人間とテクノロジー

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ERATO池谷脳AI融合プロジェクトキックオフシンポジウム池谷先生講演のメモ

昨日、ERATO池谷脳AI融合プロジェクトのキックオフシンポジウムがあった。立ち見がたくさん出て部屋に入れなくなるほどの盛況で、五月祭中の本郷キャンパス内ということもあってか、学生のほか一般の方も多くいらしていたようだ。


まず同プロジェクト研究総括で東京大学教授の池谷裕二氏がプロジェクトの概要を紹介し、プロジェクトのメンバー4人がそれぞれのプロジェクトの内容を紹介、招待講演として「ERATO稲見自在化身体プロジェクト」を統括する東京大学教授の稲見昌彦氏と「メカ屋の脳科学」著者で東京大学准教授の高橋宏知氏が講演するという盛りだくさんのシンポジウムだった。以下は冒頭の池谷先生の講演のメモ。

「脳を目一杯使い込みたい」「AIを用いて潜在能力を引き出す」

ERATO池谷脳AI融合プロジェクトは、「脳とAIをハイブリッドするプロジェクト」だと池谷氏は言う。同プロジェクトのコンセプトを以下の言葉を示して紹介した。

脳にAIを埋め込んだら何ができる
AIに脳を埋め込んだら何がおこる
脳をネット接続したら世界はどう見える
たくさんの脳を繋げたら心はどう変わる
せっかく脳を持って生まれてきたのだから
脳を目一杯使い込みたい
未知なる「知」に戯れる童心と憧心

このプロジェクトの背景として、「脳は何%使われているのか?」というのが根本的な問いにあると池谷氏は言う。脳は本当に有効活用されているのだろうか?そうでないならその潜在能力はどれほどあるのか?

ところで、人は道具を作り、それを使いこなすが、道具を使うことによって脳の使い方も変化する。例えば、「文字」という道具は、人類史上では最近の発明だ。人類史の99%は文字のない生活を送っている。文字という道具が発明されたことで、脳の使い方も変わってきた。脳の使い方は、環境に依存しているのだ。

身体や環境の性能が、脳の能力を制限してきたとも言える。「せっかく脳を持って生まれたのに、身体は環境のリミッターに縛られて一生を終えるのはもったいない」と池谷氏。脳の能力は、環境の変化に応じて発現が変化してきた。ということは、未来の環境にもすでに適応する準備ができているということだ。「でも、未来なんて待っていられない。AIを用いて潜在能力を引き出す」(池谷氏)。

そのために同プロジェクトで進める4つのアプローチを池谷氏は紹介した。

ひとつは、「脳チップ移植」。環境情報を検知するチップを脳に埋め込むことで、どう人間が変化していくのかを調べるという。2つ目は「脳AI融合」。脳が使いこなせていない大量の情報を、AIを使って開放するのが狙いという。3つ目は「インターネット脳」。ネットやIoTなどのデジタル情報を脳にインプットする。4つ目は「脳脳融合」。個人ひとりの脳だけでなく、複数の個体同士の脳と脳で情報をシェアすることで、新しい対話のあり方を模索する。

これらのアプローチから4つのグループに分かれて動物実験、人での研究を、約70人の研究者らが進める。また同プロジェクトはGoogleGoogleクラウドから協力を得ている。なお、シンポジウム会場では、Google音声認識で講演の音声をリアルタイムで文字起こしし、更にそれをGoogleの翻訳機能を使いリアルタイムで英語翻訳するというデモンストレーションがサブスクリーンを使って行われたが、音声入力も自動翻訳もいずれも講演内容をリアルタイムでサポートするにはまだまだった。「まだまだ使えないが、(同プロジェクトが終了する)5年後にはどうなっているのか見どころだ」(池谷氏)

