人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

次々と新しい感染症が発生するのはなぜかー「ウイルスは悪者か お侍先生のウイルス学講義」

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に限らず、これまでヒトの間で流行していなかった新しいウイルス感染症の流行は、しばしば発生しています。その多くは、ヒト以外の動物のウイルスが変異してヒトの間での流行を引き起こす人獣共通感染症。ではなぜ次々と新しい感染症が発生するのか?「ウイルスは悪者か お侍先生のウイルス学講義」は、そんなウイルスの生態から、ウイルス研究者の生態まで描く。COVID-19の感染拡大に伴い、世間のウイルスへの関心が増しているのか、3版まで増刷されていました。

ウイルスは悪者か―お侍先生のウイルス学講義

ウイルスは悪者か―お侍先生のウイルス学講義

 

 著者の髙田礼人先生は、北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター教授で、エボラウイルスやインフルエンザウイルスの研究者として有名です。この本は髙田先生と北大獣医学部微生物学教室のウイルス研究ノンフィクションとしても大変おもしろいですが、ウイルス学や先生のご研究についてわかりやすく紹介されています(多分こっちがメイン)。

なぜ次々と新しい感染症が発生するのか

そもそも人類の歴史は感染症(疫病)の歴史そのものというくらい、人と感染症は切っても切れない関係ですが、1928年にフレミングが世界最初の抗生物質であるペニシリンを発見し、その後抗生物質が普及することで、多くの細菌性感染症がコントロールできるようになっていきました(耐性菌の問題はでてきたにしろ)。また、ワクチンの普及もあり、WHOは1980年には天然痘撲滅を宣言するなど、人類は感染症との戦いに勝利したとも言われたこともあったそうです(って昔微生物の授業で習った)。ところが、1981年にエイズ患者が初めて発生し1983年にその病原体であるヒト免疫不全ウイルス(HIV)が分離。他にも次々と新興感染症が発見され、新興・再興感染症が重要視されるようになりました。

中でも、1997年のH5N1鳥インフルエンザ感染症、2003年の重症急性呼吸器症候群SARS)、2009年の新型インフルエンザ(H1N1)、2012年の中東呼吸器症候群(MERS)などは大きな話題になりましたが、新興感染症の発生自体は毎年のように世界各地のどこかで起きています。

これらの新興感染症の多くは、すべてヒト以外の動物にもともと感染していたウイルスが、ヒトへの感染性と病原性を獲得して、ヒトの間で流行が広がっていった人獣共通感染症であるというのが特徴です。

ウイルスは動物などの宿主に感染してその宿主の細胞のメカニズムを利用して増殖しますが、一般に宿主特異性が高く、本来の宿主以外には感染しません。ところが新興感染症の多くでは、もともと他の動物を宿主として感染するウイルスが、変異をして(ウイルスは単純なゲノムを持っているので常に変異をしているというくらいに容易に変異をする)たまたま人間に感染しやすくなりヒトの間で流行が広がっていくというのが一般的な見方です。特定の生物を宿主とするウイルスが、他の生物に感染していく流れを髙田先生は以下のように分類しています。新興感染症として問題になるのは、このうちの(b-1)です。

(a) レセプターを含むさまざまな宿主因子の形状が適合せず、その生物に感染できない。

(b) 偶然にもレセプターや宿主因子の形状が適合し、感染に成功。

 (b-1) しかし、宿主生物の免疫システムとの折り合いがつかなかったり、ウイルスの増殖能力を調節できなかったりで、ときに死に至る重い病気を引き起こす。

 (b-2) 感染したうえで、宿主生物にそれほど重い病気を引き起こさない。

では、どうしてこのような人獣共通感染症の発生がヒトの間で次々と起きているのでしょうか。髙田先生はこの本で、その理由として以下のように「開発によって野生動物と人間社会との接触が増えた」「ウイルス検出技術の発展と簡便化・情報通信技術の発達と普及」「人間社会のボーダーレス化とグローバル化の3点をあげています。

 これら新興感染症たる人獣共通感染症が、開発途上国と呼ばれる地域で多発しているのは偶然ではないだろう。近年の急激な開発により、これら病原体の自然宿主たる野生動物の生態や行動圏が撹乱されている。それにより、それまでは大きく隔てられていた野生動物と人間社会との接触が増え、偶発的な感染が起こるようになった。そのなかに、ヒトに対して高い病原性や致死性を示す病原体が存在し、それが人間の脅威となっているのだ。
 また、新興・再興感染症が近年とみに報告されるようになった要因として、ここ数十年でのウイルス検出技術の格段の発展と簡便化、さらには情報通信技術の発達と普及も指摘しておきたい。同じ病気が従来からも起きていたが、その情報が世界に広く伝えられることもなく、検出技術もなかったために、ただ発見されていなかっただけという可能性も十分にありえる。
 新興・再興感染症の脅威が高まっているもうひとつの背景には、人間社会のボーダーレス化とグローバル化の進展が挙げられる。
 大勢の人や物が国境を超えて行き交うようになり、旅行者やビジネス・研究での国境を跨いだ移動、食肉や飼料、野生動物やペットの輸出入は増える一方である。感染ルートは多様化し、水際での対策が難しくなっている。発症前の潜伏期間中や、感染しても病気を発症しない「不顕性感染」の場合、感染者や感染動物が大勢の人や動物が集まる場所に行くと、そこで一気に感染が広まる恐れがある。

 

ウイルス研究者の生態を記すノンフィクション

この本は、ウイルス研究者である髙田先生とその出身の北大獣医学部微生物学教室の先生方の生態を描くノンフィクションとしても大変おもしろいです。

例えば、1997年のH5N1鳥インフルエンザ感染症アウトブレイクが香港で起きたときに、上司の喜田宏先生から派遣されてウイルス採取と調査のために香港へ行くくだり。行きの新千歳空港では注射針や注射器500本を手荷物で持ち込もうとして保安検査で引っかかり、ライブバードマーケットでのサンプル採取では感染予防の秘策として自分で作った当然未承認のH5ワクチン(経鼻ワクチン)を接種してのぞみ、帰りの新千歳空港では麻薬密売人に間違えられカメラケースを疑われる。

髙田先生は獣医学部の大先輩で、私が学部生の頃に人獣センターに教授として着任されましたが、講義などで関わりはなく、ジンパで樽ビールを要望される先生というイメージしかありませんでしたが、記者になってから取材でお伺いしたエボラウイルスの治療薬開発の話は大変おもしろかったです(この本の中にも出ています)。

 

 

日本での「スペイン風邪」流行の詳細な記録「流行性感冒」(1922年刊)がおもしろかった

19181〜20年のいわゆるスペイン風邪の流行について、内務省衛生局(当時)が1922年にまとめた報告書「流行性感冒」がめちゃおもしろかったです。役所の報告書と思えない科学的で謙虚な態度の記述と詳細なデータ。100年前の文体だけど読みやすいのは、数値を含む事実関係の情報が整理されているのと、データや論文引用に裏付けされた記載と科学的な視点があるからかと。明日まで無料公開中なのでぜひ。

www.heibonsha.co.jp

スペイン風邪は今ではインフルエンザウイルスによるパンデミックですが、当時は病原体不明。死亡原因の多くは細菌性であり、病原体はウイルス(細菌より小さい穴で濾過しても病原性あるので「濾過性病原体」として知られていた)の可能性を排除しないながらも、細菌が候補に上がっています。病原や病理についての記述がある第六章の緒言である以下の記述はまじでかっこいい。これが役所の報告書って。

「インフルエンザ」の病原問題は猶ほ未解決なり。(中略)一度信ぜられ、二度疑はれたるプアイフエル氏菌が今後如何なる地位を得べきかは今後興味ある学術上の問題なり。但し学術には常に進歩あり。今日諸学者の主張する学説は必ず後来完成の基礎たる可きは疑を容れず。姑く結論を急がず、学会の梗概を録せんと欲す。

一方で、病原体が何かわからない中で、「1CCあたりインフルエンザ菌(←インフルエンザウイルスとは異なる)5億個」などを抗原として注射する予防接種も1918年から実施され、当時の人口5600万人中500万人以上がこうした予防接種を受けたとの記述もあります。治験とか承認とかふっとばして雑な時代。

日本のスペイン風邪死者数は3回の流行で計38万5千人とされますが、関東大震災(死者・行方不明者約14万人)や第一次世界大戦などと比べて、日本史の中でのインパクトはそれほど大きくありません。1918年の死亡数は、流行性感冒(インフルエンザ)が6万9824人、肺結核が9万9215人(ちなみに人口動態統計では2018年の死亡数はインフルエンザが3323人、結核が2204人)。ペニシリンなど抗生物質、予防接種が普及する前は、感染症で死ぬことは日常だったために、スペイン風邪インパクトもそれほどなかったのだと思います。

COVID-19治療薬候補まとめ:米国はクロロキン、ヒドロキシクロロキン、日本はファビピラビルに注目

先週末、日本感染症学会が開催した第94回日本感染症学会学術講演会をオンラインで聴講していたんですが、治療薬候補の現状が興味深く、少し調べたらJAMAが4月24日に出したレビューPharmacologic Treatments for Coronavirus Disease 2019 (COVID-19)に米国の状況もまとまっていたので、お勉強がてらCOVID-19治療薬候補を以下でまとめます。

現時点ではCOVID-19治療薬はありません。一方で、既に他の疾患の治療薬として承認されている薬に効果が見られることを期待し、複数の薬が治療薬候補として、人道的投与または臨床研究、臨床試験などの形で投与されています。

米国では3月28日にFDAが抗マラリア薬のクロロキンとヒドロキシクロロキンを適用拡大としてCOVID-19治療に緊急使用許可を出していますが、副作用が強く、4月24日には副作用への注意喚起を発表しています。日本国内ではCOVID-19治療薬として承認されたものはありません。ファビピラビル(アビガン)は日本で開発されたものということもあり、国内の報道ではよく話題になります。

