人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

人工知能とエマちゃんのこと

 友達のエマちゃんのことを(勝手に)書く。エマちゃんはいわゆる文系の博士で研究者だが、人工知能に詳しい。というかよく人工知能研究者と一緒に仕事をしている。不思議なポジションにいる。

 エマちゃんは文系も理系も領域を超えていろんな研究者を巻き込んで「人工知能が浸透する社会を考える」(AIR)という活動を2014年秋から続けている。

http://web4ais.wpblog.jp/

 ちなみにこの活動についてのエマちゃんのインタビューは以前ハフポストに書いた。

http://www.huffingtonpost.jp/katsue-nagakura/ai-interview_b_8018676.html

「なんかおもしろいこと一緒にやろうよ」

「今度いつ会える?忙しい?」

 エマちゃんがよく言う言葉だ。私に対してだけじゃなくて、ほかの人に対しても。そうやってどんどんと軽々と周りを巻き込んでいく。

「あいつわかってないなー。」

「あれはだめでしょ」

 一方で歯に衣を着せないので結構毒舌でもあるが、エマちゃんが言うと全然嫌味じゃない。心からそう思っているんだと素直に思うし、そもそもエマちゃんが言う毒舌にはだいたい私は同感。

 冒頭で「不思議なポジション」と書いたが、科学技術社会論が専門のエマちゃんが人工知能まわりで活動をしているのは実は不思議でもなんでもない。人工知能そのものは技術だが、問題なのは技術ではなくて、それと社会とのあり方、ひいては人間のあり方をどうつくっていくか、どう考えていくか、ということなのだから。

 私が書いても説得力がないので、人工知能の第一人者で東大准教授の松尾豊さんの発言を引用する。先日の厚生労働省「働き方の未来2035」での発言だ(松尾さんはメンバーのひとり)。

 人工知能やシンギュラリティの議論になると『知能』と『生命』が混同されるが両者は異なるもの。『知能』は目的を与えられた時の問題解決に向かうが、『生命』は目的を持つもの。人間は『生命』としての目的を『知能』を使って実現している。人工知能の技術が発展しても人間が目的を設定しないといけない。
 悪い目的に設定すると軍事利用や犯罪に人工知能を使うことになる。善悪がはっきりしていても、微妙なものはたくさんある。自動運転で事故を防ぐために制限速度を10キロにすればいいが、利便性は悪くなる。
 安全性と利便性のトレードオフの中で何を選ぶのか、社会として解かないといけない問題。グレーの部分を明示化しないといけないが、昔からこれは人文社会科学で議論されていることだ。こういう分野の議論がますます重要になる。
 最終的には「我々はどういう社会をつくりたいの?」というところにいきつく。どういう仕事をすれば人はハッピーなのか、どういう社会を作りたいのか、そこを合意できることが大切。

 人工知能まわりでエマちゃんの専門と彼女の個性が活きるのは必然なのだ。

 エマちゃんと仲良くなったのは飲み会だ。仕事の関係で以前から顔見知りだったが、去年の函館であった人工知能学会の全国大会の飲み会で意気投合。次にとある人工知能関係の勉強会で会った時に後の飲み会で「あなた、あたしだー!」(考え方が似ているということ)とエマちゃんに言われ嬉しくなり、それ以来なにかと理由をつけて会ってはぺちゃくちゃ話す。

 ちなみにエマちゃんも私もお酒が飲めない。