本来脳に備わっている潜在能力を、AIを使って顕在化する

池谷氏は、プロジェクトを推進するグループのひとつである「基盤グループ」で動物実験をもとに基礎研究を進めている。池谷氏はこれまでの研究や、論文を紹介をした。

最初に紹介したのが「ネズミに英語をスペイン語を識別させる」という研究。音は、聴神経を介して電気信号に変換され脳に伝わる。この神経データを記録し、機械学習させることで、英語を聞いたときとスペイン語を聞いたときのそれぞれの特徴を識別し、これをさらに脳に戻す。音の認識でマウスの脳内で本来はつながっていない領域を接続し、識別することができるようになるという。

もし、こうした研究が将来人で可能になると、何ができるようになるか。例えば誰でも絶対音感の習得ができるようになるだろう。脳の神経活動自体は絶対音感を感知しているが、本人は認識できていない。「その資産を活用できていない。それをAIで読み解いて活用できるようにする」と池谷氏。

本来脳に備わっている潜在能力を、AIを使って顕在化するというこうした考え方に基づくと、いまは暗黙知とされている直感や審美眼といった、プロの技を誰でもできるようになるかもしれない。「一言で言うと、新たな能力を移植しようということだ」(池谷氏)。

脳の活動をうまく利用することで、意図的に人の認知を操作する

脳の活動をうまく利用することで、意図的に人の認知を操作する研究はこれまでも多くある。例えば、2010年にCurrent biologyに掲載された「Disrupting Reconsolidation Attenuates Long-Term Fear Memory in the Human Amygdala and Facilitates Approach Behavior」では、脳機能イメージングを活用することで、トラウマなどの恐怖を和らげることに成功している。また、2016年にNature human behaviorに掲載された「Fear reduction without fear through reinforcement of neural activity that bypasses conscious exposure」では、fMRIによるニューロフィードバックで恐怖を軽減することができることを示している。

恐怖だけでなく「好き」なものの選択も操作可能という。2016にPlos biologyに掲載された「Differential Activation Patterns in the Same Brain Region Led to Opposite Emotional States」では、「好き」に関わる脳活動を誘導しながら顔写真を提示すると、好みが変化することが示されている。

センサーが脳に埋め込まれ、地磁気を感知できるマウス

人は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感で環境情報を感知しているが、環境中には他にもたくさんの情報がある。そのひとつが「地磁気」だ。地球中を移動する際に、地磁気を感知することができれば目的の方角を見失わないですむ。実際、渡り鳥は地磁気を感知しているという論文もあるという。

では、哺乳類には地磁気センサーはあるのだろうか?池谷氏は、地磁気を情報として活用してマウスが迷路の中で餌にたどり着けるかどうか実験したところ、できなかったということから、マウスには地磁気センサーはないとした。

一般に、人間にも地磁気センサーはついていない。だが人は方位磁針を発明し、さらに現在ではそれがセンサーチップとなりスマートフォンに内蔵されている。ではこの磁気センサーを脳に埋め込み神経と接続すれば、地磁気を認識できるようになるのではないか?池谷氏らはそこで、ネズミの脳に磁気センサーのチップを埋め込んだところ、地磁気を情報として活用して餌にたどり着けるようになったとして、2015年にCurrent Biologyに「Visual Cortical Prosthesis with a Geomagnetic Compass Restores Spatial Navigation in Blind Rats」を発表した。興味深いのが、センサーのスイッチがオフになっても、方位がわかる能力が持続していることが示された点だ。一時的にセンサーと脳を接続してセンサー情報をもとに認識する状態を作るとセンサー情報がなくても、脳内に潜在的にあったとみられる感知能力が顕在化する可能性があるのだ。

この論文は各国で話題になり、多くのメディアで報道された。一方で、「これは感覚と呼べるのか?単に大脳皮質を刺激しているだけなのでは?」という批判もあったという。だが、もともど人間の知覚の仕組みも、神経細胞の刺激によるものにすぎない。

環境情報や自己の状態情報を感知できるようになると、身体の自己制御が可能になる。例えば、「血圧を10下げてください」と言われてもたいていの人はできない。一方で、血圧計で計測しながら現状の血圧を本人に提示すると、意識して血圧値を制御できるようになる。これらは「バイオフィードバック療法」として身体状態の自己制御として活用されている。