以下は日本感染症学会の聴講メモ(↓から続くスレッドでメモとっていた)と、JAMAのPharmacologic Treatments for Coronavirus Disease 2019 (COVID-19)「COVID-19 に対する抗ウイルス薬による治療の考え方 第 1 版 (2020年2月26日)」(日本感染症学会)を参考にしています。JAMAのレビューはSARS-CoV-2ライフサイクルと治療薬候補の作用機序を示したFigureが大変わかりやすく、これを見るだけで治療薬開発のストラテジーがだいたい理解できます。便利。(臨床研究結果とかは調べればペーパー出てくると思いますがめんどくさいしどんどん出てくるので省略)

なお薬の記載順は主に感染症学会での川名先生と土井先生の講演を元にしていますが、JAMAのレビューではクロロキンとヒドロキシクロロキンが最初に出てくるとか、違いがあるのも興味深いです。米国では4月2日時点でCOVID-19関連の診療試験は291本走っているとのこと。

ロピナビル・リトナビル

  • 商品名:カレトラ
  • HIV-1に対するプロテアーゼ阻害剤。15年前頃に抗HIV薬として広く使われ、当時発生したSARS治療に使われた
  • 臨床研究・臨床試験・治験:中等症〜重度を対象の無作為試験の報告では有意差なし(中国)

ファビピラビル

  • 商品名:アビガン(富士フイルム富山化学
  • 抗インフルエンザ薬(新型又は再興型インフルエンザウイルス感染症)として承認。RNA依存性RNAポリメラーゼ阻害薬
  • 安全面では、催奇形性、高尿酸血症、肝機能障害
  • 臨床研究・臨床試験・治験:
    • 中国から2本あり。ロピナビル・リトナビルとの非無作為割付試験(80名)→有意に早期にウイルス陰性化、CT有意に改善→論文一時撤回後に再掲載(理由未提示)。もう1本も中国からプレプリント。ウミフェノビルとの無作為割付(240名)→臨床的改善は有意差なし、発熱と咳は有意に改善。
    • 国内では臨床試験進行中で有効性示されていないが、観察研究進行中。全国200施設参加。オンラインサーベイ。中等症(酸素投与あり)以上の人に使われている。観察研究では投与患者の属性や予後俯瞰できる点で有用だが、非投与患者との比較行えないこと、他薬剤との併用多いため有効性評価は難しい。
    • 国立国際医療研究センターでのファビピラビル特定臨床研究う(3/2〜)は軽症例でも鼻咽頭咽頭のウイルス量は多いためファビピラビル投与でウイルス量減らせるか調べるのが主目的。陽性社の通常投与群(43例)、遅延投与群(43例)のRCT。進捗今のところは半分くらい。

シクレソニド

  • 商品名:オルベスコ(帝人ファーマ)
  • 気管支喘息の治療薬(吸入ステロイド薬)。抗ウイルス作用と抗炎症作用を兼ね持つ可能性。森島研究班、国立感染症研究所 松山州徳ら。
  • 臨床研究・臨床試験・治験:感染症学会症例報告中間報告では全国24施設85症例。国際医療研究センターで特定臨床研究進行中。

ナファモスタット、カモスタット

  • 商品名:フサン(日医工)、フオイパン(小野薬品)
  • 膵炎治療薬。
  • 臨床研究・臨床試験・治験:東大医科研でvitro→臨床試験

レムデジビル

  • 国内承認なし
  • エボラ出血熱治療薬として開発。RNA依存性RNAポリメラーゼ阻害薬
  • 臨床研究・臨床試験・治験:国際共同治験。大曲先生ら。中等症以上患者53人(うち34人人工呼吸管理、ECMO)の人道的投与で68%酸素化改善、13%死亡。全世界対象の前向きランダム化試験3本進行中
  • 中国・武漢、米国で試用。

クロロキン、ヒドロキシクロロキン

  • 商品名:プラケニル
  • マラリア
  • 臨床研究・臨床試験・治験:
    • 論文は中国から1本、患者30名で無作為→有意差なし。
    • 米国などで100以上の前向きランダム化試験進行中
  • 副作用:眼障害などあり。
  • 米国:FDAがCOVID-19への適用拡大を承認するも、副作用について警告。米国では第一選択薬として投与。投与量難しく副作用で死亡例あり。

その他

トシリズマブ(アクテムラ)、メチルプレドニゾロンなど

治療薬はどうなるのか

先日の感染症学会の講演では、以下の森島先生のコメントが印象的でした。

新型コロナウイルス、抗体検査はなんのため?

新型コロナウイルスSARS-CoV-2)に感染したことがあるかどうかを調べる抗体検査が増えている。

ニューヨーク州知事のクオモ氏は23日、州政府が実施した抗体検査の予備調査結果を発表した。調査は2日間に渡って州内の食料品店などで3000人を対象に実施、予備的な結果では全体の陽性率は13.9%。

加藤勝信厚生労働相は24日の閣議後会見で、抗体検査の検査キットの性能を確認する調査を開始したと明らかにした。複数の検査キットを使い日本赤十字社献血者を対象に実施するという。日赤からは22日に「「新型コロナウイルスの抗体検査キットの評価に関する研究」への参加協力のお願い」とした告知が出ている。

なお、国立感染症研究所では迅速簡易検出法(イムノクロマト法)によるSARS-CoV-2抗体の評価の調査結果を4月1日に公表している。37症例87検体を用いて発症日日数ごとに抗体陽性率を調査したもので、その結果は以下の通り。

発症6日後までのCOVID-19患者血清ではウイルス特異的抗体の検出は困難であり、発症1週間後の血清でも検出率は2割程度にとどまることが明らかになった。また、抗体陽性率は経時的に上昇していき、発症13日以降になると、殆どの患者で血清中のIgG抗体は陽性となった。一方、IgM抗体の検出率が低く、IgG抗体のみ陽性となる症例が多いことから、当該キットを用いたCOVID-19の血清学的診断には発症6日後までの血清と発症13日以降の血清のペア血清による評価が必要と考えられた。さらに、1症例ではあるが、非特異反応を否定できないIgG抗体の陽性がみられたことから、結果の解釈には、複数の検査結果、臨床症状を総合的に判断した慎重な検討が必要である。

まず、感染初期と後期のペア血清による評価が必要(ペア血清による評価自体は抗体検査では一般的)であることから、治療中の患者には現実的には役に立たないだろう(治療方針にあまり関与しないその後の確定診断や疫学的研究には有用)。また、偽陽性を否定できないことから、抗体検査だけですでに感染し抗体を保有していると結論付けるのは尚早だ。

また、抗体検出の検査キットの性能予備的検討は日本感染症学会も実施しており、4月17日付けで報告されている。4社の市販の検査キットについてそれぞれ患者10名の血漿/全血を用いて評価したもので、「診断キットの性能は、キット間の差が大きい可能性がある」「現時点において、抗新型コロナウイルス抗体検出キットを当該ウイルス感染症の診断に活用することは推奨できず、疫学調査等への活用方法が示唆されるものの、今後さらに詳細な検討が必要」とまとめている。

日赤の研究でも、複数の方法をいくつか試してみて、最適なものをこれから探していくということなのだと思う。ただ患者ではなく献血者を対象とするというのはこれいかに。

抗体検査とはなにか

そもそもなんのために抗体検査をするのか。

一般に、血中のウイルス抗体価の測定は、診断・治療のほか、疫学的研究に有用だ。ただ、一般的に、ウイルスに感染したとき、患者は発症時よりも回復時に血清中の抗体が上昇することが多い。そのため感染初期と回復時期の血清をとり(ペア血清)、回復期の抗体が上昇していたときそのウイルスに感染したと診断する。ペア血清を用いた診断は治療中の患者には役に立たないが、確定診断や疫学的研究に有用。また特定のウイルスに対する有意の抗体価が認められればペア血清がなくてもそのウイルスに感染していると診断する(参考文献1)。

抗体検査の限界

抗体検査の目的は直近では2点考えられるだろう。一点は、治療のための診断。日本感染症学会が4月2日に公開した「新型コロナウイルス感染症に対する臨床対応の考え方」では、「イムノクロマト法による抗体検査は発症から2週間以上経過し、上気道でのウイルス量が低下しPCR法による検査の感度が不十分であることが想定される症例に対する補助的な検査として用いることが望ましい」としている。

あと当然ながら、COVID-19に特異的な治療薬は現時点ではないため、検査で診断されたとしても、対症療法が中心となる。

(患者の治療につなげることを検査の目的とするなら、特異的な治療薬がないまま且つ今後COVID-19が風土病として季節性の風邪のように定着していく経路をたどることを考慮すると、今後いつまでも診断にPCR検査や抗体検査が必要か?というそもそもから今後考えていく必要があると思っている)

もう一点は、疫学目的だ。今後、多くの人類がSARS-CoV-2の抗体を獲得し、COVID-19は通常のコロナウイルス感染症と同様に季節性の風邪のように定着していくと見られていく。そうした流れをモニタリングする上で、疫学目的の抗体検査は重要で現実的だ。

なお、仮に今後ワクチンができるとすると(できるとしても当分先になりそうだが。「SARS-CoV-2ワクチン接種には、臨床試験開始から18〜24ヶ月はかかる」参照)、予防接種対象者の絞り込みのため、抗体陽性の人は予防接種の対象から外すという運用もあり得るだろう。類似ケースでは数年前に風疹が流行したときは、ワクチン不足の懸念から自治体によっては最初に抗体検査を受けて陰性の人のみ予防接種をするという運用がなされていた(私は子供の頃に接種したか不明の年代だったので予防接種をしようと医療機関へ行ったところ抗体検査を受けて陽性だったので予防接種はしなくてすんだ)。

