しません。
おととい、東洋英和女学院は記者会見を開き、院長で同女学院大教授の深井智朗氏を同日付で懲戒解雇になったと発表した。深井氏はドイツ宗教学が専門で、2012年に出版したドイツ宗教学の専門書の中で神学者「カール・レーフラー」が書いたとする論文を取り上げている。ところが、同学院が設置した調査委員会は、この「カール・レーフラー」という人物は存在せず、この人物が書いたとする論文は深井氏による捏造と判断したという。
ただの研究不正というにはあまりにも稚拙なのか逆に手が込んでいるのか、いずれにしても私のように想像力の乏しい凡人からしたらなかなか想像を絶するというか、事実は小説より奇なりというか、深井氏の頭の中を覗いてみたい。
なお、カール・レーフラー氏においては、昨日さっそくTwitterアカウントが作られてました。
日本のみなさん、はじめまして。カール・レーフラーです。Twitterはじめました。#はじめてのツイート
— カール・レーフラー (@CarlLoevler) 2019年5月11日
なかなか趣深い。
ところで現実の世界では実在しない人物がTwitterの世界ではあたかも実在しているかのように振る舞われるのはよくあることですが、今回のニュースを知って、SF作家の樋口さんたちによるエメーリャエンコ・モロゾフを思い浮かべました。エメーリャエンコ・モロゾフ現象そのものが作品のようですばらしい。
存在しない作家エメーリャエンコ・モロゾフの作品を翻訳するという体で、みなさんが次々に作品を書いてUP、それをツイートすることで、あたかもエメーリャエンコ・モロゾフが存在しているかのように振る舞われる。
虚構新聞にしろエメーリャエンコ・モロゾフにしろおもしろいなあとニヤリとできるのは、それが虚構であること、「ネタ」であることをそれを知る人が認識できるように、当人たちが工夫をこらしているからだ。
空想はいい。妄想もいい。でも、それを空想でもなく妄想でもなくファクト(事実)であるとして、パブリッシュすることはNGだ。それが研究なら研究不正となる。
アタリマエのことだ。でもこのアタリマエのことが、研究不正にしろ不正統計にしろ虚偽答弁にしろあまりにも目について、このアタリマエの線引きが、どこかで崩れているのは、ただ個別個人特有の問題なのか、もっと社会に広く共有される世界線でもあるのか、もやっとします。