自動運転車の社会的ジレンマ
週末に、NatureやScienceの編集記事、IEEE Spectrumなど海外の研究開発のニュースサイトを見る。ざっくりみていて、自動運転車の話題が多かったなあと。今週のScienceで紹介されている研究紹介記事のざっくり翻訳と動画です。
元記事は
すでに路上で自動運転車の走行テストが行われているが、倫理問題は依然として残っている。あらゆるコストをかけて自動運転車は乗客を守るべきなのか?それとも、歩行者といったほかの人を守るために乗客を犠牲にするようにプログラムするべきなのか?最新の研究では、前者に対して「Yes」、後者に対しても「Yes」という結果が示された。
研究者らは、オンラインで451人を対象に調査を行った。倫理では「トロッコ問題」と呼ぶ、乗客と通りがかりの歩行者といずれかが犠牲になる避けられない事故で、どちらが犠牲になるのがより適切かと質問した。乗客と歩行者の比率が1:1、すなわち乗客1人と歩行者1人の場合は、回答者の75%は乗客が救われるべきだと回答したという結果が、Science誌オンライン版で報告されている。
だが、歩行者の数が増えるに従って、回答者は心変わりを始めた。歩行者が5人、乗客が1人の場合は、乗客が救われるべきだと回答したのは50%になっていた。そして歩行者が100人の場合では、20%まで下落した。
これらの結果は、自動車メーカーが259人を対象にして命と功利主義的なスタンスとどちらを重視するプログラムにするべきかと質問した、二次調査の結果とも一致している。100点満点で、回答者の支持率は70点だった。だが、ドライバーを犠牲にするプログラムの車を買うかどうかと尋ねると、支持は30点に落ち込んだ。
これは、環境保全や交通事故削減のために自動運転車を普及させようとする政策立案者やGoogleやBMWといった会社に対して、課題を提起するものだ。自動運転車によって路上はより安全になることを主張している人達がいるが、この安全性を提供するプログラムはこれまでの道路であることを否定するものなのかもしれないのだ。