科学的に可能なことと、社会として可能なことは異なる

テクノロジーを使って人間の機能を拡張したり強化したりするバイオハッキングやトランスヒューマンという考え方は近年様々なところで語られるが、最近に限ったことでもなく、10年前から各国で進められていると池谷氏は指摘。バイオハッキングが最も進んでいるのがスウェーデンで、個人IDやカード情報などを入力したマイクロチップを体内に埋め込んでいる人はすでに1万人ほどいるという。

一方、技術として実施可能なことと、社会として可能なことは異なる。オーストラリアでは交通系ICカードのチップを手に埋め込んだバイオハッカーが逮捕された。オーストラリアではこれらは違法のためだ。「科学的に可能なのと、社会制度がどうなるかは別問題だ。社会に許される範囲で、これらの研究を進めていきたい」と池谷氏はまとめた。

 

 

以下は上記の講演を聞いて、週末もやもや考えていたこと。

「人間のソフトウェアをアップデートする」

少し前に、PFNフェローの丸山さんの「高次元科学へのいざない」が話題になった。要素還元主義はここ400年くらい続く科学のお作法だが、全体を要素に分割して検証していく低次元モデルに限定されているのは、人間の認知限界のためだ。一方で、現実世界は複雑で、要素還元主義によっては扱いきれない事象が世界には多数ある。そこで、世界を理解するためには「複雑なものを複雑なまま扱う」必要があるが、ディープラーニングを手法として、要素還元主義によらない新しい科学のお作法を作っていけるのではというのが高次元科学」だ(と理解したんだけどあってる??)。

人間の認知限界という制約を取り除く高次元科学では、人間の知性による理解なしで、世界をモデル化して理解しようとする。「科学」は、客観的であり人間個人に依存しないものなので、理想的には非常に正しい科学のお作法のように見える。だが、現実的には「科学」はそれに取り組む人間の知性なしでは存在し得ないもので、人間の知性抜きの「科学の究極の目的」のためというのは何かひっかかる。上手く言えないけれど。

それよりも、人間の知性レベルが制約となっているのなら、池谷先生のプロジェクトのようにそれを拡張するのが根本解決になるのでは、と単純には思った。

人間の脳を目一杯活用したい、と池谷先生はおっしゃる。特にデジタル環境での情報の増加が著しい昨今は、丸山さんのおっしゃるような科学のテーマでもなくても、単に日常のことでも人間の認知限界が制約となって、できることもできないのでは、と感じることが日々多い。計算可能なデジタル情報の増加は、テクノロジーによるものだし、それが人間にとって何らかの課題になっているのなら、その課題克服もテクノロジーによってなされる、というのは納得がいく。

人間は環境の変化その相互作用で遺伝的に進化してきたが、特にデジタル環境を含む環境の変化が遺伝のスピードよりもはるかに速い現在では、遺伝による進化を待っていたら、人間の能力が環境変化に追いつけない。そこで、技術によって人間の能力の変化を促す、というのは、情報系・工学系の研究者の間でよく聞く。こうした技術による人間の能力変化について、前に鳴海さんが「人間のソフトウェアをアップデートする」という表現を使っていたが非常にしっくりきた。

研究と社会実装は同じ延長線上にあるとは限らない

池谷先生の講演の最後にも言及されていたが、科学的に可能なことと、それが私たちの身近に社会実装されることとは、また別問題だ。池谷先生のプロジェクトが描く未来は、現在の人間の価値観では受け入れられないものもあるかもしれないし、少なくとも現在の社会システムそのままでは受け入れられないだろう。

ただし、「正しさ」の基準は社会によっても、時代によっても変わる。

テクノロジーによって人間の身体や知性の増強するトランスヒューマニズムはハラリの「ホモ・デウス」が売れたように、共感する人も反発する人も含めて話題になりやすい。SFでは定番にしても、それが実現可能であるとの認識が一般の人の間に広まってきた現在では、議論は避けられない(実際に実現可能かどうかはともかく)。

