人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

記者と主観と客観と

新卒で入った新聞社で、記者クラブで色々と教えてくれた他部署の師匠が、時々「語る会」を主催している。ただの飲み会だが、参加者は師匠が仕事のなかで出会った人たちで、「医療」をキーワードに業種も職種もさまざまだ。

私が「語る会」に最初に参加をしたのはまだ最初の新聞社にいるころで、最初は結構面食らった。業種も職種もさまざま(医師、医療関係者、行政関係者、メディア関係者、患者団体関係者、アカデミア、研究者、政治関係、企業の人、起業家・・・とにかく様々)。ただ「医療」に何らかの形で関わっているという共通点があるだけで、例えばひとつの事象についても複数の面から見て深い議論ができることに気がついた。

記者という仕事は、取材対象に対して客観的であり、仲間になってはいけない。

そうやって考えていた当時の私は、「語る会」がとても新鮮でおもしろかったし、取材先と師匠のあり方が、おもしろいなあと思った。記者は取材先と飲みに行くことはあるけれど、こうやって異なる複数のステークホルダーが一同に会して、議論をする飲み会は、それまで参加したことがなかったからだ。

初めて参加をしてからもう7-8年経つ。その間に、私は意図せず師匠と同じように、もともとは取材先として繋がった異なるステークホルダーの人たちと一緒にいろんな活動をするようになった。そういう活動をする中で、第三者として取材先に客観的に関わるべき記者が、当事者として取材先である人たちと一緒に活動をすることに、記者として間違っているのではないかと悩み、師匠に相談をしたこともあった。

先日の「語る会」でのこと。「記者(ジャーナリスト)って何だと思う?」と師匠。「社会のジャーナル(日記)を付ける人だ」と。その時話題に出ていたのが、清沢烈の「暗黒日記」。あくまでも客観的に事実を日記としてしるし、一方で主観として訴えたいことは、後世の人々はその文章から読み取る。それはジャーナリストの仕事だと師匠。

「記者は表面的には客観的なファクトを書き記すけれど、その内面は主観によるもの」と私が言うと、成長したな、と師匠。

記者は、主観と客観を行き来しながら、それを意識的に区別し、使い分ける必要がある。おもしろい仕事だと思う。