実世界AI研究のわけー人工的に作られた”問題”を”手段”に押し込めようとしたことで、AI冬の時代が引き起こされた
科学者は、「役に立つ研究」という言い方を嫌う人が多いようだ。でも、科学研究は現実の社会課題の対応になるものだ。
先月、理研AIPセンターのシンポジウムであった、カーネギーメロン大学教授の金出武雄先生の講演では、「実世界AI研究」として、現実の社会での問題に対応するAI研究の話題があった。
とても良かったので、メモを共有します。
以下、金出先生の講演メモ。
◆
ロボットや画像、コンピュータビジョンの分野でいろんな研究をしてきた。顔認識や自動運転、最近ではスマートヘッドライトといって、運転時に雨が降ると、雨粒に光が当たらないヘッドライトの制御をやっている。
研究は楽しくやってきたが、今日はその話はしない。「実世界AI研究」というのが今日のタイトル。
人工知能は今はやっているが、もともとはよく言われるのが、1956年のダートマス会議に集まってワークショップを行った5人が人工知能研究の元祖だと言われる。この5人の中で、ハーバート・サイモン先生とアレン・ニューウェル先生は私がいるカーネギーメロン大学の先生だ。
AIの歴史は、挫折と回帰から成り立っている。
1966年にピアス勧告が出されて、「機械翻訳は出来ない」と言われた。これに対して、1980年代に意味論が導入され、それから20年後の今ではニューラルネットワークで翻訳は急速な能力向上となった。
1968年にはMinsky-papertで、単層パーセプトロンの限界が指摘された。これによってニューラルネットワークに対する落胆があったが、その後1980年代に非線形要素を入れることで改良がなされた。さらに2000年代後半には多層のニューラルネットワークが出てきて今のブームへとつながった。
1973年に出されたライトヒル勧告では、組み合わせ爆発問題が指摘された。これに対してNPハード問題に対する現実的な「近似的」「確率的」解法が提案された。また、「知識」の書き出しと「浅い」探索によるエキスパートシステムの成功があった。
1990年頃に問題の定式化(モデル化)とプログラミングの限界が指摘された。だがそれは昨今のビッグデータとそれを活用した深層学習の登場によって克服されつつある。
「良い科学は、現実の問題に応答する」
「AI冬の時代」と言われたのが1970年代から80年代終わりのことだ。(AI研究に多額の資金を投入してきた)DARPAはそれまではAI研究の資金制限を設けていなかったが、包括的AI研究資金停止が導入されたことが冬の時代の引き金となった(AIへの"Umbrella Funding"の停止)。
では「良い」研究とは何だろうか?みんなを納得させるものだろう。
これに対して、アラン・ニューウェル先生は真摯で深い考えを持っていた。良い科学というのは、現実の現象、現実の問題に応答する、というものだ。彼はこう言っている。
Good science is in the details,Good science makes a differnce.
(良い科学はちょっとしたところにある、良い科学は差を生む)
では実世界AI研究とは何か?現実に存在する社会的、経済的、工業的・・・(あらゆる”的”)に価値のある問題に解決を与え、差を生み出すAIの研究だ。
先日話したDARPAのプログラムマネージャーが良いことを言っていた。
The objective is to "catch mice", not build a "better mouse trap."
(研究の目的は「マウスを捕まえること」であって、マウスを捕まえるワナを作ることを目的にしてはいけない)
毛沢東も、こう言った。
知識を得たいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。
人工的に作られた”問題”を”手段”に押し込めようとしたことで、AI冬の時代が引き起こされた
「応用をやりたい」と私は言っているのではない。これまでも、AIの強力な手法は、現実の具体的な問題と困難を追求する中で生まれてきた。
Logic Theoristから、手段の探索を組み合わせる手法になったが、これはGPSの開発につながった。化学構造式の同定と医学診断のために、エキスパートシステムにつながった。不確実性と因果(拘束)関係をもつ計算問題からグラフモデルとNPハード問題の近似的・確率的開放につながった。文字認識は、CNN深層学習によって精度が向上した。
なぜ、AI冬の時代になったのか振り返ってみると、人工的に作られた”問題”を”手段”に押し込めようとしたことで、AI冬の時代が引き起こされた。
MicroWorldのアプローチでは、問題の自己定義とその世界での開放が行われてきた。例えば、K.ForbusはAnalogical ReasoningとStructure Mappingと定義をしてしまった。そこから先は数学の問題になってしまった。日本では第五世代コンピュータは、Logic Programmingということを決めてしまった。
こうしたものが人工的に作られた問題だ。
一方、実世界IAでは、製品検査やシステムの異常検知といった実際の世界での問題に対応する。
AIでは、それ自体がどのように決定をしたのか説明ができないとよく言われる。これに対して「説明できる」AIを作ろうという研究がある。DAPRPAでもXAIプログラムを作って15くらいの機関で研究をしている。参加者の多くは大学の研究者だが、具体的問題、自律ロボット、軍事情報解析AIシステムといったインテリジェンス情報の解析のためにAIを使うとなったときに、説明ができないと使えない、となってしまうからだ。
一方で、「会議に参加して貢献できるAIシステム」というものがある。これは私が好きなものだ。例えば5人が会議に参加したときに、もうひといAIが参加する。このAIが本当に会議に貢献できるかどうか、というものだ。
これは伝統的なAIの問題で、問題と知識の表現方法が知られている。表現できればそのうえで計算ができる。ディープニューラルネットワークでは分散的に知識が表現されている。ただし、本当に”人のように有能な”システムの実現には、フレーム問題と記号接地問題が課題となってくる。
ディープラーニングは閉じた世界だ。ただし現実の会議では、これまでに計算をしたことがない問題も現れる。だから会議はおもしろいのだ。そのことを”フレーム問題”と言う。「〇〇病にかかった」と言うと、「〇〇病」というのがよくないことだと我々は感じるが、それは記号として記述されていない。我々が記号として使うことが、AIシステムには使うことができないのだ
マサチューセッツ工科大学では1970年前後にProjectMACが行われた。実問題の解をインプリメントする手法を開発し、Emacsなどを使うようになった。これと同じようにAIPセンターでAIの能力を実問題の解を得る手段になっていくといい。
他者の心の状態を推測するニューラルネットワーク
他者の心の状態を推測する心の機能が「心の理論」だ。DeepMindの研究者らは、「心の理論」を再現するニューラルネットワークのモデルを作ったと論文をarXivで公開している。このモデルで、他者の心の状態を推測の可否を判別する「サリーとアン課題」を解くことができたという。
Neil C. Rabinowitz, Frank Perbet, H. Francis Song, Chiyuan Zhang, S.M. Ali Eslami, Matthew Botvinick (Submitted on 21 Feb 2018)
ひでまんさんのTLに流れてきたのを見て気になりました。