「AIの遺電子」作者で漫画家の山田胡瓜さんにインタビューした際に興味深かったのが、未来の人間として、技術によって能力が拡張された「トランスヒューマン」をヒューマノイドに託して描いているという話だった。トランスヒューマンは良い面もあるが、現在の倫理観や価値観からすると、受け入れられない部分も出てくる。例えば、記憶を都合良く書き換えることなどは議論を呼ぶだろう。山田さんは言う。

「漫画家は読者に理解してもらうために、現在の人に共感してもらえることを描きます。人間は環境によって価値観が変わるので、本当の未来の人間は、今の人間からすると共感できず、嫌だな、気持ち悪いなと思うような価値観も出てくると思う。それをど直球に漫画に描いても、『気持ち悪いな』で終わってしまう」

「AIの遺電子」は、人間の脳を忠実に再現したAIを持つヒューマノイドが国民の1割となった近未来を舞台に、ヒューマノイドの医師を描くSF作品だ。ここで描かれるヒューマノイドは、人間とほとんど相違がないが、人間とは異なるものとして描かれる。だが、ここで描かれたヒューマノイドとは、未来の人間の比喩だという。比喩として描くことで、今とは価値観の異なる未来を考える余地が出てくるという仕掛けだ。

今の価値観で、何十年もさきの未来の価値観や社会を安易に語ることはできない。でも、今どんなにあらゆる手を考えても、今考えていること、今想像できることとは異なることが、必ず生じるということを考慮しておくことは必要ではないか。

脳科学の見果てぬ夢と研究者

脳科学」も「AI」もともに、研究者がまじめに研究に取り組む一方で、社会はそれを拡大解釈し、ブームが巻き起こる、という現象が定期的に起こる。現在は第三次AIブーム(ももう終わりかけか)と言われるが、AIブームと同期または少し遅れていわゆる「脳科学」の研究分野(研究分野としては神経科学とか別の名称で呼ばれるが)にまた予算が付きつつあるように見える(なお、前回の「脳科学」研究ブームは文科省の脳プロが始まった2000年代後半で、当時よく取材していたが見聞きした限りはいろいろ焼け野原になった感)。

科学研究の営みは、ひとつひとつレンガを積み重ねていく取り組みだと例えられる。ひとつひとつのレンガ(論文)は、それひとつで科学の真実に到達するわけではなく、ひとつひとつ積み重ねて、時には再現性がないと否定され、全く別の仮説が出てきたり、(または研究不正で取り下げられたり)するものだ。1本の論文の意義はあるけれど、それがすべてではない。

でも人間の性質上(これも認知限界だ)、目を引く話や面白い話を拡大解釈してしまう傾向がある。論文発表をもとに記事を書く私たちだって、ただ論文の内容だけではなく、それがどう社会にとって意義があるのか意義付けを書くのがルールだ。最も昨今では、今回のERATO然りだけれど、「どんな意義があるのか」「なんの役に立つのか」といった社会貢献や経済貢献をうたわないと基礎研究であっても研究費がつかないので(そんな研究費の制度がそもそもおかしいが)、研究者自身が研究成果の誇大広告を吹聴しがちな傾向になりがちだが。

科学研究のシステムで研究者のインセンティブ設計にバグがあり、頭のいい研究者がそれをハックしている(せざるを得ない)のが現状とはいえ、またそれらの情報にいちいち踊らされるメディアや一般人も共犯者だ。

何が言いたいかというと、1本1本の論文に一般人が簡単に一喜一憂して踊らされるのはいかがなものかというのと、そうした吹聴をする研究者もいかがなものかと思うが、もっと問題は研究者自身がそうせざるを得ない、国の科学技術政策・高等教育行政で、インセンティブ設計が何とかならないと永遠にこの状況は変わらないんだろうなあ。。。