抗体陽性になった人から社会経済活動を再開するという事を言う人もいるが、そうした目的の抗体検査はナンセンスだと思う。抗体検査によって抗体が検出されたとしても、もう感染しない、他の人に感染させない、というわけではないからだ。再感染は起こりうるし、感染しても発症していなければ気づかず他の人に感染させる可能性もある。

抗体検査は目的によっては有用だし、良い検査手法を探索して見つかればすぐにでも始めるべきだろう。ただし、完璧な検査や調査はありえないし、出てきた数字だけではなく、必ず解釈が必要になる。今後研究としてであっても抗体検査を実施していく上では、目的の明確化とその一般の人への共有、結果の解釈の共有は必須だろう。

参考文献

1.「標準微生物学」(医学書院):学生時代使っていた教科書で、私が持っている版は古いですが、良い本です。

SARS-CoV-2ワクチン接種には、臨床試験開始から18〜24ヶ月はかかる

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)予防に向けたワクチンの臨床試験開始が相次いでいる。英オックスフォード大学は21日、今週中に臨床試験での接種を開始すると発表した。他にも米国、中国でワクチンの臨床試験が始まっている。オックスフォード大学のワクチンは、アデノウイルスベクターとしたワクチン。第1相と第2相の臨床試験終了は21年5月を予定している。その後第3相に移行する。

学生時代にウイルス学をちょっとかじったので、ワクチン開発はめちゃ時間がかかるし且つ計画どおりにうまくいかないのは当然だと思っていたんですが、1年くらいですぐにできると思っている人もいるようで、そんなわけないよなあと思っていたところ、CELLの姉妹誌Immunityに大変わかりやすいレポートを見つけ、抄訳したので載せておきます。抄訳はワクチンへの言及部分だけで、構成は適当にいじっているのと中見出しも適当に付けました。このレポートは4/6掲載で、以下から読めます。Table1にはワクチン開発一覧があり、結構便利です。読みやすいしレビューとしてまとまっているのでぜひ原文でどうぞ。

SARS-CoV-2 Vaccines: Status Report

ワクチンのターゲット

SARS-CoV-2の塩基配列は早期に特定されており、過去のSARS-CoV-1、MERS-CoVワクチンの研究から、ワクチンのターゲットはウイルス表面のSタンパク質となることが知られている。ウイルスのSタンパク質は、細胞表面のACE2受容体と相互作用するが、抗体がこの結合を阻害しウイルスを中和する(なお、Sタンパク質は三量体で、中和抗体の主なターゲットはそのうちの一つの受容体結合ドメイン)。

SARS-CoV-1とMERS-CoVのワクチン開発

SARS-CoV-1ワクチンは、Sタンパク質をターゲットとしたワクチンがいくつか開発され、動物モデルで実験されている。ワクチンの種類は、Sタンパク質の組み換えワクチン、弱毒化・不活化ワクチン、ベクターワクチンがある。ウイルス感染を伴うワクチン接種の実験では、マウスモデルで肺損傷、好酸球浸潤、フェレットで肝障害などの合併症などが報告されているが、多くの場合、ワクチン接種をした動物ではワクチン非接種の動物と比較して生存率の向上、ウイルス力価の低下、罹患率の低下が見られた。なお、MERS-CoVワクチンでも同様の報告がある。

SARS-CoV-1ワクチンはいくつか開発途上だが、最もフェーズが進んでいるのは第1相臨床試験であり、現在利用できるものはない。第1相では、不活化ウイルスワクチン、Sタンパク質スパイクベースのDNAワクチンの安全性と中和抗体の誘導が確認された。

SARS-CoV-1に対して単離された中和モノクローナル抗体は、SARS-CoV-2の受容体結合ドメインと交差反応するため、SARS-CoV-1ワクチンがSARS-CoV-2に対して交差防御する可能性がある。

MERS-CoVワクチンは前臨床と臨床開発段階にある。改変ワクシニア・アンカラMVAベクターアデノウイルスベクター、DNAワクチンベースのワクチンが開発中だ。ただし、MERS-CoVワクチンはSARS-CoV-2に対する交差中和抗体を誘導することはほとんどない。

再感染とSARS-CoV-2ワクチンの意義付け

一般に、ヒトコロナウイルス感染では常に抗体を誘導し続けるわけではなく、長期間経ってから同じウイルスに再感染することがある。SARS-CoV-1、MERS-CoVでは、感染者の抗体価が2〜3年後に低下していることが報告されている。

短期的な再感染は起こらないと見られているが(SARS-CoV-2では回復後の再感染の報告もあるが、検査が偽陰性であった可能性がある)、上記の理由から、数ヶ月から数年経ち体液性免疫の効果が減退すると、再感染が起こる可能性はある。そこで、SARS-CoV-2ワクチンを接種することで(血中抗体価を上げる、または維持し)、SARS-CoV-2が通常のどこにでもいるウイルスとなり季節性の流行に落ち着くような状況にすることができるだろう。

高齢者とワクチン接種

SARS-CoV-2感染は50歳以上で最も深刻な症状を引き起こすため、ワクチン開発では高齢者への効果が重要となる。ただ一般に、加齢による免疫機能の低下のため、高齢者のワクチン接種への反応は若年者と比べて良くない。そこで、例えばインフルエンザワクチンでは、高齢者向けに多くの抗原やアジュバントを含むことで効果を増強している。

この問題は、SARS-CoV-2でも同様に起こりうる可能性がある。ただし、高齢者のワクチン接種が効果的でない場合も、若年者のワクチン接種によってウイルスの感染拡大を止めることができれば、間接的にメリットとなる。

開発中のSARS-CoV-2ワクチンのパイプライン

利用可能なワクチン開発には何年もかかる可能性がある。安全性、大量生産の技術開発に加え、コロナウイルスワクチンは市場にないため、ワクチンの大規模な製造ラインもまだないため、これらの構築も必要となる。CEPI(Coalition for Epidemic Preparedness Innovations, 感染症流行対策イノベーション連合:世界連携でワクチン開発を推進するうために2017年1月ダボス会議において発足した官民連携パートナーシップ)は開発する企業・団体に資金提供をしているが、これらの企業・団体は規制当局の認可を得るだけの治験に必要なワクチン製造能力などをまだ持っていない。

Modernaと米国立衛生研究所(NIH)ワクチン研究センターが共同開発したリポナノ粒子のカプセルにmRNAを入れたものを接種し、ターゲットの抗原を生体内でワクチンとして発現するmRNAベースのワクチンは現在最も開発が進んでおり、最近臨床試験を開始した(ClinicalTrials.gov:NCT04283461)。

Curevacも同様のワクチン開発に取り組んでいるが、現状は前臨床段階だ。前臨床段階では、ほかに、Sタンパク質をターゲットとする組み換えタンパク質ベースのワクチン(ExpresS2ion, iBio, Novavax, Baylor College of Medicine, University of Queensland, and Sichuan Clover Biopharmaceuticals)、Sタンパク質をターゲットとするウイルスベクターベースのワクチン(Vaxart, Geovax, University of Oxford, and Cansino Biologics)、Sタンパク質をターゲットとするDNAワクチン(Inovio and Applied DNA Sciences)、弱毒生ワクチン(Codagenix with the Serum Institute of India)、不活化ワクチンがある。

これらはどれも長所と短所があり、どれが良いか予測はできない。ジョンソンアンドジョンソンとサノフィは最近SARS-CoV-2開発に参入した。ジョンソンアンドジョンソンはこれまでに認可されたワクチンがない実験的なアデノウイルスベクターベースのワクチンを開発中だが、サノフィは既に承認済みの組み換えインフルエンザウイルスワクチンで利用されているのと同じプロセスで開発している。

ワクチン開発にはなぜ時間がかるのかーワクチン開発の問題

現状承認されているコロナウイルスワクチンは存在しない上、現状開発中のワクチンで使われている技術(生産プラットフォーム、ベクターなど)は新しい技術で、安全性を徹底的にテストする必要がある。

ワクチンのターゲットであるSタンパク質は特定されているが、ワクチン開発には、臨床試験の前に、適切な動物モデルで試験し、さらにワクチンの防御効果があるかどうかを確認する必要がある。

ただ、SARS-CoV-2の動物モデルはまだ開発されておらず、この開発が難しい可能性がある。SARS-CoV-2は野生型マウスでは増殖せず、ヒトACE2を発現するトランスジェニック動物で軽度の症状を誘発するのみだ。他に動物モデルとしては、フェレットやNHP(非ヒト霊長類)が考えられる。

ヒトの症状を再現する適切な動物モデルがない場合でも、ワクチン接種された動物の血清のin vitro中和アッセイで試験することでワクチンを評価することも可能だ。この場合は、ウイルス接種後の安全性データを収集し、SARS-CoV-1ワクチンやMERS-CoVワクチンの研究で見られた合併症を評価する必要もある。

さらに、ワクチンの安全性のみを動物実験で確認する必要がある(この場合ウイルス感染実験は必要ない)。この試験では、GLPに準拠した方法で実施する必要があり、通常完了までに3〜6ヶ月かかる。ただし、ワクチンのプラットフォームによっては、同じ製造プロセスで作られた類似のワクチンについて既に十分なデータが有る場合は、安全性試験の一部が省略可能な場合もある。

一般に、ワクチンは品質と安全性を一定に保つために、適性製造基準(cGMP)に準拠したプロセスで製造されている。これには専用設備、訓練を受けたスタッフ、適切なドキュメント、原材料が必要だ。これらのプロセスは、SARS-CoV-2ワクチンに適合するように設計する必要がある。前臨床段階でのワクチン候補では、これらのプロセスは存在しないため、ゼロから開発する。

