備忘録

テクノロジーと人間

人の感情に働きかける

「人は泣くから悲しいのか?悲しいから泣くのか?」
心理学では、「人は泣くから悲しい」という説が支持されているのだという。身体反応が先に立ち、それから感情が生まれる。

「扇情的な鏡」という作品がある。ディスプレイを鏡に見立てて、ディスプレイ上のウェブカメラに写った人の顔をリアルタイムでディスプレイに表示し、且つその顔の表情を変化させるというものだ。

白の鏡は、そこに映った顔を笑顔にする。

黒の鏡は、そこに映った顔を悲しい表情にする。

昨日、これを作ったしげおさんの作品展示とD論お疲れ様会がありました。情報提示によって人の感情に働きかける領域を、しげおさんはCybernetic Mindsと呼ぶ。

「泣くから悲しい」なら、「泣く」状態をつくってあげたら?というのがこの涙眼鏡。

眼鏡をかけると、眼鏡から水滴が目頭にでてきてあたかも涙のように頬をつたっていく。以前デモを体験させてもらった時には、悲しくなるというよりも、笑ってしまったけれど。

ところで、泣いている人を見たら、自分の悲しくなるのではないだろうか。これが「情動伝染」だ。涙眼鏡は当初は扇情的な鏡のように本人の感情をつくることを狙っていたが、展示中、涙眼鏡のデモを体験している人を横から見ていたおばあさんが、悲しくなる、と言ったという。そこから、涙眼鏡は情動伝染を作り出すのでは、と考えるようになったとしげおさんは言う。

その情動伝染をもっと便利に使おうとしたのが、「smart face」。

Skypeのようなウェブ会議システムで相手と話すとする。その時に、自分が笑うと、ディスプレイに表示される相手の顔も笑うように、画像処理されるシステムだ。自分に共感をしてくれるように感じて、共感を生むのだという。

感情は、私たちは毎日付き合っているにも関わらず、(だからこそかもしれないけれど)その詳しいメカニズムはよくわかっていない。というかメカニズムってなんだ。わかるってなんだ。

自分や他人の感情のコントロールは、すでに私たちは日常的に自然にやっている。それを情報技術でサポートする、というのはおもしろいと思う。だが、言語や表情、態度、行動といった生身の人間の言動によって自分や相手の感情をコントロールすることは日常的に行われているが、情報技術の介在がどれだけ認識されるのだろうかという不安はある。自分で気づかないうちに自分の感情がコントロールされる。日常でもよくあることだ。でも、それが誰かによって恣意的に、ツールとして情報技術を使って行われるとしたら、なんか気持ち悪いな―、種明かしを事前にしてほしいなーって、思うんだろうな。なんでだろ、自分や他人の感情コントロールそのものは日常的に行われるものなのに。