人間とテクノロジー

人間とテクノロジーについて、取材とか思ったこととかの備忘録

おっさんずラブとアフォーダンス

土曜夜のドラマ「おっさんずラブ」がとてもよかった。リアルタイムで視聴したのは最終回だけ(ウェブであらすじは読んだ)だったが、泣いた。

おっさんずラブ」は主人公の33歳男性(春田)が55歳男性上司(部長)と25歳男性後輩(牧)から告白されることから話が始まるわけだが、LGBTを取り上げたドラマでも、ましてやBLでもない。ただ人が人を好きになるというだけの、ラブストーリーだ。それがたまたま男性同士だったというだけで、ドラマの中でも観ている側もそれがとても自然なことだと感じる。

人を好きになるというのはとても素敵なことで、とても幸せなことだと感じさせてくれたドラマだった。

それと、ドラマに出てくる人たち、春田らの職場である天空不動産の同僚、牧の家族、春田の幼馴染のちず兄妹、みな自分にも他人にも素直で、まっすぐ。偏見や差別意識を持たない。だが、恋をする人たち部長も牧も、悩む。嫉妬もする。迷いもする。でもそれさえも、それさえも周りが受け入れ、背中を押すことで前を向いて歩いていく。そんな、ドラマ。

あんまりにも良かったからツイッターハッシュタグを追い、昨日、ウェブで全回を視聴した。部長は春田が好きだということを10年間自身の中に秘めていたが、あるきっかけで春田にアプローチを始める。それを知った牧は春田に好きだといいキスをする。ロリで巨乳好き、男性が恋愛対象となった経験のない春田はそれらに戸惑う。牧と春田のやりとりを見ていて牧の元彼の武川さんは牧に接近しはじめ、ちずは自分が春田を好きだと気づく。そのちずはマロとデートをし、それが春田は気になる。ちずを気にする春田を見ていて、牧は迷い武川さんのところへ行こうとする。そんな牧を春田は無意識に引き止め、付き合うことになるーーー。

全部を観て思ったのが、こういうのをアフォーダンスというのかなあということ。アフォーダンスギブソンが提唱した概念で、動物自身の振る舞いが環境に変化を引き起こし、その変化が再帰的に自分に影響を与える循環的過程のことを指す。現代の哲学や心理学では、人間の心を個体の中で完結したものとはみなさず、人の心と環境との間の相互作用してのいわば「拡張した心」としてとらえる。これは人間社会の中で日常を過ごしている私達にとっては、当たり前のことだと受け入れられるが、デカルト心身二元論から始まる人の脳と心の研究は長く個体をその研究対象としていたから、社会性の中での「拡張した心」としての心の振る舞いは比較的最近の考え方だ。

人を好きになるということは、ある個体が別の個体を好きになるという二者間で完結した関係ではない。自分の中で内在するだけの情報(好きだという感情など)があったとしても、それを誰かに伝えるといった外在化させることで、さらに自分自身の状態にも変化を引き起こす。その外在化によって他者の状態変化を起こし、さらにそれがまた他者に影響を与えるーー。

おっさんずラブ」はこうした環境との相互作用が、拡張した心としてとてもわかりやすく感じられた。

 

 

 

ブラックペアンと多体問題

「ブラックペアン観てる?あれはいいよ、観てみなさい」

ずっと借りていたガンダムのDVDとブルーレイを返しに某研究室に寄ったら、たまたま某先生が在室されていたので、ご挨拶に伺ったら、ブラックペアンを薦められた。医療関係者界隈では話題になっているが、もともとテレビを観る習慣がない私は当然観ていない。

某先生曰く、ブラックペアンでは、「科学的な知見」派の小泉孝太郎さん演じる医師と、「職人技暗黙知」派の二宮和也さん演じる医師の対比がある一方で、どちらかが正義ということではなく、それぞれがそれぞれの正義に基づいているという構図が描かれているのだという。

医療の向上のための新技術の導入と、レガシーなシステムに支配された人間。医療現場は常にこうした矛盾したシステムを抱えている。ブラックペアンでは、技術の導入に際して、そこに人間たちがどう向き合っていくか、参考になるということだった。

医療ドラマは(あんまり観ないけど)、白い巨塔の医局を支配する医師VSはぐれもの医師といった、二項対立で描かれるものが多い。二項対立はドラマとしては面白いが、人間社会の本質とは程遠い。

人間社会は複雑系であり、二項対立というよりは多体問題とどう向き合うか、というのが大きな問だ。ところでガンダムを借りたのは、「ガンダムには人生のすべてが含まれている。ファーストでは二項対立だが、ゼータでは三体問題が描かれる」と言われたからで、某先生のブラックペアンでの着目点とも近く、膝を打った。

ブラックペアン、今日なので夜観てみます。

Oculus Goを買った

 

寝転がって映画を観るためにOculus Goを買った。結論から言うと、約10分使って一晩考えて、手放すことを決めた。私がOculus Goを買ったのは、普段はMac bookで観ている動画を観るためで、つまりPCのディスプレイとオーディオの代替品としてOculus Goを位置付けて購入した。

Oculus Goで試しに観たコンテンツは、プリセットされているコンテンツでOculus room、360度動画コンテンツ、 ブラウザでYouTubeAmazonプライム(エラーで動画再生されなかったが)、FacebookTwitter

視聴について。基本的に首や自身の位置を固定して、Oculus Goをディスプレイとして使う、というのが私の想定用途だ。そのため、360度画面の必要はない。ブラウザを立ち上げると2Dの画面はVR空間上に浮かんでそれを視聴するという形だが、体感的には映画館のような没入感はある。だが、解像度が粗いため、スマホやPCの高解像度に慣れた目では見づらいという不快感が強い。音響は耳元でステレオで聞こえるので良い。