十分な前臨床試験で結果が出ると、cGMP品質のワクチンを作成し、これを用いて臨床試験を開始する。一般に、ワクチンの臨床試験は、ヒトでの安全性を評価する小規模な第1相試験から始まる。これに続いて第2相試験で有効性を示すための処方と用量を確立する。最後に第3相試験を行い有効性と安全性をより大規模に実証する。ただし、現状のような特殊な状況下ではこの一般的なスキームが短縮され、規制当局による承認経路を早められる可能性もある。

ワクチン開発にはなぜ時間がかるのかーワクチン製造能力・分配・投与の問題

もう一つの問題は、十分な量のcGMP品質のワクチンを生産するための製造能力の問題だ。不活化ワクチンや弱毒生ワクチンのように、現状製造されているワクチンでは既存の設備を使えるため、比較的容易に可能となる。一方で、mRNAなどの新しい技術に基づくワクチンの場合、ワクチン量産のための製造インフラをゼロから構築する必要があり、そこに時間がかかる。

医療関係者やハイリスク層などワクチン接種対象者を絞ることもありうるが、目標は、世界中の人々がワクチンを利用できるようにすることだ。ただこれは難しいだろう。

最後に、ワクチンの配布と投与に時間がかかる。人口の大部分に接種するには数週間はかかるだろう。現在SARS-CoV-2にナイーブ(未感染で抗体を持たない状態)だとすると、ワクチンの複数回投与が必要になる可能性が非常に高い。この場合、通常3〜4週間間隔で2回接種し、ワクチン接種後1〜2週間で防御免疫がつけられる。

いくつかのステップが短縮されたとしても、臨床試験の開始後6ヶ月より早くワクチンが入手可能になることはまずありえない。現実的にはSARS-CoV-2ワクチンはさらに12〜18ヶ月間かかるだろう。

AAAIのAIと倫理・社会の会議(AIES)に参加してきた

ニューヨークで2月7〜12日に開催されたAAAI-20に併設して、2月7日~8日に同じ会場で開かれたThird AAAI/ACM Conference on Artificial Intelligence, Ethics, and Society (AIES 2020)に参加しました。いつものような学会取材ではなく、エマちゃんとたくせんさんとやっているプロジェクトの論文が採択されたのでその発表のために3人で行ってきました(発表したのはエマちゃん)。AIESはAAAIとACMが主催しているとはいえ社会科学分野の専門家の方たちの発表が多く、内容も多岐にわたっており、なんでもありのるつぼ感がありました(実験などの自然科学系の論文発表形式に慣れた身としては、人文系の発表は単語もわからないし何が新しいのかもわかりにくいし難しかった)。多様な分野からの参加者が多いというのは、特に米英ではAIの倫理や社会の研究に予算と人が流れているようで、これらの一専門分野が形成されつつあるように感じました。忘れないうち簡単にAIESのメモを。

情報系のほか人文系も、高い女性比率

AIESはAAAIの中でもAIの倫理や社会に特化したセッションで、今年で3回目の開催。投稿は211本あり査読を経て、ペーパー発表が35本、ポスター発表(とスポットライト発表)が37本採択されました。200人くらいの規模のメイン会場1ヶ所とポスター用のその隣室で、2日間にわたってキーノート、ペーパー発表、ポスター発表(とそのスポットライトの発表)が。AAAIは情報系である一方で、AIESは情報系だけでなく法学、社会学、心理学など人文社会科学系の発表者が多いようだ。そのためか情報系のカンファレンスにしては女性比率が高く、会場の3分の1位は女性。年齢層も若手・中堅が中心。ペーパーもポスターも質疑・議論が活発だった。

ペーパー発表は15分のプレゼン、ポスター発表は2分のスポットライト発表後にそれぞれのポスターの前で説明するという流れ。ペーパー発表のセッションは「FAIRNESS」「EXPLANATION」「ETHICS ON THE SURFACE」「FUTURE OF WORK」「FAIRNESS AND VALUE ALIGMENT」「POLICY AND GOVERNANCE」「AI PAST AND FUTURE」に分かれており、このうち「FIARNESS」は2セッションあったので計8セッション。

ここ数年、「AI倫理」はバズワード化していて、AIの倫理や社会の話題はそれぞれで視点も問題意識もバラバラで、なんだかよくわからないことも少なくないけれど(AI=IT、デジタルとした議論も散見されますが。まあいいけれど)、今回のAIESではAI=機械学習として、その社会導入に際しての課題や配慮する点、またそれらを克服するための技術の提案などの発表が多く見られました。

顔画像認識の利用における課題、ブラックボックス問題への対応

最も目立っていたのが顔画像認識の利用における課題とその解決に向けた提案。機械学習による顔画像認識では、学習データの偏りのために人種や性別によってその認識精度が異なることが以前から課題になっており、こうした顔画像認識技術を適切に利用するためにはどうすべきかという課題に対して、制度やルールによるものから技術による解決まで様々な提案がなされていた。

顔画像認識でちょっと異色でかつ流行りのテーマを盛り込んでいて興味深かったのが、清華大学の研究グループによる発表で、医療用に患者動画を利用する際にプライバシーに配慮するために顔画像認識とディープフェイクを組み合わせて、患者の顔をフェイク画像に切り替えるというもの。ところで発表者は無事中国から米国に入国できたのかしら?と気になったが、ちゃんと発表していたので入国制限前から渡米していたのかしら??(なおAAAI全体では約4000人が参加登録したが、800人はコロナウイルス関連またはVISAの関連で参加できなかったとのこと)。

機械学習ブラックボックス問題と説明可能AIも一大テーマ。機械学習ではデータを学習させてパラメータを調整しているため、結果を出してもその結果を出した理由を説明できない「ブラックボックス性」が問題視されており、技術的には説明可能なAI(Explanable AI, XAI)の開発がひとつのトピックスとなっている。AIESでもブラックボックス問題に対して技術面から解決を試みる提案がいくつかあった。

AI導入による労働への影響を、タスクごとに評価する

AI導入による労働などへの影響もまたよく議論される話題ですが、そのまんま労働に関するセッションもありました。MITのグループが複数発表していたが、中でもMIT-IBM Watson AI Labによる「Learning Occupational Task-Shares Dynamics for the Future of Work」では、職種ではなくタスクごとに、画像認識や自然言語処理といったそれぞれのAI技術の影響を詳細に見ていて興味深かった(論文はここから読める)。

AIの労働への影響は、2015年にハーバード大学のオズボーンらが出した報告書が当時話題になった。オズボーンらの報告書では、職業別にAI影響を見ていたが、現実的には職業全体が影響を受けるというよりは、タスクが影響を受けるのだし、AIと一言で言っても、具体的な技術によって影響を受けるタスクも変わる。AIというのは結局は自動化による効率化・最適化に過ぎないので、どのタスクをどの技術によってどの程度自動化し、それによりどの程度効率化・最適化されるかというのを詳細に見ていくのはとても合理的だし納得がいった。

世界中で作られるAI倫理の報告書

AI倫理が話題になったのは、2015年ごろからだった。2016年ごろからは政府機関や大学などの様々な国や組織・団体が、AI倫理についての報告書を次々と出し、最近では企業も出すようになってきた。こうした大量に出ているAI倫理に関する報告書をレビューした発表もあった。「What’s Next for AI Ethics, Policy, and Governance? A Global Overview」では、2016年以降に20以上の国で出された100以上のAI倫理に関する報告書について分析。

また「Policy versus Practice: Conceptions of Artificial Intelligence」では、政策文書に出てくるAIを調べた上で、AI研究者にアンケートを取り、政策文書に出てくるAIとAI研究との乖離について報告している。中でも、政策文書ではAIの定義として「human like」としているものが多いが、これはAI研究者の考えからもかけ離れていて問題視するとしていた。たしかに、社会導入にあたっての現実的な技術としてのAIを考えると、事実上は機械学習なのだから、これをhuman likeとするのは違和感がある。

AIと倫理や社会についての一研究領域が形成されつつある

学会というのは特定の専門領域の研究者が集まるコミュニティだが、AI倫理や社会は既存の研究領域ではないので、情報系にしても社会学にしても心理学にしても、これまでそれぞれの専門領域で研究をしてきた研究者たちが、AIと倫理や社会について新たに開拓をしているという状態なのだと認識しています。そのため、ペーパーとポスターを合わせて70以上の今回の発表でも、分野も内容も多岐に富み、玉石混交とも言えるかもしれません。

一方で、武田先生が指摘していてなるほどと思ったのが、博士課程の学生による発表も多く、ということはPhDを取ることを想定した発表をAIESに出しているということなので、研究として成り立っている。また、AIと倫理や社会をテーマにした研究で研究費が獲得できるということも意味しています。発表は米英が多く、ここ数年で特に米英ではこの分野に予算と人が流れて混んできているのかもしれません。

日本からの採択は私たちの発表のみで(1回目から参加しているJSTの方曰く、これまでも日本の発表は採択されておらず初では?とのこと)、マイナーな会議なのでそもそも存在をあまり知られていないとはいえ、米英と比べると日本ではこの領域に予算も人もそれほど集まっていないんだなあというのは、まあ実感通りです。

そもそも米英でこの分野に関心が集まるのは、人種や経済格差などの社会のまだらさの程度がもともと大きいこと、情報開示や議論といった民主主義の成立のためのたゆまぬ努力をすること、という土壌がそもそもあるので、機械学習の社会実装を進めていくにあたり、アルゴリズムの公平性やアカウンタビリティ、透明性などが問題として浮上しやすいかならなのだと思います。機械学習の安易な利用は、何も対処しなければ格差や偏り、人の偏見を強化する方向に向かうので、もともと格差や偏りがある社会、またそれらを是正しようとする社会においては、その具体的な対処法としての「AIと倫理や社会」について知見を深めていく必要があるのでしょう。これまでこうした問題に真っ向から向き合う緊急性がそれほどなかった日本人は幸せなのか平和ボケなのかその結果何も考えない無能状態になっているのかよくわかりませんが、ちゃんと向き合っていく訓練も必要だし、まあなによりこの辺の議論や取り組みは見ていて面白いなあと思いました。