ありがとう~!面白そうだから読んでみます.”心の理論課題がとける振る舞いをうする”と”他者の心を推し量れる”は厳密には違うが,アブストをみると前者ができたのかな? https://t.co/UWYpIuiYvi
— hideyuki takahashi (@hideman2009) 2018年2月25日
ツールを使うことによる人の変化を設計する
Googleホームとかamazonエコーとかを使い出すと、機械が認識しやすいように話すようになる。Google翻訳を多用する友人は、Google翻訳が翻訳しやすいように日本語を書くようになると言っていた。
音声認識も自動翻訳も、便利なツールだ。でも、ツールは融通がきかない。プログラムで決められたこと以外のことはできない。音声認識も自動翻訳も、最近になってやっと精度がよくなってきたから実用レベルになってきたとはいっても、プログラムに決められたこと以外ができないのは相変わらずだ。だから、機械が認識しやすいように、人間側が行動を機械に合わせて最適化するようになる、というのは別に最近に限ったことじゃなくて機械といったツールを使うようになってから人類がずっと通ってきたことだ。
人が自分にとって便利にするために道具を生み出すが、その道具を使いこなすためには人はその道具に合うように自身の行動を変化させ道具に最適化する必要がある。程度の差はあれど、これは変わらない。
ITは人が使うツールだけれど、使ううちに人そのものが変わっていく。行動が変わる。行動が変わることで、身体が変わる。考え方や認知、認識、思考、感じ方も変わるかもしれない。
ツールを使ううちに人が変わる。でも通常は、ツールそのものの目的は設計されるけれど、副次的な、ツールを使うことによる人の変化までは設計されていない。
一方で最近は心理学、認知科学、行動経済学での知見も増えてきて、またその共有も進み、ツールを設計する側にもこれらの知見を積極的に活用していこうというのが広まっている。そこで、ツールを使うことによる、人の変化も設計する、という向きも少しずつ出てきている。
こわい?でも、意図してもしなくても、ツールの利用によって人は変わる。どこまで設計できるのかは未知だけれど、望むとも望まぬとも、そちらの方向へ向かっていくんだと思っている。
そういうことに関心を持ったのは、数年前からこういった研究をしている研究者の話を聞いていたから。正確にはもやもやと感じていたことを、研究者の言葉によって言語化されて、ああそういうことだったのか、と腑に落ちた。だから、ひとつひとつの研究じゃなくて、ストーリー全体を見せたいなあと、結構長いインタビュー記事を2年以上前に書いた。
ただそれから2年以上経っても、ちゃんと体系化はされていない、ように思う。もやもやするんだよなー。もう少しこのあたり整理したい。
人工知能(AI)の射程とブームのゆくえ
人工知能(AI)ブームももう4−5年経っていますがそろそろ失速するんでしょうか。以前、日経・読売・朝日・毎日のそれぞれについて「人工知能」でキーワード検索(見出し、本文)をして引っかかった記事数の2010〜17年の推移を調べたことがあります。4紙中、日経の記事数のここ数年の増え方が凄まじいです。経済・ビジネスで特に注目されているということ。
月ごとではなく年ごとに集計しているので傾きは適当ですが、2014-5年に傾きが急になっています。2017年は年間2092本なので、1日5〜6本は「人工知能」と書かれた記事が紙面に掲載されていることになります。
で、ここでいう「人工知能」ってなんやねんというのは、議論しはじめると永遠に終わりませんが、少なくとも実務上(企業のビジネスであれアカデミアの研究であれ)は今何を指して「人工知能」と言っているのか、明確になっているといいんじゃないかなあと思います。
「人工知能(AI)」ってなんやねん、というのは、目的次第で便宜上は定義をすることはできます。
まず、おそらく上記の日経の記事でももっとも多いと思われる、社会経済的に重要という点でのAIの定義(というか射程)は、次の3分類がリーズナブルだと思っています。AIといったときにIT全般、機械学習、深層学習のどれかに含まれる、という分類です。これら3点は、以下のようにそれぞれの部分集合で表せます。図は自分で適当に作りました。面積比に意味はありません。
誰が言い出したのかは知らないけれど、私が聞いたのは杉山先生だったか松尾先生だったか?覚えていないけれど、リーズナブルだなあとよく使っています。
一方でエマちゃんが以前プレゼンで使っていたAIの射程は、主にアカデミア研究者にとってのAIと、社会(企業)が期待するAIを明確に切り分けて考えましょうというのが問題意識だと認識しています。AIといったときに、既存のICTの延長にあるもの、深層学習に焦点をあてたもの、汎用人工知能など「まだ見ぬ技術」の3点があるということ。
図は私が適当につくったので面積比や円の位置には意味はありません。ポイントは、オレンジの丸は今の技術の延長線上にあるものではないということ。隣接はしていて、いつか既存の技術からそっちへ移行するかもしれないが、その目処や具体的な道筋は明らかではなく実現には不確実性があるというもの。AI研究者と非AI研究者がAIについて話す時、同じAIといってもこれらがごっちゃになっていることがよくある気がします。
いろんな方たちと話していて体感的にですが、ブームで注目を浴び十分に人口に膾炙したAIですがそろそろ具体的な「成果」が求められてきているように感じます。開発投資をしているお金を出す側からね。AI導入はどう役に立ったのか、どう儲けたのか、どう便利になったのか、どういう価値が生み出されたのか、という具体的な「成果」が求められている。「期待」ではなく。AIというバズワードによるPR効果でもなく。
今年来年くらいに具体的な成果が出てこないと今の機械学習・深層学習を中心としたAIブームは一気にしぼむ(人とお金が逃げ出す)んじゃないかなあと思ってます。囲碁をするAIとかじゃなくて。投資するからにはちゃんと役に立って稼いでなんぼなので。
一方で、AIは自動化・自律化のためのツールでありその意義付けとしての効率化・最適化は常に変わらず必要なものなので、ブームのゆくえに踊らされず着実に地道に継続的に開発投資をする体力と辛抱強さがあるところが最終的には勝つんじゃないかなあと思っています。
人工知能に関わるISO/IEC JTC 1国際標準化が始まるそうで
人工知能に関わる国際標準化がスタートするけど日本から意見をインプットするので検討メンバーを募集します、というプレスリリースが情報処理学会から1/10にありました。
ISOの中でもITの関わる国際標準化を担っているISO/IEC JTC1内に人工知能に関する分科会を設置することが昨年10月に決まりました。で何をするのかというと以下の通りです。
最初に開発する規格は、人工知能に関連する用語と基本概念を記述する「人工知能の概念と用語」、機械学習技術を用いて構成するAIシステムや機械学習のフレームワークを記述する「機械学習を用いた人工知能システムのフレームワーク」の二つです。まずは、これらの人工知能に関わる基本となる規格を開発し、JTC 1内外の標準化委員会に対して人工知能の利活用に関する規格開発の基盤を提供することを目指すとともに、人工知能に関する新たな標準化テーマの探索が進められます。
で、情処では日本から意見をこの分科会にインプットしたいということ。情処の検討会の活動内容は以下の通りです。
・新しい作業項目、規格案等のレビューと日本としての意見発信
・ISO/IEC JTC 1/SC 42へのコメント提出と会議参加
