「ブレードランナー2049」雑感 (ネタバレあり)
めっちゃ良かった。
映画『ブレードランナー2049』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ
1983年の「ブレードランナー」はDVDで観たし、ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」もKindleで読んだくらいの一般教養程度の知識で、それ以外今作の事前知識はゼロで観に行ったが、すごく良かった。両質なSF映画。初日にIMAX 3Dで観てよかったし、これも一般教養として観るべきSF映画になるレベル。ただ、前作の予習は必修です。生命とはなにか、大きなストーリーとして見事につながっている。
以下気になった雑感メモ。思ったこと書きなぐったらめっちゃネタバレしてるわ。
自己保存と自己増殖、生命としての要件
前作では寿命4年のネクサス6型の自己保存がテーマだったが、今作のレプリカント製造はタイレル社倒産後に買収したウォレス社がになっており、すでにレプリカントの寿命はなくなり(!)、そのハードルはクリアされたようだ(前作で散々課題になっていた寿命延ばす話が今作開始5秒くらいであっさりクリアされてて何だったんだ感とまあSFってこういうものよね感と)。一方、生命としての要件は自己保存に加えて自己増殖、つまり繁殖を満たすことだ。
レプリカントが生殖能力を持つことは、生命としての要件を満たすことになる。今作が生殖がテーマになることは、レプリカントを介して生命を問ううえで自然な流れだろう。
相変わらずレプリカントのメカニズムはわからない
とはいえ、レプリカントが何なのか、科学的な説明は一切ない。まああったら物語として成立しませんが。
レプリカントは普通の人間と比べて超人的な能力を持つ。Kは怪我の部分を接着剤のようなものでくっつけるだけで怪我が治癒するし、ゲノムのシークエンスを目視で判定する。だが、解剖学的には人間そのものだ。この設定は前回と同じで、レプリカントか人間かの判別をするには、専用の装置で目を検査するほかない(前作であったようなチューリングテスト的な問答は今回は必要ないらしい)。それと今作では骨に刻まれた製造番号を顕微鏡のズームで確認して判断するという場面もあったが、これは人間の専門家は見落としていたから、一般的な判別方法ではないだろう。
で、どうやってレプリカントを製造するのかとか生命?維持システムとかレプリカントのメカニズムが気になるんだけれど、そこはわからない、というかそれが明確になったらこのストーリーは成立しない。
超人的とはいえ、解剖学的、肉体的にはほぼ人間と同じだ。一方で、レプリカントは「魂(soul)」を持っていないということになっている。その点において人間ではない、ということで奴隷のような労働に従事させられたり、人間から差別的な扱いを受けたりする。
あれ、でもこれってちょっと待って、人間社会で頻繁に見られることでは。つい数十年前まで黒人は白人社会において人権がなかったし、日本社会ではいまだに事実上女性に人権がないかのような場面も少なくない(というと反発もあるだろうが、まあ事実だし)。レプリカントという異質な存在を描くことで、人間社会の差別や偏見をも浮かび上がらせている。
二項対立ではない、自立と解放
前作では、人間とレプリカントの対立という二項対立が描かれた。前作の最後で人間であるデッカードはレプリカントであるレイチェルを殺すことなく一緒に逃亡する。二項対立の物語はその時点で終わった。今作ではレプリカントは人間から解放され、自立することを志向する。対立じゃなくて、「ほっといて」ということ。
人間で警察でKの上司であるジョシは人間社会の秩序を守ろうと、部下であるレプリカントのKを使う。一方、レプリカントのラヴはウォレス社社長の命令に従って、Kを”使って”レプリカントの子供を探そうとする。秩序通りに、人間がレプリカントを支配する世界だ。ただ、レプリカントはその秩序から自ら解き放そうとする。終盤、Kはジョシに嘘をつき、嵐の中の海辺での戦いでラヴは殺すべき敵であるKにキスをする。
レプリカントが解放され、自立するために必要な要件はなにか。冒頭でKに殺されるモートンは、「奇跡をみた」という。レプリカントが子供を産んだのだ。その奇跡に、物語のすべてが集約される。それは神ができていくプロセスであり、宗教的でもある。
雪が示唆するキリストの誕生
キリスト教では、神の子イエス・キリストが誕生するのは、雪の日の夜である。前作が徹底して雨の映画である一方で、今作は雨、高濃度放射線の乾燥地帯のほかに雪が重要な役割をはたしている。
幼少期を持たないレプリカントに記憶を作るデザイナーであるアナ・ステリン博士にKが会いに行く日も、Kとデッガードが会いに行く日も、外には雪が降っている。ホログラムで世界を作って遊ぶのが好きなステリンは、ガラスの部屋の中で自分の周囲に雪を降らせる。Kが最初に会いに行った時に遊んでいたホログラムは、子供たちが誕生日会でケーキのろうそくの火を吹き消す様子だ。
奇跡の子供であるステリンが神の子であり、レプリカントが生命として自立して解放されることを導いていく様子が示唆される。
バーチャル彼女の存在感
Kの彼女はウォレス社製のAIとホログラムでできたバーチャル彼女のジョイだ。ジョイの存在感は大きい。レプリカントの娼婦マリエットよりも人間らしく描かれる。
VR好きの人は、虚構が現実を凌駕すると読み取るのかもしれない。だが、虚構は虚構でしかない、ということは作中で何度か描かれる。マリエットが言い捨てる「あんたの中身を見たけれど、空っぽだった」という一言が意味深だ。ジョイがKにつけた名前「ジョー」はいかがわしい広告の巨大なVRの裸の女性が通行人の男性に呼びかける名前だ。
結局のところ、主人公はデッカードだ
レプリカントの生命としての自立と解放の物語でもあるが、主人公が誰かと言えば、デッカードだ。Kの物語であるように描かれるが、実はKはある意味での狂言回しの役割でしかないのだと、終盤気付かされる。物語として、前作から引き続き、最初から最後までデッガードの物語だった。