「表現の自由」炎上を巡る、大島さんの4分類

 「あいトリ」「宇崎ちゃん」「東大最年少准教授」のネット炎上をして、2019年三大「表現の自由」炎上と、とりとりさん曰く。「表現の自由」とネット炎上が話題になることがここ数年増えたけれど、その内容や「炎上」の種類もそれぞればらばらで、一言に「表現の自由」とか「炎上」とかでくくるのはどうなんだろうか、と思っていたところ、弁護士の大島さんが「表現の自由」炎上の問題を分類されていて、大変興味深かったです。

 昨日、弁護士の大島さん(ばべるさん)の講演「表現の自由と適切な行政手続きを考える」を聞きに行ってきました。大島さんは2009年に弁護士登録、弁護士の仕事を経て2012〜14年に消費者庁で情報公開請求などを担当。今は長谷川法律事務所で市民の行政訴訟などを担当している。「憲法ガール」などの著作でも知られる。

 まず大島さんは、「表現の自由」を巡る2014〜2019年の「炎上」事例を紹介。2014年5月「妹ぱらだいす!2」事件は、2011年の東京都青少年の健全な育成に関する条例改正で追加された近親相姦に関する基準(新基準)が初めて適用され、「妹ぱらだいす!2」が不健全図書指定されたもの。指定によってはゾーニングが義務付けられるだけだが、出版社は自主回収し、Kindleからも削除されるなど、自主規制が起きた。

 新基準適用による不健全図書指定について大島さんが情報公開請求したところ、指定図書を選ぶ都の会議では、「妹ぱらだいす!2」を指定非該当としたメンバが、該当としたメンバを上回っていたが、それにも関わらず会議では「指定該当」との答申をしたという。

 2015年の事例では、三重県志摩市の萌キャラ「碧志摩メグ」問題と、岐阜県美濃加茂市コラボポスター「のうりん!」問題を取り上げた。「碧志摩メグ」は志摩市PRのための公認キャラクターだったが、性的に強調されすぎなどとして批判が集まり、11月には公認を撤回し、以降は非公認キャラとして活動している。一方の美濃加茂市の「のうりん!」コラボポスターは、胸元が強調されすぎなどとして批判され、修正した新しいポスターが作られた。

 2016年は10月に起きた東京メトロの公式キャラクター「駅乃みちか」問題を紹介。萌え絵化した際にスカートが透けているなど批判され、画像を修正する自体となった。2017年7月には「ゆらぎ荘の幽奈さん」のジャンプ31巻巻頭カラーで「露骨なポルノ描写」などとして批判された。2018年3月には研究書である「エロマンガ表現史」が北海道青少年健全育成条例の規定により有害図書類に指定された。学術書の類が有害図書類指定されたことで、物議を醸したという。2018年10月、NHKノーベル賞解説サイトで聞き手役としてVTuberキズナアイ」が起用されたことが批判された。

 大島さんは、「2019年は表現の自由の抑圧が注目された年」として、8月のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」問題、10月の「宇崎ちゃん」献血コラボポスター問題、11月の「宮本から君へ」問題、11月の「娘の友達」問題、11月の「秋葉原アダルトゲーム大型屋外広告」問題を取り上げた。「あいトリ」「宮本から君へ」はそれぞれ、公的な助成金が決定または内定していたにもかかわらずそれらが取り消しとなった。「秋葉原アダルトゲーム大型屋外広告」では女性キャラの露出が大きいなどとして都民からの電話申し出があり、東京都と千代田区が実地調査を行い、店舗が自主的に広告を撤去したとされたが、行政過程の不透明さが問題視されたという。「娘の友達」は、アラフォー男性と女子高生の「年の差恋愛」を描く内容が「犯罪を助長する」などとして連載中止を求める声がネット上であがった。「通常問題とされたこなかったこうした作品も問題にされた」と大島さん。

 これらは、問題の内容も性質も異なる。大島さんはこれら「表現の自由」を巡る問題を、「公権力による規制」「公権力による助成の撤回」「公権力による公認等の表示の撤回」「私人による表現物への批判」の4つに分類。これまでの事例を当てはめると以下のようになる。

  • 「公権力による規制」:有害図書指定、屋外広告物規制等。「妹ぱらだいす!2」問題、「エロマンガ表現史」問題。「秋葉原アダルトゲーム大型屋外広告」問題。
  • 「公権力による助成の撤回」:補助金不交付。「あいトリ」問題、「宮本から君へ」問題。
  • 「公権力による公認等の表示の撤回」:「碧志摩メグ」問題、「のうりん!」問題。「駅乃みちか」問題。
  • 「私人による表現物への批判」:「キズナアイ」問題。「宇崎ちゃん」問題。「ゆらぎ荘の幽奈さん」問題。「娘の友達」問題。

 大島さんはこれらの分類の上で、2014〜19年の間に問題パターンが変化、「公権力の直接的な規制が問題になっていたが、今は公権力だけでなく私人にも広がり、また公権力の助成の問題にも広がってきた」と指摘する。2014年は有害図書指定と言う形での、「表現の自由」に対する直接的な公権力規制が問題となったが、2015年には自治体による公認取り消しが問題に、2016年は公共機関が問題にされ、2017年以降は(講談社のような)私的な組織も問題とされるようになった。2019年には助成金不交付のような、受益的行政の問題も発生した。

 講演は、このうち特に青少年の健全育成の観点から行われる行政規制に関する表現の問題でしたが、上記の4分類は興味深かったです。

 ところで、最近は「話題になる」とか「バズる「とか「賛否両論」くらいの意味合いで「炎上」ということが多いようで、「炎上」がインフレ気味になっている気もします。あと自ら「炎上」と称する「自称炎上」も聞くから、「炎上」がマーケティング的な成功を意味するポジティブな使われ方をしているのかしら。

「デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する」を読んで、デジタル片付け中

 

 

ネット依存やらスマホ依存やらゲーム依存やら言われる昨今、スマホを手放せなくなってしまった現代人に向けて、著者は「有益かどうかは問題ではない。主体性が脅かされていることが問題なのだ」として、テクノロジーの行為依存のメカニズムからその弊害、そこから主体性を取り戻し健全に生きるための具体的方法を提案する。ただし、著者の視点は決してテクノロジーを否定するテクノフォビアのそれではなく、テクノロジーに支配されるのではなく、主体性を持ってテクノロジーを便利なツールとして使いこなすという極めて実用的なもの。

スマホ依存・Twitter中毒を自覚していたので、「デジタル片付け」を実践してみることにしました。 

スマホからSNSアプリを削除、push通知をゼロにした

デジタル片付けの方法は以下の通り。


①30日のリセット期間を定め、必ずしも必要でないテクノロジーの利用を休止する。
②この30日間に、楽しくてやりたいのある活動や行動を新しく探したり再発見したりする。
③休止期間が終わったら、まっさらな状態の生活に、休止していたテクノロジーを再導入する。その一つひとつについて、自分の生活にどのようなメリットがあるか、そのメリットを最大化するにはどのように利用すべきかを検討する。

①ではまずそのテクノロジー(具体的にはスマホアプリなど)が自分の生活や暮らし「必須」かどうか判断します。「必須」というのは「便利」ということではなく、不可欠という意味です。不可欠ではなくても「便利」だから必要というものは、運用ルールを定めます。

SNSの消費時間削減」「日常でわからないことがあったら何でもかんでもその場で条件反射でググる癖を抑制する」という観点から、iPhoneiPadからChromeTwitterメッセンジャーを削除(Facebookアプリはもともと入っていない)。その上で自宅用のMacbookからはTwitterFacebookInstagramをログアウトして、基本的にiPhoneiPad、自宅PCからはSNSは見ないルールにしました。一方、仕事に支障が出るため、会社用PCでのみTwitterFacebookを利用することにしました。四六時中会社PCを持ち歩いているので、必要なときにはSNSにはアクセスできます。

SNS利用はTwitterが多いので、Twitterで何を見ているのかを考えてみたら、もともとはニュースなど仕事用情報収集でした。かつてGoogleRSSリーダーがあったころはRSSで情報収集していたのが、GoogleRSSリーダー亡き後当時のFeedlyが使いづらくて、それまでほそぼそとやっていたTwitterGoogleアラートへの依存度が高まったんでした。ということで、Feedlyを今一度見直して使いやすく整理整頓して、Twitterのフォローを大幅に減らしてほぼ友人・知人のみにしました(Twitterのもう一つの利用は友人・知人と雑談のため)。

また数日だけれど特に不便なく、極めて快適です。スマホは常に持ち歩いていますが(万歩計兼ねているので)、元々メール、slack、LINEの通知は切っていて電話としての通話機能もなくしている上にその他SNSを削除したため、push通知は基本ゼロになりました(防災アプリだけはあり)。push状態がゼロというのは邪魔される可能性がゼロのため、これまでもpush通知はメッセンジャーくらいだったものの、それがゼロになるのはストレスフリーです。だいたいPCを開いている時間が一日の中で少なくないので、メッセンジャーにしてもリアルタイムで対応する必要も特にない。。

自己決定権を取り戻す

デジタル・ミニマリズムとは、「自分が重きをおいていることがらにプラスになるか否かを基準に激選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学」とのこと。そもそもミニマリズムは「少ないほど豊かになれる」という考え方で、モノのミニマリズムについてはこんまりだとか断捨離だとかでしょっちゅうブームになっています。デジタルでも同様に、1日とか数日とかスマホを一切持たないという「デジタル断食」だとか「デジタルデトックス」だとかもしばしば雑誌の特集になるけれど、ここで言うデジタル・ミニマリズムは、それともまた一線を画する。スマホを一時的に使うのをやめましょう、という話ではない。著者は書く。

デジタル・ミニマリズムの実践は、基本的に実用主義の実践と変わらない。デジタル・ミニマリストは、新しいテクノロジーを大事な目標に向けた歩みを支援するツールとみなす。テクノロジーそのものには価値を見出してはいないのだ。何らかの小さなメリットがあるというだけでは、人の注意をむさぼり食う小鬼のようなサービスを生活に取り入れる正当な利用とは考えない。代わりに、大きなメリットを生むような限定的で意識的な方法で新しいテクノロジーを応用しようとする。

これは、いったん私達から奪われた自己決定権を取り戻す取り組みとも言える。では、スマホやアプリなどの新しいテクノロジーを使い、それにどっぷり浸った日常を送る私達は、それを自ら選択し、決定してきたのではなかったのか?

