コロナと個別最適、全体最適
東京は、第5波真っただ中だ。今週から緊急事態宣言は関東地方は東京だけでなく一都三県に拡大された。1日の陽性者数は都内では3000-4000人で推移しているが、陽性率の高さからも、検査能力が律速になっているので実際は数値に現れないほどに拡大しているだろう。
そのさなかでの東京オリンピックだ。無観客開催だが会場付近の人流は開催前と比べて増えている。それだけでなく、五輪開催中という社会の雰囲気が、人が街に出ることを躊躇なくさせる。
人との接触が減らない限り、感染拡大は止まらない。ワクチン接種は進むが、ワクチンが銀の弾丸ではないこととは、ワクチン接種が先行した各国をみれば明らかだ。人流に与える4度目の緊急事態宣言の効果はこれまでと比べて最も低い。
もう少し前、春くらいにワクチン接種が始まると、来年には海外渡航が自由になるくらいには状況は落ち着くという向きもあった。だが、現状を見ていると、それもあやしい。1年後の夏も、まだマスクを付けて我々は生活をしているのかもしれない。
ポストコロナと言う言葉は、1年以上前から言われていた。混乱は、既得権益を破壊するという期待がある。経済も社会も混乱し、停滞するが、一方でそこで生き延びて形勢逆転をはかるチャンスでもある。だから、コロナ禍のさなかで、その先の勝ちを取りに行く。そうした考えでとにかく動いている人たちは、既得権益側、新興側問わずこの1年たくさん見てきた。とにかく動かなければ勝ちはない。それどころかこれまで非主流だった人達にとっては、形勢逆転のチャンス。でも既得権益側もそれに負けないように、精一杯邪魔をする。取りに行く。そういう、弱肉強食な世界が、水面下では繰り広げられている。
誰も全体最適には興味がない。自分が勝つこと、個別最適を極限まで進めようとする。だが、個々人が皆個別最適を生真面目に進めると、全体最適には決してならない。
2016年くらいに白土さんがNatureに出した論文を思い出す。ゲームを題材に、複数のチームからなる集団があり、個々のチームが勝ちに向けてゲームに取り組む中で、勝ち負けに関わらず振る舞うbotを投入すると、集団全体としては強くなるというシミュレーションだ。
ITは最適化・効率化を進める。個々が活用することで、それぞれが個別最適を極限まで進めることができるといっていい。社会の不調和は、個々が個別最適を極限まで、ぞうきんをしぼってもう一滴も残っていないくらいに、極限まで進めたことの当然の帰結ではないのか。