・当該分野での新しい規格項目の洗い出しとISO/IEC JTC 1への提案活動
メンバー公募でプレスリリース??とかいろいろツッコミどころがありますがまあいいや。
なお、ISO/IEC JTC 1/SC 42(人工知能にかかる分科会)には日本からのメンバーは入っていないのよね。
ISO/IEC JTC 1/SC 42 - Artificial intelligence
ISO/IEC JTC 1/SC 42の情報はあんまりないけれど、昨年10月の分科会設置のときの議事メモみたいなのと、今年4月に会議するよーというのはここでわかります。
ところで、人工知能の国際標準化としては、主に通信規格で有名なIEEEでは、AIなどの自律的な機械の設計において倫理的に配慮した設計を検討する委員会を作っていて報告書を作成中です。
これが直接IEEEでの標準化になるというのではなく、標準化活動に参照されるという形で活用されます。今のところ昨年末に出たバージョン2が最新版。
こっちの方は日本ではエマちゃんの個人活動からのなぜか公式になったワークショップシリーズをやっていて、ここでファクトや意見を集約してIEEEにインプットしています。これ私も手伝っていて、前のバージョン1については以下の通り。
バージョン2では1の8分野に5分野が加わって13分野に検討されています。こっちに関しては2〜3月にワークショップシリーズをします。
サマリーの日本語訳はIEEE日本事務局の方で作っていてここからDLできます。
ITは無色透明な空気になり、社会に浸透する
イケイケドンドンの時代は良かったよな。
ってデスクが言ったのはすでに10年前のことだ。新しいテクノロジー、特にITの開発もののニュース記事を書くのが、難しい時代になったな、と思う。先端技術の開発や研究成果によって明るい未来を約束するといった文脈の記事は、いまではいかにも頭が悪い能天気な、下手したら提灯記事に見えてしまう。
もっとも、特にスピードが速いIT分野では、第三者としての記者であっても、ある程度はIT分野の企業や研究者と足並みをそろえ得つつある意味ではエバンジェリストとして記事を書いてきたというのは、ここ20年くらいのIT記事を読めば明らかだ。それだけに、余計難しい。
ここ数年、紅白歌合戦はテクノロジー学芸会さながらで、演出のテクノロジーを楽しむのが恒例になっていた。ところが昨年末の紅白歌合戦はテクノロジー要素が少なく、唯一注目が集まったperfumeの演出も、知識なく見るとテクノロジーのすごさがわからない、一見「当たり前」に見える演出だった。
渋谷の街でビル(セルリアンタワーらしい)の屋上でスポットライトを浴びて歌い、踊るperfumeの3人。終盤にかけて、そのビル周辺の渋谷の街のあちらこちらから、サーチライトが3人に向けて発せられる演出があった。渋谷の街にサーチライトを仕掛けた?そうも見えなくないが、実際は他の映像をリアルタイムで重ね合わせたAR的な演出のようだ。ただし、技術に関心がある人以外は、どちらでもいいことなのかもしれない。
ITはバレたら負けなんだよ。
ってエマちゃんは言う。本当に社会に入り込んでいる、お金になっている、仕組みに入り込んでいる、そういうITは、学芸会の目玉になるものではない。その意味では、パフュームの演出は、ある意味「バレない」ITになっていたのかもしれない。
こうした「バレない」ITには、「未来をつくる」「世界を変える」といった派手なフレーズとともにメディアで持ち上げるケバケバしさはない。むしろ、無色透明な空気のように、すこしずつそっと入れ替わり、でもそのうちそれなしでは私たちが呼吸して生きていくことができなくなるようなものだ。
だからITに関しては、技術そのものの記事よりも、アプリケーション側から書くことに重点を置いていこうって、思っています。技術主体ではなくって。
テンセントが注目する、世界のAIやロボットをめぐる法的、経済的、社会的、倫理的な課題についての議論
人工知能(AI)ブームの中でもここ1−2年は、AI導入の大きなカギとなる法的、経済的、社会的、倫理的な課題についての議論が、世界中で進んでいます。中でも昨年は、それらの議論がまとまって報告書や法案などの具体的な形で相次いで公開されました。そこで昨年1年間のこれらの報告書や法案などをテンセントの研究所がまとめた10項目が並ぶサイトをエマちゃんに教えてもらいました。中国語ですがGoogle翻訳でだいたい意味はわかります。
ここで挙げられた世界の10の議論は以下のとおり。
(1)FLI、アシロマAI原則を公開(2017年1月)
AI Principles - Future of Life Institute
(2)米コンピュータ協会(USACM)によるアルゴリズム透明性とアカウンタビリティニに関する7原則(2017年1月)
(3)欧州議会、世界初のロボット法に関する決議を可決(2017年2月)
Texts adopted - Thursday, 16 February 2017 - Civil Law Rules on Robotics - P8_TA(2017)0051
(4)ドイツ政府、世界初の自動走行車の倫理原則の報告書を公開(2017年6月)
https://www.bmvi.de/SharedDocs/EN/Documents/G/ethic-commission-report.pdf?__blob=publicationFile
(5)中国政府、AI新世代開発計画を発表(2017年7月)
(6)韓国議会、ロボット基本法を提案(2017年7月)
https://www.lawmaking.go.kr/lmSts/nsmLmSts/out/2008068/detailRP
(7)米国議会、自動走行に関する法案を議論(2017年9月)
https://www.congress.gov/bill/115th-congress/house-bill/3388
https://www.congress.gov/bill/115th-congress/senate-bill/1885
(8)エストニア政府、ロボット法を提案(2017年10月)
(9)NY市議会、アルゴリズム差別の課題に対して責任説明法案を採択(2017年12月)
(10)IEEE、AI設計のための倫理ガイドライン(第2版)を公開(2017年12月)
IEEE-SA - Industry Connections
見ての通りですが日本は含まれていません。日本でこれらの議論がまったくなかったかといったらそうではなく、政府、学協会ともに昨年は複数の報告書などが出ています。
http://ai-elsi.org/archives/471
http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/ai/summary/index.html
- 総務省 AIネットワーク社会推進会議、「AIネットワーク社会推進会議報告書 2017 」を公開(2017年6月)
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01iicp01_02000067.html
報告書本体 http://www.soumu.go.jp/main_content/000499624.pdf
日本は眼中にないってことねってエマちゃんが言っていたんだけれど、そうかもしれないけれど、テンセントが選んだ上の10つと比べて、日本での上記3つは実効性が弱いというかほぼないというのは重要な相違点だと思います。総務省と内閣府の報告書にしろ人工知能学会の倫理指針にしろ、法的にも社会的にもなんら拘束力を持つものではありません。これに対して、上の10つはFLIを除いてはいずれも法的もしくは標準化によって実効性を持つ可能性があります。その点で注目に値するのだと思います。