スマホアプリ、SNS、ウェブなど新しいテクノロジーの多くのビジネスモデルは広告モデルで、つまりサービス提供企業にとっては、そのサービスの利用者・利用時間が多ければ多いほど儲かるという仕組みだ。当然、ユーザーがそのサービスへの依存度を高めるように設計されている。

そこで著者は引用をして以下のように書いている。


①新しいテクノロジーは行為依存を助長するのに適したツールになる。
②新しいテクノロジーへの依存に認められる特徴は偶然ではなく、巧妙にデザインされた機能によって引き起こされている。

ということで、これらのテクノロジーをその真新しさと利便性を持って使いこなしているつもりでいる私達は、サービス提供企業の目論見通りに行為依存の状態に陥り、自己決定権を奪われた状態に簡単になりうる。重要なのは、自分にとって必要なことを自分で見極めた上で、自身の行動を自身で選択し、決定すること。テクノロジーを否定しているのではなく、それをうまく使いこなすためのデジタル・ミニマリズムの提案だと理解しました。 


 
 

 

 

「マスタースイッチ」(ティム・ウー)

 コロンビア大学法律学教授で、「ネットワーク中立性」を主張したことで知られるティム・ウーの2011年の著作(日本語訳は2012年発売)。20世紀米国での情報通信産業、メディア産業について企業とキーマンの物語を描く中で、同産業で繰り返されてきた「サイクル」を浮かび上がらせ、情報通信産業、メディア産業における「独占」と「自由」のあるべき姿を考察する。

 

マスタースイッチ

マスタースイッチ

 

 
 nkgw先生にだいぶ前におすすめされたのが積ん読になっていたので年末に読みました。ただ、インターネット業界についての記載もあるものの、書かれたのが2011年と比較的古いので、最近の課題として明確になっている巨大IT企業によるデータ占有やアテンション・エコノミーなどは言及されず、ネット以前の話を中心に読む方が学びがあります。情報通信産業、メディア産業について歴史的事実を抑えてそこから学びを得るという点で「思考のための道具」と並んで読んだほうが良い本でした。


 本のタイトルのマスタースイッチとは、主電源スイッチのこと。メディアは人々の情報源となり、言論の生殺与奪の権を奪いかねない。著者はメディアは「世の中のマスタースイッチ」だとする。マスタースイッチは、情報通信産業、メディア産業が握る。なぜマスタースイッチが重要なのか。著者は書く。


 このマスタースイッチが牛耳られると、ジョージ/オーウェル著『動物農場』の一節ではないが、「ごく一部の市民がその他大勢よりも“特別待遇“なのに平等と言ってはばからないような独裁政治」が生まれるのだ。


 著者は、情報通信・メディアに関連して、新しい情報技術の発明→新しい産業の誕生→開放期→産業界の強力な力による支配(独占)の4段階の「サイクル」を繰り返しているとして、20世紀米国での電話、ラジオ、テレビ、映画を振り返り、最後に目下のインターネットもこの「サイクル」に当てはまるのかと考察する(が、前述の通り2011年時点での考察なのでインターネットについてはかなり古く感じる)。


 産業の担い手である企業とその共同体などは、経済性・機能性などの理由から最終的に「独占」に至る。経済思想だけではこの「独占」の問題は十分に吟味されておらず、経済合理性だけを考えると「独占の何が問題?」ともなりかねない。だが、著者は「情報」が一般的な商品・製品とは異なるとして、「独占」の弊害に「表現やイノベーションの抑圧」を挙げている。ただし著者は「独占」そのものを否定しているわけではなく、表現やイノベーションが抑圧されないように「独占」と「自由」の適切なガバナンスが重要とし、そのための「分離原則」と「基本的な倫理原則」を説く。


 というのがこの本の要旨だが、読んでいてためになるのはそれよりも、情報通信・メディア産業の豊富な歴史的事実の具体例でした。


 郵政省などを経てベルの会社に入り電話普及に努め、新規参入する振興電話会社を買収したり駆逐したりしながら、政府を巻き込んでAT&Tの独占市場を作り上げたセオドア・ヴェールらAT&Tの物語は、新しい技術が市場を形成し社会に普及していくのは、技術の真新しさや利便性といったそんなナイーブな話ではなく(もちろんそれもあった上でだけど)、ときには(というかしょっちゅう)法廷をも戦場とした仁義なき戦いなのだと改めて実感しました。技術の普及というのは、決して「良い技術は売れる、普及する」という単純な話ではない。


 AT&Tを始めとする独占企業による占有は、言論やイノベーションを阻害する。その一つの例として取り上げられたのが、通話者の声が周囲に聞こえないように、100均で売っていそうなカッブ型器具を消音器として電話機につける製品を開発した「ハッシュ・ア・フォン」がAT&Tの裁判によって最終的には市場から撤退することになった攻防。ハッシュ・ア・フォンは非純正品パーツを導入というイノベーションであり、著者は「最新のイノベーション理論の先駆け」と書く。なおハッシュ・ア・フォンには、後にインターネット、ARPANETを推進するベラネックとリックライダーが関わっていたというのは興味深かった。


 このように、時代と形、登場人物を変えて何度も描かれるのが、情報産業・メディア産業において、独占企業が、ありとあらゆる手段を使って新規参入する企業を市場から排除していった歴史的事実だ。政府による規制を受ける情報産業では、そのためには独占企業と政府との緊密な連携が図られる。


 興味深い事例のひとつが、「競争促進による規制緩和で、独占市場を形成した」1984年に分割されたAT&Tの復活劇だ。情報通信を担う企業が一社独占であることは、情報統制が国家安全保障につながる政府にとってもメリットがある。著者は書く。


 2008年に国家安全保障の法案に、米国民に対するスパイ行為に関してAT&Tベライゾンは過去にさかのぼって訴追を免除されるという法案が議会を通過、この問題は話題に登らなくなった。訴追免除のおかげで、過去も含めて政府のスパイ活動が明るみにでににくくなった。
 その代わりに教訓が残った。通信メディアへの依存度が高い時代になって、情報やコミュニケーションに権力が集中すればするほど、政府は独裁的に振る舞いやすくなる。すべての人々がネットワークで結ばれる世の中だ。電話会社がここまで減少して、簡単に話がまとまるようになれば、我々のリスクは大きくなる。


 情報通信産業・メディア産業の20世紀を振り返り、著者は「長期的に情報産業が競争状態にあることが例外的で、独占が状態である。新発明の出現食後や反トラスト法による企業分割で生じた短期間の開放期を除けば、この産業の歴史は、大部分が支配企業の物語だ」と言う。では、やはり「独占」からは逃れないのか。そこで著者は、公権力と同様に、特に情報の「創造」「伝送」「展示・公開」に関わる部分での、企業という私権力をしっかりと統制することの必要性をとその具体的方法としての「分離原則」「倫理原則」を最後に提案する。
 

2019年振り返りと2020年抱負

2019年はあいかわらず編集と記者をしていながらもいずれも会社仕事のエフォートがやたら高くなり、もう少し”あそび”としての仕事やらないと・・・と思った1年でした。自分以外の人にお仕事をお願いする(人を雇ってもらうとか外注とか)というのが前年にも増して増え、必要なことなんだけど、まだ試行錯誤が続いています。ということで、調整やらマネジメントに気を取られたフシもあり、2020年は個人的に満足のいくアウトプットをもっと増やしたい。つまりいろんなたくさんの人と会って話して議論して企画立てて取材して原稿書くというベースの仕事に割くエフォート増やしたい。そのベースがあってこその、セミナーにしろ他の企画やら調整やらだと思っています。

”あそび”の仕事、というのは誰かに頼まれたわけでもmustな仕事でもないけれど、なんでか気付いたらやってる仕事のことを指します。遊んでいるわけではなく仕事だと私は思っているけれど、会社仕事のようにお金をもらってやるという点での仕事の範疇に含めるためにはその意義付けを説明する必要がありある程度の作文が必要になるというやつで、作文するのがめんどくさい場合はもう趣味として割り切ります。作文できるものは、”あそび”の仕事を会社仕事の中にねじ込むということはやっていて、エマちゃんとたくせんさんと1月から始めた医療×AIセミナーシリーズはそのひとつ。

ifi.u-tokyo.ac.jp

これについては具体的なアウトプットもいくつか出ていて、”あそび”と会社仕事の両立は可能だし、なんなら当初誰も期待していなかった新しい価値生み出せるんだな〜という学びがあり、その点は自信になりました。やりたいことをやりたいようにやることが結果的に価値につながるんだなあと。

会社仕事では編集者または記者として(つまりただの観察者・傍観者として)医療とAI(というよりIT)まわりをずっと見続けている中で、編集者にしろ記者にしろ傍観者に過ぎないのだけれど、一国民としては当事者でもあるわけで、見ているだけでまじいいんかい自分というもやもやが続いています。現状のままではこの国の保険医療制度が破綻(なんなら国家財政破綻)するのは確実なので。

