人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

「マスタースイッチ」(ティム・ウー)

 コロンビア大学法律学教授で、「ネットワーク中立性」を主張したことで知られるティム・ウーの2011年の著作(日本語訳は2012年発売)。20世紀米国での情報通信産業、メディア産業について企業とキーマンの物語を描く中で、同産業で繰り返されてきた「サイクル」を浮かび上がらせ、情報通信産業、メディア産業における「独占」と「自由」のあるべき姿を考察する。

 

マスタースイッチ

マスタースイッチ

 

 
 nkgw先生にだいぶ前におすすめされたのが積ん読になっていたので年末に読みました。ただ、インターネット業界についての記載もあるものの、書かれたのが2011年と比較的古いので、最近の課題として明確になっている巨大IT企業によるデータ占有やアテンション・エコノミーなどは言及されず、ネット以前の話を中心に読む方が学びがあります。情報通信産業、メディア産業について歴史的事実を抑えてそこから学びを得るという点で「思考のための道具」と並んで読んだほうが良い本でした。


 本のタイトルのマスタースイッチとは、主電源スイッチのこと。メディアは人々の情報源となり、言論の生殺与奪の権を奪いかねない。著者はメディアは「世の中のマスタースイッチ」だとする。マスタースイッチは、情報通信産業、メディア産業が握る。なぜマスタースイッチが重要なのか。著者は書く。


 このマスタースイッチが牛耳られると、ジョージ/オーウェル著『動物農場』の一節ではないが、「ごく一部の市民がその他大勢よりも“特別待遇“なのに平等と言ってはばからないような独裁政治」が生まれるのだ。


 著者は、情報通信・メディアに関連して、新しい情報技術の発明→新しい産業の誕生→開放期→産業界の強力な力による支配(独占)の4段階の「サイクル」を繰り返しているとして、20世紀米国での電話、ラジオ、テレビ、映画を振り返り、最後に目下のインターネットもこの「サイクル」に当てはまるのかと考察する(が、前述の通り2011年時点での考察なのでインターネットについてはかなり古く感じる)。


 産業の担い手である企業とその共同体などは、経済性・機能性などの理由から最終的に「独占」に至る。経済思想だけではこの「独占」の問題は十分に吟味されておらず、経済合理性だけを考えると「独占の何が問題?」ともなりかねない。だが、著者は「情報」が一般的な商品・製品とは異なるとして、「独占」の弊害に「表現やイノベーションの抑圧」を挙げている。ただし著者は「独占」そのものを否定しているわけではなく、表現やイノベーションが抑圧されないように「独占」と「自由」の適切なガバナンスが重要とし、そのための「分離原則」と「基本的な倫理原則」を説く。


 というのがこの本の要旨だが、読んでいてためになるのはそれよりも、情報通信・メディア産業の豊富な歴史的事実の具体例でした。


 郵政省などを経てベルの会社に入り電話普及に努め、新規参入する振興電話会社を買収したり駆逐したりしながら、政府を巻き込んでAT&Tの独占市場を作り上げたセオドア・ヴェールらAT&Tの物語は、新しい技術が市場を形成し社会に普及していくのは、技術の真新しさや利便性といったそんなナイーブな話ではなく(もちろんそれもあった上でだけど)、ときには(というかしょっちゅう)法廷をも戦場とした仁義なき戦いなのだと改めて実感しました。技術の普及というのは、決して「良い技術は売れる、普及する」という単純な話ではない。


 AT&Tを始めとする独占企業による占有は、言論やイノベーションを阻害する。その一つの例として取り上げられたのが、通話者の声が周囲に聞こえないように、100均で売っていそうなカッブ型器具を消音器として電話機につける製品を開発した「ハッシュ・ア・フォン」がAT&Tの裁判によって最終的には市場から撤退することになった攻防。ハッシュ・ア・フォンは非純正品パーツを導入というイノベーションであり、著者は「最新のイノベーション理論の先駆け」と書く。なおハッシュ・ア・フォンには、後にインターネット、ARPANETを推進するベラネックとリックライダーが関わっていたというのは興味深かった。


 このように、時代と形、登場人物を変えて何度も描かれるのが、情報産業・メディア産業において、独占企業が、ありとあらゆる手段を使って新規参入する企業を市場から排除していった歴史的事実だ。政府による規制を受ける情報産業では、そのためには独占企業と政府との緊密な連携が図られる。


 興味深い事例のひとつが、「競争促進による規制緩和で、独占市場を形成した」1984年に分割されたAT&Tの復活劇だ。情報通信を担う企業が一社独占であることは、情報統制が国家安全保障につながる政府にとってもメリットがある。著者は書く。


 2008年に国家安全保障の法案に、米国民に対するスパイ行為に関してAT&Tベライゾンは過去にさかのぼって訴追を免除されるという法案が議会を通過、この問題は話題に登らなくなった。訴追免除のおかげで、過去も含めて政府のスパイ活動が明るみにでににくくなった。
 その代わりに教訓が残った。通信メディアへの依存度が高い時代になって、情報やコミュニケーションに権力が集中すればするほど、政府は独裁的に振る舞いやすくなる。すべての人々がネットワークで結ばれる世の中だ。電話会社がここまで減少して、簡単に話がまとまるようになれば、我々のリスクは大きくなる。


 情報通信産業・メディア産業の20世紀を振り返り、著者は「長期的に情報産業が競争状態にあることが例外的で、独占が状態である。新発明の出現食後や反トラスト法による企業分割で生じた短期間の開放期を除けば、この産業の歴史は、大部分が支配企業の物語だ」と言う。では、やはり「独占」からは逃れないのか。そこで著者は、公権力と同様に、特に情報の「創造」「伝送」「展示・公開」に関わる部分での、企業という私権力をしっかりと統制することの必要性をとその具体的方法としての「分離原則」「倫理原則」を最後に提案する。