジーとそれを作り出し使う人間に絶望したのだとしても、この先何があるかわからないにしても、その友人には、絶望してほしくないなあと思った。

 

ともかく。岩井さんの講演は、岩井さんの子供時代からこれまでのメディアアート作品の解説と実演。愛知県で育った子供時代。おもちゃを買うかわりに、自分で作りなさいという親。中部電力の技術者だった父親。ものづくりの道具はなんでも買ってくれて、それで作りたいものを作った子供時代。制作ノートをつくり、完成図とメカニズムの説明図を絵に書いた。すでにある機械から、手を使わなくても傘をさせるマシンなど。

筑波大学で芸術を学ぶ。フィルム映画の制作をしたかったが、コストなどから難しいと、子供の頃に作っていたパラパラ漫画にヒントを得て、CGをツールをして使いながら、パラパラ漫画でアニメーションを作った。

19C末、リュミエールが映画を発明する以前の映像メディアにヒントを得て、制作をする。ひとつは「驚き版」。スリットが入った絵が描かれた円形の板をクルクル回して鏡にうつし、それをスリットからのぞくと、描かれた絵がアニメーションのように動いて見える。さらにその進化系のゾートロープでは、壁面にスリットが入った円柱の筒の内側に絵を描いた紙を巻きつけ、筒を回す。これはハードウェアをソフトウェアが分離したということ。

驚き版や、ゾートロープにヒントを得て作品を制作。「映画以前の映像メディアを、今のアイデアや技術でその可能性を開かせる」と岩井さんは言う。映画の登場で、驚き版やゾートロープのような他の映像メディアの進化は閉ざされてしまったけれど、それ自体が独自の進化を遂げることもあったかもしれない。それを、コンピュータやアイデアを使って、進化を進めてきたという。

例えば、円盤の上に立体物を敷き詰めた「時間層」では、回転させてスリットから覗き込むのではなくて、ストロボの光を点滅させることで、あたかもスリットから覗き込むのと同じような効果を出した。また、円盤上の立体物は、コンピュータで位置を計算して配置した。ストロボとコンピュータがない19C末にはできなかったことが、こうして20Cのテクノロジーで進化を遂げた。

なお、この「時間層」の実演はNHKの番組で放送され、その放送を見ていたスタジオジブリの宮﨑駿監督からオファーがあり、当時三鷹で制作中だったジブリ森美術館に展示するために、トトロの立体ゾートロープのインスタレーションを作ったという。今でもこれは現役で見られるとのこと。

パンチ穴の開いた長細い紙を使った手回しオルゴールがある。この紙を逆にすると、まったく新しい曲になる。そこからヒントを得て、作ったのが、楽譜ではなく、オルゴールのパンチ穴を、夜空の星のように描いて、そこを縦線が通り過ぎる時に音が出るCG作品。では、パンチ穴をコンピュータで入力してプロジェクターで映像を投影、それがピアノの鍵盤を通り過ぎると音が出るーー。そんなインスタレーションにつながった。さらにこれが、1996年の坂本龍一さんとの共演へと発展する。先のインスタレーションと逆に、坂本さんがピアノを演奏すると、その音がパンチ穴のように映像となって空間に投影される。ここで、楽器が変わると、音楽家はどう変わっていくのか見たかったと岩井さんは言う。

このあたりから、物質性やインターフェイスへと関心がうつっていたと話す。「作品それだけで完結するのではなく、関わった人によって変わっていく。いわば道具のような作品」と岩井さん。メディアアートの特徴のひとつはインタラクティブ性で人が関わることで作品となるものが多い。こうしたもののさきがけを作ってきたのも岩井さんなのだと今更ながら気付かされた。つまり、メディアアートとして方法としてできることは、岩井さんが10年前までにだいたいやりつくしている。

テクノロジーと人間が向き合う中で、そこからこぼれ落ちたもの、見逃されているもの、そういったものを私たちは考えて、それらをどうにかして補いたいって考えながら生きている。それは結構しんどいことでもあって、戦いでもある。でもまだ、絶望しないで戦っていたいんです、私はね。