なぜ医療でのAI導入というかそれ以前の問題としてデジタル化とIT活用がうまく進まないかという問いについては、概ね技術の問題ではなくレギュレーションとビジネスモデル、それと業界の既得権益構造の問題ということは誰もが認識しているところですが、じゃあその課題を克服してどのように具体的に進めていくのか、またそれ以前の問題として、デジタル化・IT化・AI化の推進はなぜすべきなのかの整理はしたい。技術の社会実装は、往々にしてそれ自体が目的化しがちで、でもそれって全然合理的でもないしナンセンス。技術は目的に向かうための手段にしか過ぎない。その視点から今一度整理した上で、ではどうすすめるのかをみんなと考えていけたらなあと思っています。

ということで(?)、2020年に各論として興味があるのはデータ、プライバシー、メディアです。あと毎年言っている「定点観測ブイかつ船になる」ということで、本業は編集者・記者ですけど、観察者であるだけでなく当事者の立場からできることはやっていく所存。当事者に含まれるのかどうか知らないけど、データ、プライバシーについて議論したいけど社内で議論相手がいないとTwitterで愚痴っていたところ、諏訪先生からOS・シンポジウム企画しない?とお誘いいただいて、諏訪先生がやっている社会情報システム学シンポジウムでPHR/PLRについてのOS・シンポジウムを企画しました。楽しい議論になりそうで司会のワタシ得。

sig-iss.work

「VERTIGO/めまい」と生身の人間

9月、原宿のVACANTで、俳優の森山未來さん、音楽作家のKAITO SAKUMA a.k.a BATIC、写真家の岩本幸一郎さんによる「VERTIGO/めまい」というインスタレーション&パフォーマンス作品を観た。サブタイトルは、情報化社会において「個人を取り戻すこと」にまつわる模索。普段大量の情報を浴びてそれをやりくりしながら過ごす中で、記号化されたデジタルの情報ではない、アナログで生身の人間の動きのその強さを感じるパフォーマンスだった。

www.vacant.vc

金曜夜、事前知識がほぼないままにVACANTへ行くと、1Fでドリンクをいただき、2Fへ上がるとそんなに広くない薄暗い空間に、観客が数十人、空間の中には写真などのインスタレーションがあった。

時間になると部屋の中央を取り囲むように観客が部屋の周縁に集まり、その中央部分に森山さんがひとり立つ。

 

 

パフォーマンスの後半で、自分を全身スキャンしたアバタをVR空間でうまく動かせず関節が不自然に動くときと同様の動きがあり、生身の人間なのにVRアバタみたいだ、とふと思った自分を客観的に見ると、情報化社会にどっぷりつかっていて、情報空間のほうが物理社会よりも馴染みがあるかのようだと思った。生身の人間のパフォーマンスは、情報空間が霞むほどに、圧巻でした。

 

 

「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命ーー人は明日どう生きるのか」メモ

不快感がない、おしゃれ、ハイソできれいな未来が詰まっている。全体的にそんな印象を受けた。内覧会で観たから、会場にいる人たちもおしゃれでハイソな雰囲気をまとっていて、余計にそう感じたのかもしれない。

www.mori.art.museum

展示は、「都市の新たな可能性」、「ネオ・メタボリズム建築へ」、「ライフスタイルとデザインの革新」、「身体の拡張と倫理」、「変容する社会と人間」の5つのセクションから構成され、AIやロボット、バイオなどテクノロジーとその影響を受けて作られた作品100点以上が並ぶ。気になった作品をいくつかメモ。

最初の「都市の新たな可能性」から。会田誠さんの作品「NEO出島」は、霞が関や国会議事堂の上空に作られた架空の都市空間。そこは「国際人であり、かつ立派な人物」しか入れない「国際社会」だ。それが、日本の政府機関の上に構成されるのが皮肉がきいている。

aiboとLOVOTもいました。

セッションで最も気になったのは「身体の拡張と倫理」。

身体拡張(人間拡張、Human Augmentation)は、研究者をずっと見ていたから面白いなあと注目していて、そろそろ一般社会でも話題になっていいんじゃないかしらと、AERA時代に「2018年これが来る!」という新年特集でフューチャーしたことがありました。特集のトップに人間拡張の話を持ってきて、個人的には思い入れがあったけれど、まあ2018年にはそんなに来なかったよね。

ともかく、「身体の拡張と倫理」セクションでは、「MITのモラルマシンや、原材料ジェルを3Dプリンタやロボットを使って整形して食事を創るOPEN MEALS、ソニーCSLの遠藤さんの義足などの展示が。

 

「OPENMEALS」

このセクションではっとしたのは、ロボットアームが人のポートレートを写生をするパトリック・トレセ<ヒューマン・スタディ #1.5 RNP>。

5体(セット?)のロボットアームがそれぞれ机の上に鉛筆でポートレートを描いている。5体それぞれの動きはバラバラで描いている絵もうまかったり下手だったり、まるで小学校の美術の時間のようだ。そういった不規則性が、ロボットを生物らしく感じさせた。描かれるのが本物の生物である人間というのもおもしろい。

「変容する社会と人間」のセクションでは、進化したAlter(オルタ)がいました。以前メ芸で見た時よりも、ずっと生き物らしくなっている。

 

オルタがしゃべるようになっていました。

それと、視線追従しているような気がしました。オルタはしゃべると言っても、日本語にならない唸り声を上げるだけ。でも、視線が合うから、なんとなく対話しているような気分になる。生物らしさを感じる。

写生ロボットは顔がないけれど、その所作から生物らしさを感じた。一方でオルタは、その顔、特に目線と発話タイミングで生物らしさを感じた。「生物らしさ」は考えるネタが尽きなくて楽しい。

10年近く前に、デスクの企画で「らしさの科学」という夕刊連載を担当したことがある。生命とは?現実とは?性別とは?など毎回テーマを変えて、その定義がゆらぐような研究事例を紹介していく企画だった。また「らしさ」について考えてみたいなと思い出しました。

 

いわゆるメディアアートというのを、東京に来てから10年以上、いろいろなところでたくさん観て、体験してきた。アートとテクノロジーとか、アートとサイエンスはいつも興味がって、(無理やり)仕事として取材していた時期もあったし、展示やイベントがあれば観に行く。

作者がアートとして作ろうとそうでなかろうと、ある種のロボットのように、その技術とその存在だけで体験者や鑑賞者の認識を殴って揺さぶりをかけてくるようなテクノロジーは、もうそれだけで強いアート作品だ。でも、サイエンスやテクノロジーを「使って」アート作品を作ろうという恣意性が垣間見えると、どうも揺さぶられない。作者の意図を読み取ろうとしてして興ざめしてしまうみたい。


 

 

医療AIといえば画像診断支援なのか?

 今年3月、オリンパスは「内視鏡分野のAI技術において国内初の薬事承認を得た」とする、AI搭載大腸内視鏡画像診断支援ソフトウェア「EndoBRAIN(エンドブレイン)」を発売した。同社の超拡大内視鏡で撮影中に利用し、リアルタイムで「腫瘍性ポリープ」または「非腫瘍性ポリープ」の可能性を数値として表示することで、医師の診断を支援するソフトウェアだ。

 EndoBRAINで言う「AI」とは機械学習のひとつであるサポートベクターマシンSVM)を指す。AMEDの研究費助成を受けた昭和大学名古屋大学などの共同研究で開発された。約6万枚の内視鏡画像を学習させ、多施設臨床試験で正診率98%、感度97%の精度としている。

 医療分野のAIというと、こうした画像診断支援がよく挙げられる。EndoBRAINが使える超拡大内視鏡大腸内視鏡の検査として一般的に普及しているデバイスではないので影響は限定的だが、がん検診などでも使われる一般的な内視鏡画像診断支援AIへの期待は大きく、薬事承認に向けた研究開発も複数の企業で進んでいる。内視鏡画像の他にも、X線やCT、MRI、病理画像と、画像診断支援AIが活躍するだろうと考えられる医用画像は多い。

 今のAIブームで技術的なブレークスルーが起きたと言われるディープラーニング(深層学習)が画像認識に秀でているため、画像診断支援への適用が注目された。

 では、医療AIといえば画像診断支援なのか?

AIとは「ディープラーニング」「機械学習」「IT全般」

 ところで、AIの話題となると「AIとはなんぞや」問題がいつでも起こるので、ざっくりとAIが何を指しているかをおさらいしておく。現在のAIブームにおいて「AI」が指すものは、狭義には「ディープラーニング(深層学習)」、ディープラーニングを含む「機械学習」を指し、広義には「IT」「デジタル化そのもの」を指すと考えることが多い。これら3点は以下のようにそれぞれの部分集合で表すことができる(図は適当に作ったので面積比に意味はなし)。なお、松尾先生はこれを「IT系」、「ビッグデータ系」「ディープラーニング系」と3分類している。

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 IT全般というとIT化・デジタル化すればなんでもありになってしまうが、AIブームにおいてはマーケティング用語として「AI」を多用する向きもあり、現実問題としてそうなっている。

 「ビッグデータ系」は従来から用いられていた機械学習自然言語処理を中心とする技術だ。統計や検索、レコメンデーションなどのために従来から用いられてきたが、近年は大量のデータの蓄積とともに有用性が増している。IBMの「ワトソン」、日立製作所の「H」、NECの「NEC the Wise」、富士通の「Zinrai」などのサービスはここに入る。