2017年振り返り
今年の振り返り。テクノロジーもの中心に、書いた記事の中で印象に残っているものをいくつか。所属先のAERAがほとんどですが、たまにほかでも書いていました。
(AERAは雑誌の記事を切り刻んでウェブに載せていて、一応リンク貼っていますが、雑誌では大特集の一本だったものを分割して一本原稿としてウェブ記事になるし見出し変わるしで、元記事の文脈が変わることが多々あります。。。)
Post-truth関連
昨年の米大統領選挙とトランプ大統領誕生の影響で、今年の前半はPost-truthの話題がことかきませんでした。フェイクニュースそのものというよりも、「エビデンス」や「事実」の描かれ方、扱われ方に関心がありました。
「産学官」のエビデンス合戦 あなたは健康ビジネスを信じますか 2017/4/17 AERA
→内閣府ImPACTの「脳科学」プロジェクトの過剰広報について。科学技術の情報流通については、広報PRの弊害がここ数年目立ってきたと感じています。この記事もともと大特集にねじ込んだんだけれど、当初ウェブ掲載見送られて、新聞が記事にするようになって話題になってきたらウェブでも掲載されました。
ネットで軽くなる「事実」の重み 2017/5/25 日経サイエンス
→「トランプVS科学」特集の中で書いた記事。
フェイクニュースに抗うテクノロジー アルゴリズムは分断を克服するか 2017/7/10 AERA
→上で書いた記事に続いて、ではどうしたらいいのかなーというところを取材した記事。
人工知能(テクノロジー)と社会、人間への影響関連
AIというかITと社会や人間の変化はずっと関心がある分野で、AIブームなのでAIというと記事になりやすいのでAIと社会と一応言っています。記者として外から観察して書く、というよりも、一緒に議論して考えていくということがここ数年は増えていますが少しは書いています。
SFなどコンテンツを介してテクノロジーと社会を考えるというのが好きで、その関連からアニメや映画をとっかかりにした記事も書いていました。
複雑化する社会を良く生きるためにテクノロジーでできること 2017/2/15 ハフポスト
→昔からの取材先のじゅんじさんが監訳をしたウェルビーイングについての本が出たので、それについてじゅんじさんと江間ちゃんに対談してもらった記事。
暗い未来のほうがリアル ディストピア小説が静かなブーム 2017/2/20 AERA
→テクノロジーと社会について考えるときに「ディストピア」という状況を想定して考えていたところにトランプ政権誕生で「1984」が売れているというところから取材して書いた記事。
目指すのは「人間の拡張」 『攻殻機動隊』は研究者たちの必読書 2017/4/3 AERA
押井守監督はハリウッド版をこう見た! スカヨハの「ゴースト・イン・ザ・シェル」 2017/4/3 AERA
「人工知能脅威論」が覆い隠す、本当の問題は何か?ーー日仏の研究者が議論 2017/6/1 ハフポスト
仏学者が警鐘鳴らす「AIと巨大IT企業の情報操作」 2017/6/28 AERA.dot
AIは神様になれるか テクノロジーと宗教の究極の「融合」 2017/7/30 AERA
四十九日まではロボットで一緒に 弔いだって最先端はデジタル化 2017/7/30 AERA
「AIも怒る」は幻想です 技術の進歩でSFロマンは過去の遺物へ 2017/9/4 AERA
言葉はもういらない 「触感」「表情」「bot」が感情決壊を防ぐ 2017/9/4 AERA
会わないほうがうまくいく 2017/10/23 AERA
→大特集でオンラインやITが日常の私たちのコミュニケーションについて書きました。VRコミュニケーションのような不可避な今後をもっとくっきり描きたかったんですが、紙媒体の特性上もう少し近視眼的な話になりました。でもコミュニケーションの変容に関心があるので印象に残っています。
初対面でハグしちゃう!? VR体験型パフォーマンス「Neighbor」とは 2017/11/4 AERA
ネクストブレイク100 2018年はこれが来る! 2017/12/25 AERA
→年末恒例大特集で、テクノロジー関連はAIからAH(人間拡張)へ、をテーマに企画しました。ほかにモビリティや医療なども担当しましたが、全体的にAI(というかIT)のようなテクノロジーを使いこなすことで人間が賢く強くなっていく、という文脈で書いています。テクノロジーが人間を賢く強くするというのはテクノロジーはただの人間が作り出したツールである以上アタリマエのことなんだけれど、昨今のAIブームやテクノロジー信仰の風潮ではその当たり前のことが忘れられて過度に期待されたり恐れられたりする向きがあり、それがいかがなものかと思っているので、あえて人間拡張というワードを強調しました。
記者以外の活動
AI(というかIT、もっというとテクノロジー全般だと思っている)と人間、社会の関連について関心があって、客観的に記者として観察して書くだけじゃなくて、中に入って一緒に議論して進めていけないかといろいろやっていました。
人工知能学会倫理委員会 倫理指針(2017/2)
委員をやらせてもらっている人工知能学会学会倫理委員会で倫理指針をつくり、2/28に公開しました。
IEEE "Ethically Aligned Design" ワークショップ(2017/4-7)
IEEEではAIなどの自律システムを倫理的に配慮しながら設計していくための報告書を作っていて、そのバージョン1についてフィードバックをするための勉強会をエマちゃんと一緒にやっていました。最近アップデートされたバージョン2が出たので、こちらの勉強会も年明けから始める予定です。
人工知能学会誌 Vol. 32 No. 6 (2017/11)の小特集「マスメディアから見た人工知能」に、「マスメディアから見た“AI”と専門家から見た“AI”のギャップを越えて」という記事を寄稿しました。記者として、いろんな分野の専門家と一緒にこういうことがやりたいっていう話を書いています。
編集委員の鳥海さんの巻頭言、小特集「マスメディアから見た人工知能」にあたっては無償でPDFがDLできます。
あとほかに、ひでまんさんにお声がけいただいて赤ちゃん学会でpost-truthについて話題提供したり(2017/7)、マカイラさんにお声がけいただいて広島の平和に関する会議でテクノロジーと平和のパネルでデュアルユースの話題提供をさせていただいたり(2017/9)と、人前で話す機会がパラパラある1年でした。普段人前で話すことがないので、たまに機会があると楽しい。
記者としてAERAでは何でも書いていましたが、今年後半は特にテクノロジー関連を特集の中に入れることを意識していました。ただいろいろ企画したり書いたりしていて、一般向けの週刊誌でテクノロジー中心の取材記事を書くことは、もうそぐわないんじゃないかと、今は考えています。専門媒体ならありなんだけど。
一般の人向け媒体では、テクノロジー中心ではなく、社会側、人間側が課題を抱えていて、その解決方法のひとつとしてテクノロジーがあればそれを書けばいい。ただ、テクノロジーが主体になるのはちょっと違うんじゃないかなって思っています。AIにしろAR/VRが大きく話題になっている昨今だけれど、社会に入っていくのは必ずしもテクノロジードリブンではない。新しい、先進的な、先端技術によって社会をドライブしたり変えていったりするわけではない、ということを、そのあたりの分野を取材してきたここ10年で痛いほどに実感しています。それにもかかわらず、テクノロジー中心で書くと、そのあたりに寄りがちになる。それはデスクからの期待(忖度)もあったり、テクノロジー側(研究者、開発者)の関心や願望がそこにあったりするからなのだけれど、もっとも、取材する側としてもそこがおもしろい。でも、社会の実態にはそぐわない。そういうちぐはぐさは、ここ10年で強くなる一方でした。
