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次々と新しい感染症が発生するのはなぜかー「ウイルスは悪者か お侍先生のウイルス学講義」

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に限らず、これまでヒトの間で流行していなかった新しいウイルス感染症の流行は、しばしば発生しています。その多くは、ヒト以外の動物のウイルスが変異してヒトの間での流行を引き起こす人獣共通感染症。ではなぜ次々と新しい感染症が発生するのか?「ウイルスは悪者か お侍先生のウイルス学講義」は、そんなウイルスの生態から、ウイルス研究者の生態まで描く。COVID-19の感染拡大に伴い、世間のウイルスへの関心が増しているのか、3版まで増刷されていました。

ウイルスは悪者か―お侍先生のウイルス学講義

ウイルスは悪者か―お侍先生のウイルス学講義

 

 著者の髙田礼人先生は、北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター教授で、エボラウイルスやインフルエンザウイルスの研究者として有名です。この本は髙田先生と北大獣医学部微生物学教室のウイルス研究ノンフィクションとしても大変おもしろいですが、ウイルス学や先生のご研究についてわかりやすく紹介されています(多分こっちがメイン)。

なぜ次々と新しい感染症が発生するのか

そもそも人類の歴史は感染症(疫病)の歴史そのものというくらい、人と感染症は切っても切れない関係ですが、1928年にフレミングが世界最初の抗生物質であるペニシリンを発見し、その後抗生物質が普及することで、多くの細菌性感染症がコントロールできるようになっていきました(耐性菌の問題はでてきたにしろ)。また、ワクチンの普及もあり、WHOは1980年には天然痘撲滅を宣言するなど、人類は感染症との戦いに勝利したとも言われたこともあったそうです(って昔微生物の授業で習った)。ところが、1981年にエイズ患者が初めて発生し1983年にその病原体であるヒト免疫不全ウイルス(HIV)が分離。他にも次々と新興感染症が発見され、新興・再興感染症が重要視されるようになりました。

中でも、1997年のH5N1鳥インフルエンザ感染症、2003年の重症急性呼吸器症候群SARS)、2009年の新型インフルエンザ(H1N1)、2012年の中東呼吸器症候群(MERS)などは大きな話題になりましたが、新興感染症の発生自体は毎年のように世界各地のどこかで起きています。

これらの新興感染症の多くは、すべてヒト以外の動物にもともと感染していたウイルスが、ヒトへの感染性と病原性を獲得して、ヒトの間で流行が広がっていった人獣共通感染症であるというのが特徴です。

ウイルスは動物などの宿主に感染してその宿主の細胞のメカニズムを利用して増殖しますが、一般に宿主特異性が高く、本来の宿主以外には感染しません。ところが新興感染症の多くでは、もともと他の動物を宿主として感染するウイルスが、変異をして(ウイルスは単純なゲノムを持っているので常に変異をしているというくらいに容易に変異をする)たまたま人間に感染しやすくなりヒトの間で流行が広がっていくというのが一般的な見方です。特定の生物を宿主とするウイルスが、他の生物に感染していく流れを髙田先生は以下のように分類しています。新興感染症として問題になるのは、このうちの(b-1)です。

(a) レセプターを含むさまざまな宿主因子の形状が適合せず、その生物に感染できない。

(b) 偶然にもレセプターや宿主因子の形状が適合し、感染に成功。

 (b-1) しかし、宿主生物の免疫システムとの折り合いがつかなかったり、ウイルスの増殖能力を調節できなかったりで、ときに死に至る重い病気を引き起こす。

 (b-2) 感染したうえで、宿主生物にそれほど重い病気を引き起こさない。

では、どうしてこのような人獣共通感染症の発生がヒトの間で次々と起きているのでしょうか。髙田先生はこの本で、その理由として以下のように「開発によって野生動物と人間社会との接触が増えた」「ウイルス検出技術の発展と簡便化・情報通信技術の発達と普及」「人間社会のボーダーレス化とグローバル化の3点をあげています。

 これら新興感染症たる人獣共通感染症が、開発途上国と呼ばれる地域で多発しているのは偶然ではないだろう。近年の急激な開発により、これら病原体の自然宿主たる野生動物の生態や行動圏が撹乱されている。それにより、それまでは大きく隔てられていた野生動物と人間社会との接触が増え、偶発的な感染が起こるようになった。そのなかに、ヒトに対して高い病原性や致死性を示す病原体が存在し、それが人間の脅威となっているのだ。
 また、新興・再興感染症が近年とみに報告されるようになった要因として、ここ数十年でのウイルス検出技術の格段の発展と簡便化、さらには情報通信技術の発達と普及も指摘しておきたい。同じ病気が従来からも起きていたが、その情報が世界に広く伝えられることもなく、検出技術もなかったために、ただ発見されていなかっただけという可能性も十分にありえる。
 新興・再興感染症の脅威が高まっているもうひとつの背景には、人間社会のボーダーレス化とグローバル化の進展が挙げられる。
 大勢の人や物が国境を超えて行き交うようになり、旅行者やビジネス・研究での国境を跨いだ移動、食肉や飼料、野生動物やペットの輸出入は増える一方である。感染ルートは多様化し、水際での対策が難しくなっている。発症前の潜伏期間中や、感染しても病気を発症しない「不顕性感染」の場合、感染者や感染動物が大勢の人や動物が集まる場所に行くと、そこで一気に感染が広まる恐れがある。

 

ウイルス研究者の生態を記すノンフィクション

この本は、ウイルス研究者である髙田先生とその出身の北大獣医学部微生物学教室の先生方の生態を描くノンフィクションとしても大変おもしろいです。

例えば、1997年のH5N1鳥インフルエンザ感染症アウトブレイクが香港で起きたときに、上司の喜田宏先生から派遣されてウイルス採取と調査のために香港へ行くくだり。行きの新千歳空港では注射針や注射器500本を手荷物で持ち込もうとして保安検査で引っかかり、ライブバードマーケットでのサンプル採取では感染予防の秘策として自分で作った当然未承認のH5ワクチン(経鼻ワクチン)を接種してのぞみ、帰りの新千歳空港では麻薬密売人に間違えられカメラケースを疑われる。

髙田先生は獣医学部の大先輩で、私が学部生の頃に人獣センターに教授として着任されましたが、講義などで関わりはなく、ジンパで樽ビールを要望される先生というイメージしかありませんでしたが、記者になってから取材でお伺いしたエボラウイルスの治療薬開発の話は大変おもしろかったです(この本の中にも出ています)。