技術なくってよし、を選べるのかどうか
研究者や技術者の取材をここ10年近く続けている。研究者も技術者も、テクノロジーによって課題解決をする。逆に言うと、その課題解決にたとえテクノロジーが必要ないとしても、あえてテクノロジーを適用する傾向があるということなのではないのかしら。
テクノロジーと社会について色んな人が色んな所でいろんな課題を挙げる。代表的なのが自動走行車だ。自動走行になると、「トロッコ問題」をどう考えるか。といった議論をみんな好むみたい。
でも、なぜ自動走行なのか、っていうところは、案外議論されていない。自動走行の技術を入れるとことは大前提となる。なんらかの課題解決のための自動走行、ではなく、そもそもの問いが自動走行の技術をいかにして社会実装するか、という議論が多い。(もちろんグローバルな流れを鑑みても、日本企業の自動車産業保護や技術的優位性という観点でも自動走行技術の開発は必須だが、そのうえでのあえての)
例えば、ある課題がある。課題解決としてのテクノロジーがある。ところがその社会実装に際して、さらなる課題が生じる。って言うケース。これをそもそもから考えた時に、では、そのテクノロジーはやめては?って言えるのかどうか。原発では言えなかったよね、誰もが。
ということを考えていた時に、じゅんじさんとドミニクさんが監訳された本が先日出まして、去年末からじゅんじさんにこの「ウェルビーイング」の話を聞いていたから、改めて聞きに行ってきました。
- 作者: ラファエル A.カルヴォ& ドリアン・ピーターズ,渡邊淳司,ドミニク・チェン,木村千里,北川智利,河邉隆寛,横坂拓巳,藤野正寛,村田藍子
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2017/01/24
- メディア: 単行本
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前から、エマちゃんにじゅんじさんを紹介したいと思っていたので、せっかくならとエマちゃんと一緒に聞いてきて、せっかくなので対談にして記事にまとめた。まあ長いです。
ウェルビーイングの詳しい内容は記事の中でじゅんじさんも言っているしここでは書かないけれど、記事の中でエマちゃんも指摘しているんだけど、課題解決のために、ステークホルダーが一番大切にしていることを捨てることも選択肢ですよね、と。例えば、ステークホルダーが技術者であれば、技術を捨てることかもしれない。じゅんじさんは、それに対して、全然あり、と答える。じゅんじさんは情報技術の研究者だけれど、こういうことをサラッとおっしゃるからおもしろいなあと思う。
もちろん、私個人としてはテクノロジーは好き。テクノロジーに期待をしている。テクノロジーはこれまでもたくさんの課題を解決してきたし、これからも解決していくだろう。それは、単純な代替や効率化だけではなく、もっと人のウェルビーイングにかかわるところでも適用可能だろう。
それでも、テクノロジーありきで考えない、というのはとても大事なことだと思うのだ。
GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊の中で素子がこう言う場面がある。
便利なものよね。その気になれば体中に埋め込んだ化学プラントで血液中のアルコールを数十秒で分解してシラフに戻れる。だからこうして待機中でも飲んでいられる。それが可能であればどんな技術でも実現せずにはいられない。人間の本能みたいなものよ。代謝の制御、知覚の鋭敏化、運動能力や反射の飛躍的な向上、情報処理の高速化と拡大。電脳と義体によってより高度な能力の獲得を追求した挙句、最高度のメンテナンスなしには生存できなくなったとしても、文句を言う筋合いじゃないわ。
技術は便利だけど、リスクでもある。両面を常に併せ持っている。