人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

「デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する」を読んで、デジタル片付け中

 

 

ネット依存やらスマホ依存やらゲーム依存やら言われる昨今、スマホを手放せなくなってしまった現代人に向けて、著者は「有益かどうかは問題ではない。主体性が脅かされていることが問題なのだ」として、テクノロジーの行為依存のメカニズムからその弊害、そこから主体性を取り戻し健全に生きるための具体的方法を提案する。ただし、著者の視点は決してテクノロジーを否定するテクノフォビアのそれではなく、テクノロジーに支配されるのではなく、主体性を持ってテクノロジーを便利なツールとして使いこなすという極めて実用的なもの。

スマホ依存・Twitter中毒を自覚していたので、「デジタル片付け」を実践してみることにしました。 

スマホからSNSアプリを削除、push通知をゼロにした

デジタル片付けの方法は以下の通り。


①30日のリセット期間を定め、必ずしも必要でないテクノロジーの利用を休止する。
②この30日間に、楽しくてやりたいのある活動や行動を新しく探したり再発見したりする。
③休止期間が終わったら、まっさらな状態の生活に、休止していたテクノロジーを再導入する。その一つひとつについて、自分の生活にどのようなメリットがあるか、そのメリットを最大化するにはどのように利用すべきかを検討する。

①ではまずそのテクノロジー(具体的にはスマホアプリなど)が自分の生活や暮らし「必須」かどうか判断します。「必須」というのは「便利」ということではなく、不可欠という意味です。不可欠ではなくても「便利」だから必要というものは、運用ルールを定めます。

SNSの消費時間削減」「日常でわからないことがあったら何でもかんでもその場で条件反射でググる癖を抑制する」という観点から、iPhoneiPadからChromeTwitterメッセンジャーを削除(Facebookアプリはもともと入っていない)。その上で自宅用のMacbookからはTwitterFacebookInstagramをログアウトして、基本的にiPhoneiPad、自宅PCからはSNSは見ないルールにしました。一方、仕事に支障が出るため、会社用PCでのみTwitterFacebookを利用することにしました。四六時中会社PCを持ち歩いているので、必要なときにはSNSにはアクセスできます。

SNS利用はTwitterが多いので、Twitterで何を見ているのかを考えてみたら、もともとはニュースなど仕事用情報収集でした。かつてGoogleRSSリーダーがあったころはRSSで情報収集していたのが、GoogleRSSリーダー亡き後当時のFeedlyが使いづらくて、それまでほそぼそとやっていたTwitterGoogleアラートへの依存度が高まったんでした。ということで、Feedlyを今一度見直して使いやすく整理整頓して、Twitterのフォローを大幅に減らしてほぼ友人・知人のみにしました(Twitterのもう一つの利用は友人・知人と雑談のため)。

また数日だけれど特に不便なく、極めて快適です。スマホは常に持ち歩いていますが(万歩計兼ねているので)、元々メール、slack、LINEの通知は切っていて電話としての通話機能もなくしている上にその他SNSを削除したため、push通知は基本ゼロになりました(防災アプリだけはあり)。push状態がゼロというのは邪魔される可能性がゼロのため、これまでもpush通知はメッセンジャーくらいだったものの、それがゼロになるのはストレスフリーです。だいたいPCを開いている時間が一日の中で少なくないので、メッセンジャーにしてもリアルタイムで対応する必要も特にない。。

自己決定権を取り戻す

デジタル・ミニマリズムとは、「自分が重きをおいていることがらにプラスになるか否かを基準に激選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学」とのこと。そもそもミニマリズムは「少ないほど豊かになれる」という考え方で、モノのミニマリズムについてはこんまりだとか断捨離だとかでしょっちゅうブームになっています。デジタルでも同様に、1日とか数日とかスマホを一切持たないという「デジタル断食」だとか「デジタルデトックス」だとかもしばしば雑誌の特集になるけれど、ここで言うデジタル・ミニマリズムは、それともまた一線を画する。スマホを一時的に使うのをやめましょう、という話ではない。著者は書く。

デジタル・ミニマリズムの実践は、基本的に実用主義の実践と変わらない。デジタル・ミニマリストは、新しいテクノロジーを大事な目標に向けた歩みを支援するツールとみなす。テクノロジーそのものには価値を見出してはいないのだ。何らかの小さなメリットがあるというだけでは、人の注意をむさぼり食う小鬼のようなサービスを生活に取り入れる正当な利用とは考えない。代わりに、大きなメリットを生むような限定的で意識的な方法で新しいテクノロジーを応用しようとする。

これは、いったん私達から奪われた自己決定権を取り戻す取り組みとも言える。では、スマホやアプリなどの新しいテクノロジーを使い、それにどっぷり浸った日常を送る私達は、それを自ら選択し、決定してきたのではなかったのか?

スマホアプリ、SNS、ウェブなど新しいテクノロジーの多くのビジネスモデルは広告モデルで、つまりサービス提供企業にとっては、そのサービスの利用者・利用時間が多ければ多いほど儲かるという仕組みだ。当然、ユーザーがそのサービスへの依存度を高めるように設計されている。

そこで著者は引用をして以下のように書いている。


①新しいテクノロジーは行為依存を助長するのに適したツールになる。
②新しいテクノロジーへの依存に認められる特徴は偶然ではなく、巧妙にデザインされた機能によって引き起こされている。

ということで、これらのテクノロジーをその真新しさと利便性を持って使いこなしているつもりでいる私達は、サービス提供企業の目論見通りに行為依存の状態に陥り、自己決定権を奪われた状態に簡単になりうる。重要なのは、自分にとって必要なことを自分で見極めた上で、自身の行動を自身で選択し、決定すること。テクノロジーを否定しているのではなく、それをうまく使いこなすためのデジタル・ミニマリズムの提案だと理解しました。