 「ディープラーニング系」は、そのまんまでディープラーニングを用いたものだ。今回のAIブームのきっかけは、ディープラーニングという技術の台頭にある。ディープラーニングとは、膨大なデータから学習し予測を行う技術である機械学習の手法のひとつで、入力したデータからそれらのデータの特徴量を自動的に抽出することでそれを認識したり生成したりするようにするプログラム。同様の技術は以前からあったものの、昨今のコンピュータ性能の向上とデータの地区せきによって一気に有用性が増し、特に画像認識精度は人間の目の精度を超えるほどに飛躍的に向上した。

 このうち、大量のデータから学習させる機械学習ディープラーニングは画像認識精度を向上させるため、医療においては医療画像からがんや病変を検出する画像診断支援に有用とされている。2017年6月の厚生労働省「保健医療分野におけるAI活用推進懇談会報告書」の中で「AIの実用化が比較的早いと考えられる領域」の4領域のうちのひとつとして「画像診断支援」が挙げられ、画像診断支援の開発に向けた研究開発事業がいっせいに立ち上がった。

 とはいえ同報告書の中では他に診断・治療支援(問診や一般的検査等)、ゲノム医療、医薬品開発、介護・認知症、手術支援も挙げられたほか、同報告書をまとめた会議の続きの会議が今年6月にまとめた「保健医療分野AI開発加速コンソーシアム報告書」の中では以下のようにより広範な領域に広がっている。

 

AIが医療に導入されるのは「不可避な未来」

 第三次AIブームが始まって久しいが、私が最初に「医療×AI」を見出しにとった記事を書いたのは2016年だった。その頃から「医療AI」だとか「医療×AI」をうたう記事がメディアでも増えてきた。最近はデジタルトランスフォーメーション(DX)だとか、AI社会だとか、データ駆動型社会だとか、AI以外にも様々なバズワードが氾濫しているけれど、「医療AI」「医療×AI」だとかもそういったバズワードの類で、それが何を指しているのか、何を意味しているのか、だから何なのか、誰もが共有する定義はない。先日取材に行ったある医学系学会のAIセッションでは、某先生が医療AIについて「あまりにも浮ついているAIという言葉を使うのはやめましょう」と仰られた。

 それにもかかわらず、多くの医療関係者は今後AIが医療に導入されると考えているようだ。

 少し古いアンケートだが、2016年5月に医師専用コミュニティサイト『MedPeer』が医師を対象に実施したアンケートでは、回答した3701人の医師のうち90%が「AIが診療に参画する時代は来る」とした。このうち最も多かったのが「10〜20年以内に来る」と回答した医師で、全体の33%を占めた。米『WIRED』創刊編集長のケヴィン・ケリー流に言えば、AIが医療に導入されるのは「不可避な(inevitable)未来」だろう。

 その医療AIとは、まだ見ぬ未来の得体のしれない何かにすぎないのだろうか。技術の進展に伴い、自ずと臨床現場に実装されていくようなものなのだろうか。

 たぶん、現実にはそんなに簡単にことは進まない。特に日本では、国民皆保険制度という世界に誇る医療制度が整備されており、法制度のもとに厳しく管理されている。また国内31万人の医師ら医療従事者は複雑なヒエラルキーと利害関係に基づき、保守的な体制が脈々と守られている。

 一方で、少子高齢化による社会保障費負担増のため、世界に誇る医療制度を維持するのが難しくなってきているのも現実。そこには、医療の対象が従来の急性疾患(感染症など)から慢性疾患(生活習慣病など)への遷移、医療技術の進歩による高コスト化など様々な要因も絡みあう。また、様々な情報が膨大になるにつれ医療現場の複雑化とその処理のため、医療従事者の事務作業や労働量は膨らみ続けている。

 こうした中、医療の質の維持・向上と医療制度の維持には、とにかく膨らみ続ける業務に対する、「効率化」「最適化」が必須だと、多分現場のほとんどの人たちが感じている。

「効率化」「最適化」をもたらす

 ところで、AIというかAIを包含するIT化、デジタル化によって私たちが享受するメリットは基本的には「効率化」「最適化」だ。増え続ける情報量を紙などのアナログツールだけで処理していくには限界がある。情報量がある程度以上に増え続けていくと、IT化・デジタル化したほうがずっと処理しやすく効率的だ。また、情報収集自体をIT化・デジタル化することで、さらに効率よく収集できるようになる。もちろんIT化・デジタル化には対象が定型化されていることが前提になる。

 IT化・デジタル化はそれ自体では必ずしも新たな価値は創出するわけではなく「効率化」「最適化」するのが主な利点だが、一方で「効率化」「最適化」することで、余剰を生み出し、そこから新しい価値創造につなげることができる。ただしそれは使う人の工夫次第だ。

 医療でも同じで、IT化・デジタル化は「効率化」「最適化」をもたらす。というか、もたらすはずだった。が、実際のところ医療従事者にとっては、余計に仕事が増えた上、患者満足度が下がった一例が、電子カルテの導入だ。

医療現場はIT化・デジタル化に伴い業務が増大

 1999年の厚労省 「法令に保存義務が規定されている診療録及び診療諸記録の電子媒体による保存に関するガイドライン」以降、それまでの紙カルテだけでなく電子カルテが可能となった。電子カルテは当初記録作成の効率化を目指して導入されたが、現実には入力作業が増大し、医師の労働負荷が高まった。それだけではなく患者満足度も下がった。電子カルテを使うようになり、「医師はパソコン画面ばかり見ていて患者を見なくなった」とよく揶揄される。全ての医師がブライドタッチにたけているわけでも、ITに詳しいわけでもないので当然のことだ。UCSFのグループによる2017年の研究では、電子カルテの利用で患者満足度が下がったとしている(Association Between Clinician Computer Use and Communication with Patients in Safety-Net Clinics. JAMA Intern Med. 2016 Jan 1; 176(1): 125–128.)。

 ただし単にIT化・デジタル化だけが問題ではない。2000年代には医療法改正で患者同意説明や診療情報提供、医療事故調査、地域連携のため、また個人情報保護法等で電子カルテが追い付かないほどの、医療現場での記録や書類が膨大になっていった。その上、2017年ごろからデータヘルス改革との名のもとに、医療データ解析や活用を進めるとのことで、さらに現場の負荷が高まっている。

 単にIT化・デジタル化するだけでは必ずしも「効率化」「最適化」につながるわけではない。そもそもIT化・デジタル化すること自体に、経済的・人的・時間的コストがかかる。また個別最適が必ずしも全体最適につながるわけではない。

 話をAIに戻すと、今なぜ医療でAIへの(過剰なまでの)期待があるのかといったら、医療現場のニーズから言えばひとつは、まずいIT化・デジタル化で増大した業務の「効率化」「最適化」だ。さらにはひいてはそれが患者満足度向上や医療の質の向上につながるという期待だ。一方で、医療現場がどうであれ、IT化・デジタル化は社会のあらゆる場面で勝手に進むので、それは翻っては医療現場での情報量が膨大にあふれることにもつながる。そこへの対応という点でも、「効率化」「最適化」のためになんらかのツール(単なるIT化・デジタル化には散々がっかりさせられてきた医療現場からしたら、AIへの期待が高まるのもまた不可避)を使うというのは、不可避な方向だ。

 もちろん患者からしたら、「正しい答えを出す」「間違わない」「疲れない」という”イメージ”のあるAIが医療現場に入ってこれば、医療ミスもがんの見落としもなくなるという期待も大きい。ただ、これは半分は正しく、半分は正しくない。詳しくはまたいずれ。

「表現の不自由展・その後」のその後を見にあいちトリエンナーレへ行ってきた

8月1日から始まったあいちトリエンナーレ内の「表現の不自由展・その後」が8月3日に展示中止となった、「その後」を見るために11〜12日にあいちトリエンナーレへ行ってきた。1日目は名古屋市美術館、メイン会場の愛知県芸術センター、2日目は豊田市美術館など豊田市の会場と那古野エリア(四間道・円頓寺)と2日間でほぼすべて回れました。

「表現の不自由展・その後」のその後

愛知県芸術センターの「表現の不自由展・その後」の展示中止の案内。行ったときは隣のCIR(調査報道センター)も調整中で見れませんでした。

写真の奥が展示中止の展示室。

その先へ進むと、イム・ミヌクの展示中止の張り紙の周りには、ちょっとした人だかりができていた。イム・ミヌクは「表現の不自由展・その後」の展示中止に伴い、3日に出品自体を申し出た。

ほかに、同様の経緯からパク・チャンキョンの作品が展示中止となっている。

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また、現地に行くまで知らなかったが、豊田市駅周辺の小田原のどかの作品も展示取りやめになったとの8月6日付けの張り紙があった。

 

ほかには、愛知県芸術センターの8階展示会場入り口で、展示中止になった「平和の少女像」のほぼ等身大パネルを持った方(帽子、メガネ、マスクで顔を隠していた)がひとりで立っていました。静かに立っていて、周りの人はほぼ気にしないで通り過ぎ、一方で会釈をして写真を撮っている方もいました。

 

なお、「表現の不自由展・その後」の展示中止を受け、他に9作家が12日付けで「ARTNEWS」宛のオープンレターを公開し、自らの作品展示中止を要求しているという。

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メインビジュアルに作品が使用されている豊田市美術館のウーゴ・ロンディノーネや、名古屋市美術館でメインクラスの展示がされているモニカ・メイヤーも含まれる。

名古屋市美術館のモニカ・メイヤーの展示。

豊田市美術館のウーゴ・ロンディノーネの展示。これらは展示中止になる(としたらその)前に見に行けてよかった。

 

「表現の不自由展・その後」展示中止の看板が作品のようになっていたり、イム・ミヌクの展示中止の張り紙の前に人が集まっていて、その張り紙そのものがあたかも作品のようにもなっていたりと、「表現の不自由展・その後」のその後展とかできそうだな、と思いました。

 

展示のレポートと感想はまた別途書きます。多分、そのうち。後日別件(お仕事)でもう一度行くことになったので、その時までに考えまとめよう。