依存とコミュニケーション
*先月、依存の特集のために取材をしていたときに書いた備忘録
「ネット依存症」という疾患がある(もっとも精神疾患の国際的な診断基準には含まれていない)。ネット依存、というとSNS依存のように1日中ネットを見ている状態を指すのかと思ったが、そうではないらしい。
ネット依存症として精神科医の診療を受けているほとんどがオンラインゲーム依存の中高生だ。オンラインゲームが普及する以前の、据え置き型ゲームでは、臨床上精神科医にかかるようなゲーム依存に陥ることはなかったという。
ひとつは、ハードウェアの制限。据え置き型ゲーム機では、家でテレビの前でしかプレイができない。一方で、オンラインゲームではスマホであればいつでもどこでもプレイができる。
もうひとつはソフトの問題。据え置き型ゲーム機では、買い切りが基本なので、ゲームには終わりがある。一方でオンラインゲームでは、永遠に終わりがない作りになっている。終わりがない、だけではなく、飽きずに続けてもらう必要がある。ゲームでは、何かをクリアすることによる達成感という「報酬」を得ることができる。その報酬を得られ続ける設計がされている。
ということで、そもそもオンラインゲームは、ゲームを死続けやすい構造にはなっている。だが、それだけでは依存にはならない。
なお、依存そのものは必ずしも悪いわけではない。だが、臨床上問題になるような状態は、(1)社会生活を送る上で支障が出る(ゲームばかりやっていて朝が起きれない、学校や仕事にいけない、課金が支払い能力を超える)、(2)本人の健康状態に支障が出る(スマホの触りすぎで腱鞘炎になる)、(3)周囲に迷惑をかける(ゲームのやりすぎを家族に指摘されて暴力を振るう等)、の3点と複数の専門家が指摘している(他の精神疾患でもだいたいこの3点)。この3点に陥る依存の状態は問題があり、何らかの対応が必要と考えていいだろう。前述の「ネット依存症」として外来や入院する人たちは、概ねこの3点の状態になっている。
問題のある「依存」の状態に陥るには、ひとつはゲームそのものの特徴でもある「報酬」を得られ続ける体験に加えて、コミュニティの形成が重要になっているようだ。