ということで、来年は課題側から書ける場所にうつります。課題とその解決のひとつとしてのテクノロジーについて取材して書いていければと。それと、記者以外の個人でやってきたテクノロジーと人間や社会について考えて前へ進めたいなー活動の幅を、今度は仕事として少しずつ広げていければと思っています。
一方で、取材して書く、というだけでなくそれをもう少し推し進めて、形がないところから取材先も含めてみんなで一緒につくっていくという仕事は、新聞社を辞めた時からずっとやりたいと思っていながらなかなかできていません。つくっていく、というのは記事やメディアそのものというよりもっと大きな、メタな考え方とかあり方とか概念とかシステムとかなのかなあ。ぼやっとしていますが、その具体化も含めて、来年の課題です。来年のテーマは「定点観測ブイかつ船になる」
と書いていましたが、その点では少し進められた一年だったと思います。人工知能学会誌の小特集ではそのための具体的な取組みについて書いたつもりです。ということで来年のテーマは「定点観測ブイかつ船になる(船の比重を今年よりも高める)」です。
テレイグジスタンス型ヒューマノイドロボットが楽しい
今年はテレイグジスタンス型ヒューマノイドロボットをたくさん見かけた年でした。テレイグジスタンスというのは舘先生が30年位前に提唱された概念ですが、離れた場所にいる人(マスター)と同じ動きを、ロボット(スレーブ)が再現するというロボットの操縦方法です。これまでは大学の研究が多かったのが、最近は企業の出展で多く見かけます。
テレイグは、国際ロボット展でお披露目されたトヨタのT-HR3がわかりやすいです。
左にいる操縦者と同じ動きを右側のヒューマノイドロボットがしています。操縦者は座っていますが、その場で足踏みをすることで、ヒューマノイドの歩行操作もできるそう。
ところで操縦者の技術者の方は高身長なのですがヒューマノイドは150センチメートルと身長も体格も異なります。操縦しているとロボットに乗り移ったような感覚になり、身長や体格が異なっても、ロボットに合わせた感覚になると言うのが印象的でした。稲見先生や鳴海さんがおっしゃる身体自在化やゴーストエンジニアリングって、VRもだけれどテレイグが最もわかりやすいかもしれない。
なおこのロボット、テレイグもおもしろいんですが、ヒューマノイドとして素晴らしくて、関節の動きの滑らかさがこれまで見てきたヒューマノイドから飛び抜けていました。ヒューマノイドのデモを見て久しぶりに感動しました。やっぱりトヨタすごい。
動きがしなやかだしバランスもいい。この動画の操縦はテレイグではなくプログラム操作。
テレイグはSFではおなじみですが、ロボットの操作方法として直感的にできることから、初心者にも操作しやすく実用性が高いのだと思います。が、これまでは技術的ハードルが高かったのが、最近では汎用品の組み合わせでもマスター/スレーブによるテレイグジスタンスが実現しつつあるということなのだと思います。
こちらはTHKのロボットをテレイグで操作しているデモで、国際ロボット展でのものです。
このTHKのロボット本体などを使ったテレイグロボットは、先月のdocomoの5Gを使った展示会でも出展していました。
新日鐵住金ソリューションズの出展で、本体はTHK、手は電通大初ベンチャーのメルティンMMI、マスター側の触覚フィードバックは慶應大の南澤さんのところなど、ハードは汎用のものを組み合わせ、システムは内製しゼロから3ヶ月で作ったそうです。Slerすごい。デモされている方始めこれを作られてたエンジニアの方たちがすごく楽しそうだったのが印象的。
もちろん、舘先生の本家テレイグも今年も話題になりました。これまで大学でやっていたのをKDDIなどの支援で会社化。
「パシフィック・リム」でのイェーガーの操作方法もマスター/スレーブ型になるんじゃないのかなあ。パイロットと同じ動きをイェーガーがする。パシフィック・リム好きでした。
SFなどからテレイグジスタンスなどのロボット操縦方法については、舘研出身の大山さんの論文が詳しいです。
いわゆる「人工知能」研究者コミュニティの分類
一昨日の人工知能学会合同研究会での杉山先生の招待講演はほぼ一般向けの内容だったが、いわゆる「人工知能」研究者コミュニティの分類が整理されていてわかりやすかった。「人工知能」研究者、というと日本では人工知能学会が代表のように言われるが、機械学習が専門で東大教授、理研AIPセンター長の杉山先生は人工知能学会コミュニティではない。
人工知能コミュニティは、この図にある「人工知能研究」「ニューラルネットワーク研究」「機械学習研究」の3つのコミュニティに分かれて、それぞれで研究が進められてきたと杉山先生は指摘をする。これは国内だけでなく、海外でも同様という。
もともと「人工知能」はダートマス会議から始まり、人の知能をコンピュータで実現しようという夢が根本にある。こうした「人工知能」の思想を受けてその研究を進めてきた「人工知能研究」「ニューラルネットワーク研究」が1次ブーム、2次ブームとそれぞれ発展してきた。
一方、これらとは別に、90年代からコンピュータサイエンスの研究者が進めてきた流れが「機械学習」コミュニティだという。杉山先生もここに含まれる。先の2コミュニティに対して、この「機械学習」コミュニティは、人の知能をコンピュータで実現するといった「人工知能」を自分たちが研究しているという認識ではないという。
だが、経済社会的に実用面から今のAIブームで「AI」として注目を集めるのはこの機械学習の流れにある。
研究者コミュニティはこの3つに分断しており、特に「人工知能研究」「ニューラルネットワーク研究」のコミュニティは機械学習の流れを飛ばして、「汎用人工知能(AGI)」を目指しているが、これら3つのコミュニティが協力しあって研究を進めていく必要がある、と杉山先生は指摘する。
コミュニティが違うというのは、それぞれの研究発表の場である学会や研究会などが異なるということを指す。
この図では神経科学や社会科学などコンピュータサイエンス以外も含まれるが、「人工知能」に関係する国際会議と関連分野は多岐にわたる。
ところで、杉山先生の講演から離れるが、コンピュータサイエンスだけでも、ものすごく大雑把にAI(Airtificial Intelligence)コミュニティとIA(Intelligence AmplificationまたはIntellifence Augumentation)コミュニティに研究者コミュニティは分かれている。なお、AIコミュニティは杉山先生の3分類を包含するもので、IAコミュニティはVRなどHCI系だと理解している。海外でも同様だということがジョン・マルコフさんと瀧口さんの本でかなり明確に見てとれる。
AIコミュニティとIAコミュニティは、思想の根本の違いから二分できるようだ。前者は人間の知能をコンピュータで実現すること、後者は人間を拡張または増幅するためにコンピュータを活用すること。ものすごくざっくりと社会実装については、前者は分析などソフトウェア、後者はインターフェイスとして実装されることが多い。とはいえ、社会実装ではソフトウェアとインターフェイスは切り離せない。これらのコミュニティが研究だけでなく社会実装がより近くなるにつれ、接点が増えるのは必然だ。
