人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命ーー人は明日どう生きるのか」メモ

不快感がない、おしゃれ、ハイソできれいな未来が詰まっている。全体的にそんな印象を受けた。内覧会で観たから、会場にいる人たちもおしゃれでハイソな雰囲気をまとっていて、余計にそう感じたのかもしれない。

www.mori.art.museum

展示は、「都市の新たな可能性」、「ネオ・メタボリズム建築へ」、「ライフスタイルとデザインの革新」、「身体の拡張と倫理」、「変容する社会と人間」の5つのセクションから構成され、AIやロボット、バイオなどテクノロジーとその影響を受けて作られた作品100点以上が並ぶ。気になった作品をいくつかメモ。

最初の「都市の新たな可能性」から。会田誠さんの作品「NEO出島」は、霞が関や国会議事堂の上空に作られた架空の都市空間。そこは「国際人であり、かつ立派な人物」しか入れない「国際社会」だ。それが、日本の政府機関の上に構成されるのが皮肉がきいている。

aiboとLOVOTもいました。

セッションで最も気になったのは「身体の拡張と倫理」。

身体拡張(人間拡張、Human Augmentation)は、研究者をずっと見ていたから面白いなあと注目していて、そろそろ一般社会でも話題になっていいんじゃないかしらと、AERA時代に「2018年これが来る!」という新年特集でフューチャーしたことがありました。特集のトップに人間拡張の話を持ってきて、個人的には思い入れがあったけれど、まあ2018年にはそんなに来なかったよね。

ともかく、「身体の拡張と倫理」セクションでは、「MITのモラルマシンや、原材料ジェルを3Dプリンタやロボットを使って整形して食事を創るOPEN MEALS、ソニーCSLの遠藤さんの義足などの展示が。

 

「OPENMEALS」

このセクションではっとしたのは、ロボットアームが人のポートレートを写生をするパトリック・トレセ<ヒューマン・スタディ #1.5 RNP>。

5体(セット?)のロボットアームがそれぞれ机の上に鉛筆でポートレートを描いている。5体それぞれの動きはバラバラで描いている絵もうまかったり下手だったり、まるで小学校の美術の時間のようだ。そういった不規則性が、ロボットを生物らしく感じさせた。描かれるのが本物の生物である人間というのもおもしろい。

「変容する社会と人間」のセクションでは、進化したAlter(オルタ)がいました。以前メ芸で見た時よりも、ずっと生き物らしくなっている。

 

オルタがしゃべるようになっていました。

それと、視線追従しているような気がしました。オルタはしゃべると言っても、日本語にならない唸り声を上げるだけ。でも、視線が合うから、なんとなく対話しているような気分になる。生物らしさを感じる。

写生ロボットは顔がないけれど、その所作から生物らしさを感じた。一方でオルタは、その顔、特に目線と発話タイミングで生物らしさを感じた。「生物らしさ」は考えるネタが尽きなくて楽しい。

10年近く前に、デスクの企画で「らしさの科学」という夕刊連載を担当したことがある。生命とは?現実とは?性別とは?など毎回テーマを変えて、その定義がゆらぐような研究事例を紹介していく企画だった。また「らしさ」について考えてみたいなと思い出しました。

 

いわゆるメディアアートというのを、東京に来てから10年以上、いろいろなところでたくさん観て、体験してきた。アートとテクノロジーとか、アートとサイエンスはいつも興味がって、(無理やり)仕事として取材していた時期もあったし、展示やイベントがあれば観に行く。

作者がアートとして作ろうとそうでなかろうと、ある種のロボットのように、その技術とその存在だけで体験者や鑑賞者の認識を殴って揺さぶりをかけてくるようなテクノロジーは、もうそれだけで強いアート作品だ。でも、サイエンスやテクノロジーを「使って」アート作品を作ろうという恣意性が垣間見えると、どうも揺さぶられない。作者の意図を読み取ろうとしてして興ざめしてしまうみたい。