人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、人と話したり、議論したり、思ったりしたことの備忘録

90年代コンテンツが増えている気持ちの悪さ

シン・エヴァンゲリオンが2020年公開、その特報が東宝系の映画の予告編で流れるということで、「未来のミライ」を観にTOHO上野へ行ってきた。シン・エヴァの特報は最初の方にほんの一瞬だったが、いよいよおれたちの90年代も終わるのか、もう中二病とか言っていられないのかという感慨深いものがあった。同時に予告編があった「SUNNY強い気持ち強い愛」は、90年代に女子高生時代を過ごした仲間たちが30代になった今また集まるというストーリーに小室ファミリーからタイトルに入っているオザケンまで90年代J-POP満載の映画で、予告編眺めているだけでも正直痛すぎて穴があったら入りたくなった。懐かしいという感情を惹起するだけのためにこれ観たい30代ほんとにいるのか。

ここ数年、90年代コンテンツが市場に増えている。映画化にしろアニメ化にしろリバイバルにしろカバーにしろ、90年代のコンテンツ(漫画、アニメ、音楽など)の公開やリリースが増えてきた。商業的には、90年代に多感な青少年期を過ごし、それらのコンテンツを浴びて育ってきた世代が働き盛りの30-40歳代になり、コンテンツ消費者としてのターゲットになっているという理由が大きいだろう。

先週末、NHK FMでは半日小室ファミリーの曲が特集されていた。ツイッターのトレンドに入っていたのが気になってiPhoneのアプリで少し聴いて、懐かしさに悶絶した。ジャンプのアプリでは、ドラゴンボールとか幽遊白書とか、ジャンプ全盛期とも言える90年代コンテンツが読める。小学生の頃は毎週ジャンプを買っていたし単行本も買っていたし、なんならキャラのセリフも言える。今読むと、ページを繰る前に吹き出しの中のセリフが頭に流れてくる。

90年代コンテンツは、その時期を多感な10代として過ごした自分にとっては、それらに触れることが当時は血肉にはなっていたとしても、今また触れることは懐かしさに悶絶する程度の感傷の一方で、懐古趣味的な居心地の悪さの方がはるかに勝り、そこを消費者ターゲットとしてコンテンツが量産されている現状に、気持ち悪さを感じる。懐古趣味おっさんおばさんとしてマーケティング対象にされているって、おれらも舐められたものだなと。

ところで自分はエヴァはリアルタイムで見ていなくて、社会人になってから全部観た新参ものなんだが、シン・エヴァは楽しみ。