なお、AIコミュニティ(のうち人工知能学会の方たちの一部)もIAコミュニティ(のうち主にバーチャルリアリティ学会の方たちの一部)も四川料理が好きという共通点がある。私はもともと辛いもの好きだが、両コミュニティの方たちとそれぞれ別に四川を食べに行くうちに辛いもの耐性が付きすぎてしまった。
杉山先生の講演にあったように、3つの人工知能関連コミュニティの連携または融合も必要だし、そのさらに進んだ社会実装レベルではAIコミュニティとIAコミュニティの連携がより重要になっていくと考えている。ただ、その際に両者の思想は水と油のようにあまりにも違いすぎていることが時々気になっていて、そのあたりうまく舵取りができるような仕組みとか枠組みとか人とかってどういうふうなのかなあ、結局は市場原理なんだろうけどなあとか、よくもやもやしています。
コミュニケーションの未来はVR
2016年は「VR普及元年」といわれるけれど、2017年は「コミュニケーションVR元年」だと勝手に思っている。昨年来製品販売が相次ぐ、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)とコントローラーといったシステムをVRと呼ぶのなら、それらをネットワークに接続して人同士でコミュニケーションをとる「コミュニケーションVR」がVRの本命だと思っている。
オンラインのVR空間でコミュニケーションをするプラットフォームとしては、今年4月にFacebookがFacebook spaceを発表したほか、日本ではclusterが6月から始まった。
Facebook spaceは同社が買収したOculusのHMDを使う事が前提になっているが、clusterはHMDのほか通常のPCのディスプレイでも利用できる。
また、コロプラ子会社の360チャンネルが今夏発表した「FACE」は、視線追従機能付きHMDの「FOVE」とカメラを組み合わせて、表情の情報を取得し、それをVR空間内のアバターにリアルタイムで反映させる。表情付きのコミュニケーションVRが可能になるというわけだ。
こうしたコミュニケーションVRのためのプラットフォームは増えていくだろう。
コミュニケーションのツールは、手紙、電報、電話、ポケベル、PHS、携帯電話、スマホとハード的に変化してくるとともに、ソフト的にもEメール、チャット、ビデオメッセージ、Skypeのようなテレビ会議とスピードが早く、情報量がリッチな方向へと進展してきた。コミュニケーションVRは当然、その延長線上にあるだとう。
っていう話を特集のメイン記事で書きたかったんだけれど、メイン記事では通りませんでした。ほかで書いたからいいんだけれど、でも、こういう避けられない未来、っていうのを今明確に書いておきたかった。
もう少しコミュニケーションVRについて。
HMDなど技術としてのVRは、ディスプレイの拡張だ。二次元で一定のスペース内だけだったディスプレイを3次元で360度にした。音声や触覚というのもあるが、視覚のディスプレイの効果が人の認知能力上最も大きい。
こうしたディスプレイの拡張によってコミュニケートできる情報量が圧倒的に増え、それによってリッチなコミュニケーションが可能になる、というのが最も単純な理解。現実のコミュニケーションの要点(そもそもバーチャルとは本質という意味だ)を抽出し、それを再現して提示する。それに加えて、追加の付加情報を提示する。コミュニケーションVRはそういったものだ。
でも、要点だけを抽出して提示するだけじゃなくて、付加情報や情報操作のあり方によっては、現実を「超える」コミュニケーションが可能になる。「超える」というのは、さまざまな点での定義ができるけれど、コミュニケーションにおいてはその機能から見ていくのが適切なのだと思う。
1989年に「バーチャルリアリティ(VR)」という言葉を最初に使ったコンピュータサイエンティストで起業家、音楽家でもあるジャロン・ラニアーは、当時すでに「バーチャル・リアリティの本当の効用はコミュニケーション・メディアという側面にある」と言っている。ここで言うコミュニケーション・メディアは電話のようなツールという主旨だけれど、情報伝達のために記号化できない、記号化によってこぼれ落ちる何かをすくい上げて提示できるのは、VRなのだと思う。
専門家と非専門家がひとつの目的に向かって一緒にわいわいするといいことあるよ
専門家と非専門家がひとつの目的に向かって一緒にわいわいするといいことあるよ
っていうことを、AI研究者の方たちに伝えたくて、今月の人工知能学会誌の小特集「マスメディアから見た人工知能」に「マスメディアから見た“AI”と専門家から見た“AI”のギャップを越えて 」という記事を書きました。記事っていうかエッセイ?
【会誌発行】人工知能学会誌 Vol. 32 No. 6 (2017/11) – 人工知能学会 (The Japanese Society for Artificial Intelligence)
小特集そのものは、鳥海さんの企画で、企画趣旨はここから読めます。
見出しは以下。
小特集「マスメディアから見た人工知能」
小特集「マスメディアから見た人工知能」にあたって…………………………………………………………………………… 鳥海 不二夫 927
報道における「正確さ」と「わかりやすさ」の両立
─第二次ブームから第三次ブームへ─ ……………………………………………………………………………………………… 嘉幡 久敬 928
新聞記事に見る人工知能やロボットの言説の変化 …………………………………………………………………………………… 河島 茂生 935
現在のメディア空間における「人工知能」の語られ方 ……………………………………………… 吉永 大祐・小幡 哲士・田中 幹人 943
マスメディアから見た“AI”と専門家から見た“AI”のギャップを越えて ……………………………………………………… 長倉 克枝 949
朝日の嘉幡さんによるAI第二次ブームから今の第三次ブームに至る報道の話から始まり、河島さんによる第一次ブームから今に至る新聞における「人工知能」記事分析、田中さんらによる新聞やネットでの「人工知能」記事分析があります。
鳥海さんからの依頼は、メディアにいながら研究者の中にも入り込んでいる立場として書いて、というものでした。私は取材する側の記者ですが、人工知能学会では倫理委員をやらせてもらっていて、そういう意味ではアウトサイダーでありインサイダーでもあります。
両方の中にいると、それぞれのディスコミュニケーションが解消されるともっとおもしろいのになあ、と思う事が多々ある。じゃあもっとおもしろいことって何なのかなあと思って、ここ数年自分がやってきたことやエマちゃんをはじめとする仲間たちとの議論を振り返って考えてみたときに、一般的によく言われる「サードプレイス」みたいなものとして、専門家と非専門家が同じ目的に向かって一緒に議論したり行動したりする場の話を書くことにしました。そういう場が、コミュニケーション不全の解消に役立つだけではなく、もう少しメタに状況を捉えた時に、全体をある方向に進めていくことになるのだと考えています。経験則だけど。
学会誌自体はそのうちKindleで購入できるようになりますが、もし専門家と非専門家のコミュニケーションにご関心のある方いらっしゃいましたら、該当部分のpdfお送りしますのでご連絡くださいませ(不特定多数配布は禁止、特定の個人への共有可)。
人間関係をあたたかくするVR体験型パフォーマンス「Neighbor」
男女ペアでHMDをかぶって体験する、体験型パフォーマンスの「Neighbor」が、昨日と今日、ICC(東京・初台)で体験ができます。
前日の内覧会で体験、取材させてもらって記事を書きました。少しでも多くの人に体験してもらいたいと思ったから。
体験後、HMDを外したら現実世界にもどり、なぜか爆笑してしまいました。
Neighborを知ったのは去年、藤井先生のFBの投稿。
当時のアーカイブは上のサイトから見られます。「人間関係をあたたかくするVR」というのが素敵だなあと、体験したいと思っていました。それが、今回ICCで体験できるというので、早速行ってきました。
藤井先生はVRで過去と現在の映像をシームレスに切り替えることで、目の前の現実世界とバーチャル空間を切れ目なく行き来する、代替現実(SR)システムを理研時代に開発しました。この仕組みを使ったアートパフォーマンスをパフォーマンスグループのGRINDER-MANらと制作してきて、今作はその3作品目になります。
2012年に発表された最初の「MIRAGE」は私も体験したのですが、現実と過去の区別がつかなくなるあいまいさ、世界がグラグラとする不安な感覚の中、ダンサーの方が自分に触れた時、横を通りかかった時のさっと風圧を感じる時、そうした時に現実の確かさを感じる、不思議な体験でした。
当時はリアルタイム映像の画質がそんなによくなくて、ノイズも入っているからよけいに過去映像との違いがわかりにくかった。同時に、映像の解像度やきれいさは、リアリティを感じるか否かには関係がないのだと感じました。
体験者はひとりでHMDをかぶってその周囲をダンサーがパフォーマンスをするMIRAGEに対して、今回のNeighborは男女ペアの2人で体験する。この2人は、初対面の男女というルール。ダンサーの男女2人とともに舞台にあがり、体験者の2人はHMDを付けて、リアルタイム映像と過去映像が切り替わる中で、相手と手をつなぐように誘導される。
パフォーマンスの時間は約5分。体験後には、初対面の2人がまるで以前からの知り合いのように親密さが増す。
テクノロジーは人と人を分断する方向に向いがちだ。VRだってHMDをかぶって一人の世界に入り込む。でもそうじゃない、人と人をつなぐようなテクノロジーの使い方ができないかといったときに、実はVRはコミュニケーションのためのツールなのだ。
桂さんの著書「人工現実感の世界」の中で、1989年に最初にVRという言葉を使ったジャロン・ラニア―は当時、「バーチャル・リアリティの本当の効用はコミュニケーション・メディアという側面にある」と言っている。ここで言うコミュニケーション・メディアは電話のようなツールという主旨だけれど、情報伝達のために記号化できない、記号化によってこぼれ落ちる何かをすくい上げて提示できるのは、VRなのだと思う。
ということでコミュニケーションのためのVRにとても注目しています。
「ブレードランナー2049」雑感 (ネタバレあり)
めっちゃ良かった。
映画『ブレードランナー2049』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ
1983年の「ブレードランナー」はDVDで観たし、ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」もKindleで読んだくらいの一般教養程度の知識で、それ以外今作の事前知識はゼロで観に行ったが、すごく良かった。両質なSF映画。初日にIMAX 3Dで観てよかったし、これも一般教養として観るべきSF映画になるレベル。ただ、前作の予習は必修です。生命とはなにか、大きなストーリーとして見事につながっている。
以下気になった雑感メモ。思ったこと書きなぐったらめっちゃネタバレしてるわ。
自己保存と自己増殖、生命としての要件
前作では寿命4年のネクサス6型の自己保存がテーマだったが、今作のレプリカント製造はタイレル社倒産後に買収したウォレス社がになっており、すでにレプリカントの寿命はなくなり(!)、そのハードルはクリアされたようだ(前作で散々課題になっていた寿命延ばす話が今作開始5秒くらいであっさりクリアされてて何だったんだ感とまあSFってこういうものよね感と)。一方、生命としての要件は自己保存に加えて自己増殖、つまり繁殖を満たすことだ。
レプリカントが生殖能力を持つことは、生命としての要件を満たすことになる。今作が生殖がテーマになることは、レプリカントを介して生命を問ううえで自然な流れだろう。
相変わらずレプリカントのメカニズムはわからない
とはいえ、レプリカントが何なのか、科学的な説明は一切ない。まああったら物語として成立しませんが。
レプリカントは普通の人間と比べて超人的な能力を持つ。Kは怪我の部分を接着剤のようなものでくっつけるだけで怪我が治癒するし、ゲノムのシークエンスを目視で判定する。だが、解剖学的には人間そのものだ。この設定は前回と同じで、レプリカントか人間かの判別をするには、専用の装置で目を検査するほかない(前作であったようなチューリングテスト的な問答は今回は必要ないらしい)。それと今作では骨に刻まれた製造番号を顕微鏡のズームで確認して判断するという場面もあったが、これは人間の専門家は見落としていたから、一般的な判別方法ではないだろう。
で、どうやってレプリカントを製造するのかとか生命?維持システムとかレプリカントのメカニズムが気になるんだけれど、そこはわからない、というかそれが明確になったらこのストーリーは成立しない。
超人的とはいえ、解剖学的、肉体的にはほぼ人間と同じだ。一方で、レプリカントは「魂(soul)」を持っていないということになっている。その点において人間ではない、ということで奴隷のような労働に従事させられたり、人間から差別的な扱いを受けたりする。
あれ、でもこれってちょっと待って、人間社会で頻繁に見られることでは。つい数十年前まで黒人は白人社会において人権がなかったし、日本社会ではいまだに事実上女性に人権がないかのような場面も少なくない(というと反発もあるだろうが、まあ事実だし)。レプリカントという異質な存在を描くことで、人間社会の差別や偏見をも浮かび上がらせている。
二項対立ではない、自立と解放
前作では、人間とレプリカントの対立という二項対立が描かれた。前作の最後で人間であるデッカードはレプリカントであるレイチェルを殺すことなく一緒に逃亡する。二項対立の物語はその時点で終わった。今作ではレプリカントは人間から解放され、自立することを志向する。対立じゃなくて、「ほっといて」ということ。
人間で警察でKの上司であるジョシは人間社会の秩序を守ろうと、部下であるレプリカントのKを使う。一方、レプリカントのラヴはウォレス社社長の命令に従って、Kを”使って”レプリカントの子供を探そうとする。秩序通りに、人間がレプリカントを支配する世界だ。ただ、レプリカントはその秩序から自ら解き放そうとする。終盤、Kはジョシに嘘をつき、嵐の中の海辺での戦いでラヴは殺すべき敵であるKにキスをする。
レプリカントが解放され、自立するために必要な要件はなにか。冒頭でKに殺されるモートンは、「奇跡をみた」という。レプリカントが子供を産んだのだ。その奇跡に、物語のすべてが集約される。それは神ができていくプロセスであり、宗教的でもある。
雪が示唆するキリストの誕生
キリスト教では、神の子イエス・キリストが誕生するのは、雪の日の夜である。前作が徹底して雨の映画である一方で、今作は雨、高濃度放射線の乾燥地帯のほかに雪が重要な役割をはたしている。
幼少期を持たないレプリカントに記憶を作るデザイナーであるアナ・ステリン博士にKが会いに行く日も、Kとデッガードが会いに行く日も、外には雪が降っている。ホログラムで世界を作って遊ぶのが好きなステリンは、ガラスの部屋の中で自分の周囲に雪を降らせる。Kが最初に会いに行った時に遊んでいたホログラムは、子供たちが誕生日会でケーキのろうそくの火を吹き消す様子だ。
奇跡の子供であるステリンが神の子であり、レプリカントが生命として自立して解放されることを導いていく様子が示唆される。
バーチャル彼女の存在感
Kの彼女はウォレス社製のAIとホログラムでできたバーチャル彼女のジョイだ。ジョイの存在感は大きい。レプリカントの娼婦マリエットよりも人間らしく描かれる。
VR好きの人は、虚構が現実を凌駕すると読み取るのかもしれない。だが、虚構は虚構でしかない、ということは作中で何度か描かれる。マリエットが言い捨てる「あんたの中身を見たけれど、空っぽだった」という一言が意味深だ。ジョイがKにつけた名前「ジョー」はいかがわしい広告の巨大なVRの裸の女性が通行人の男性に呼びかける名前だ。
結局のところ、主人公はデッカードだ
レプリカントの生命としての自立と解放の物語でもあるが、主人公が誰かと言えば、デッカードだ。Kの物語であるように描かれるが、実はKはある意味での狂言回しの役割でしかないのだと、終盤気付かされる。物語として、前作から引き続き、最初から最後までデッガードの物語だった。
DCEXPOでVRを体験する
今年もデジタルコンテンツエキスポ(DCEXPO)が昨日から3日間開催されています。
経産省などが主催するDCEXPOは、イベントや展示会が多い秋でも終盤に開催されますが、CEATECなど他のビジネス系イベントと比べるとゆるめで比較的来客が少ないため、ここ1年位のさまざまなイベントで体験しそこねたコンテンツを体験できる機会だと勝手にとらえています。
で、今年はどのイベントにいっても展示手法としてどこでも見かけるVRですが、ビジネスでもアカデミックともに新しいVRを体験できるのもDCEXPOの特徴かと思っています。
DCEXPO出展選抜の審査にVR系の人が多かったり、国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト(IVRC)の決勝戦が同時開催されたりと、もともとアカデミックのVR系コンテンツはDCEXPOでは多いですが、今年は去年に引き続きさらに増えた。あっちこっちでヘッドマウントディスプレイ(HMD)をかぶって体験するコンテンツで溢れています。
ということで、初日の昨日行ってきました。
今年はこれは体験したいと思って行ったのが、NHKの「8K:VRライド」。去年良かったのが、NHKの「8K:VR」というコンテンツで、これは8Kディスプレイを使ってHMDを使わずにリアリティの高い映像体験をするというもの。今年はさらに4D機能も追加された「8K:VRライド」というコンテンツになっていました。
展示は7階へ。
半球形ディスプレイに8Kプロジェクターで映像を投影し、椅子の部分は可動式でコンテンツに応じて動きます。コンテンツ連動ではないですが、正面から常に風が拭いてきています。映画館の4Dで画面が半球型になっているという感じ。視野全体にディスプレイが入るので、HMDではなくても高い没入感が得られます。
コンテンツは、東京を瞬間移動したり上空に飛び上がったりして、縦横無尽に行き来するというもの。上空に上がったり降下したりするときには、HMDをかぶった時に感じるような、あたかも実際に上下しているかのような体性感覚がありました。実際に椅子ががたがたと動きので、その効果もありますが、視野全体に入る半球面ディスプレイの視覚効果も大きいと思います。
ただ8Kといっても、通常の8Kディスプレイで見る解像度だと思っていると、少しがっかりするかもしれません。もっと解像度は落ちて見えます。
それとやはり物理的にガタガタ身体を動かされるのは、不快感が伴うなあと。。臨場感ではあるんだけれど、たぶん、外部の力によって身体を動かされるということ自体が、人間にとっては避けられない不快な感覚なんだと思う。
そういう点で、いつもおもしろいなあと思っているのが東大の廣瀬・谷川・鳴海研究室の鳴海さんたちがつくるVR体験で、外部から無理やりではないやりかたで、臨場感というか新しい体験を作り出す。
同じ7階で、無限階段VRの出展がありました。
単純に床にアルミパイプが置いてあるだけで、その上をHMDを付けてあるくことで、階段を昇り降りしている感覚が得られます。
整理券配布で体験できます。他の展示が1Fに集まっていて7Fはわかりにくいですが、まず7Fへぜひ。
メインの会場は1F。
ずっと体験したいと思って今回初体験だったのが的場やすしさんの「流動床インターフェイス」。
ただの砂場に下から空気を送り込むことで、砂をあたかも流体ようにするというもの。砂が敷き詰まっていますが、スイッチをオンにして空気を送り込むことで、このボールがずぶずぶと沈み込んでいきます。
DCEXPOは大学などアカデミックの展示も多く、VRブームでビジネスや開発よりの人たちが増えている中、研究としての(いい意味で)変態的な技術も多く楽しめます。そのひとつが「バーチャルな加速感覚を付加する高臨場感VRヘッドセット」。阪大・安藤さん、明治大・青山さんたちによるもの。安藤さんたちは前庭電気刺激(GVS)によって、人の動きをコントロールするという研究をずっとされていますが、今回は、GVS専用のVRヘッドセットになっていました。
おでこの両側と耳の裏側を拭いてから、ヘッドセットとイヤーマフのような装置を装着します。
普通のヘッドセットに電極を付けた手作り感が溢れますが、ヘッドセットを被るだけで電極を当てられるのは便利。
コンテンツはVRでよくあるジェットコースターでしたが、これは普通に視覚だけのVRだとまず酔います。そこにGVSを加えることで加速度を感じる感覚を制御して、酔いを減らす、というのがおそらく研究の狙いなのだと思います、、、が最初にGVSなしでコンテンツを体験してさんざん酔い、そのあとにGVSありで同じコンテンツを体験するというのは普通に辛かったので、2度目で酔いが低減したような気もしますが、すでに酔っていたから。。。
球体の中にはいってHMDをかぶって体験するコンテンツ。やりたかった・・・。
自動で折りたたみをしてくれるセブンドリーマーズも出展していました。
メガネスーパーがウェアラブルデバイスを出展していました。社内で開発をして、分社化してB向けに来年から量産に入るとのこと。
シースルー型ではなく、ふつうのメガネに小さなディスプレイを取り付けるといった、手元にあるスマホをメガネに装着するような感覚です。普段使いにはまだまだですが、工場などで手作業をしながらディスプレイに指示書を出す、といった用途を想定しているそう。
超音波ディスプレイで知られる東大の篠田研からは、超音波を使って、狙った場所ににおいを届ける匂いディスプレイが出展されていました。
煙のように見えるのは、においが含まれた蒸気で、左からコーヒー、ミント、グレープ。奥に超音波を発生する装置が並んでおり、手前に座っていると、コーヒーの匂いだけをかぐようにしたり、ミントだけの匂いだけをかぐようにしたり、という切り替えができます。
地味にすごいなと思ったのが首都大の池井先生の研究室が出展していた、THETA2台を動かすことで、自身の分身のようにするテレイグジスタンスシステム。
画面左下にTHETA2台が台の上に載っていますが、HMDのを着けている私の視界はこのTHEATAに映る様子がリアルタイムで反映されます。首を振ってHMDを動かすと、TEHTAが載っている台が同期して動きます。
意外と簡単なシステムでテレイグジスタンスができていいなあと。
通り道に、ユニコーンガンダムもいました。
DCEXPOは明日まで。無料。