入力について。PCで言うマウスとキーボードの機能と、片手で持つコントローラーひとつでこなすわけなので、入力の操作性がとても悪い。入力インターフェースはまだまだ改善の余地がある。

ハードウェアとしてはまず重い。HMDとしては一般的な重さだが、これを2時間つけたまま映画を見続けるのは首と肩が凝って不可能だろう。ただ、それは想定内で、もともとHMDの重さを感じないように頭を固定して、寝転がって観るということを想定している。

私が手放すことを決めたのは、Oculus Goが悪いわけではない。現時点で、スタンドアロンHMDとしては2万3千円という価格も含めて、最善の選択肢だろう。ただ、「寝転がって映画を観る」という用途では、Mac bookに敗北したというだけのことだ。

ただ、敗北点の最も大きな要因は、HMDを被ったときの不快感にあり、現状のHMDの形状でこれを克服できるとは思えないため、HMDが将来スマホ並みに普及するという未来に関しては疑問を抱かざるを得ない。ただ、HMDが不快な私の身体が非常に特殊で世の中の大半の人がHMDの不快感を感じないのだとしたらありなのかも。

記者と主観と客観と

新卒で入った新聞社で、記者クラブで色々と教えてくれた他部署の師匠が、時々「語る会」を主催している。ただの飲み会だが、参加者は師匠が仕事のなかで出会った人たちで、「医療」をキーワードに業種も職種もさまざまだ。

私が「語る会」に最初に参加をしたのはまだ最初の新聞社にいるころで、最初は結構面食らった。業種も職種もさまざま(医師、医療関係者、行政関係者、メディア関係者、患者団体関係者、アカデミア、研究者、政治関係、企業の人、起業家・・・とにかく様々)。ただ「医療」に何らかの形で関わっているという共通点があるだけで、例えばひとつの事象についても複数の面から見て深い議論ができることに気がついた。

記者という仕事は、取材対象に対して客観的であり、仲間になってはいけない。

そうやって考えていた当時の私は、「語る会」がとても新鮮でおもしろかったし、取材先と師匠のあり方が、おもしろいなあと思った。記者は取材先と飲みに行くことはあるけれど、こうやって異なる複数のステークホルダーが一同に会して、議論をする飲み会は、それまで参加したことがなかったからだ。

初めて参加をしてからもう7-8年経つ。その間に、私は意図せず師匠と同じように、もともとは取材先として繋がった異なるステークホルダーの人たちと一緒にいろんな活動をするようになった。そういう活動をする中で、第三者として取材先に客観的に関わるべき記者が、当事者として取材先である人たちと一緒に活動をすることに、記者として間違っているのではないかと悩み、師匠に相談をしたこともあった。

先日の「語る会」でのこと。「記者(ジャーナリスト)って何だと思う?」と師匠。「社会のジャーナル(日記)を付ける人だ」と。その時話題に出ていたのが、清沢烈の「暗黒日記」。あくまでも客観的に事実を日記としてしるし、一方で主観として訴えたいことは、後世の人々はその文章から読み取る。それはジャーナリストの仕事だと師匠。

「記者は表面的には客観的なファクトを書き記すけれど、その内面は主観によるもの」と私が言うと、成長したな、と師匠。

記者は、主観と客観を行き来しながら、それを意識的に区別し、使い分ける必要がある。おもしろい仕事だと思う。

ワイヤレスイヤホン

少し前に有楽町のビックカメラでワイヤレスイヤホンを買った。先日発売になった、耳を塞がないタイプのフルワイヤレスイヤホンが気になっていたのだが、首からかけるタイプのワイヤレスイヤホンを購入した。

iPhoneユーザだが、ちぎれたうどんが耳から出ているようなあのワイヤレスイヤホンはいただけない。一方で、補聴器のようなフルワイヤレスイヤホンは紛失することが目に見えているので購入する気になれなかった。そもそも普通のイヤホンでさえしょっちゅう無くすし、ピアスに至っては耳に付けていてもよくなくす。

フルワイヤレスイヤホンが目指す先はヒアラブルの世界だ。コンピュータへの入出力のどちらも音声による、ウェアラブルコンピュータが、入出力いずれも視覚情報によるスマホの次の段階として普及するとする見方は多い。

視覚情報がメインのウェアラブルコンピュータと言えばメガネ型のウェアラブル機器で、20年以上前からあるにもかかわらず、なかなか普及しない。アップルウオッチなどの時計タイプのウェアラブル機器もなかなか普及しない。比較的安価でスタンドアロン型のOculus Goが話題になっているとはいえ、VRによるウェアラブルコンピュータ普及は現状のデバイスでは難しいだろう。

普及しないこれらのウェアラブルコンピュータは視覚のディスプレイだが、聴覚へのディスプレイであるイヤホンを使ったウエアラブルへの期待が高まっていると認識している。

プロジェクションマッピングレストラン

先日、Hさんに招集されてプロジェクションマッピングレストランへ行ってきた。招集された6人は私以外は研究者、クリエイターで、オーナーの休日に研究会としてコースを提供していただいた。

創作フレンチというのかしら。一皿ごと出てくるたびに、プロジェクションマッピングからテーブルの引き出しのしかけ、液体窒素や化学反応を多様したしかけ、といったエンタメ色あふれる演出があった。

食をITで拡張しようとする試みは多数あり、これまでも研究として見てきた。ただ、それが食側(レストラン)として提供しようとすると、そのハードルは格段に上がる。レストランの客が求めているのは、純粋に美味しいと感じる食体験だ。

だがこの美味しいと感じる食体験というやつがくせもので、単純に料理に依存しない。食器、店内の雰囲気、一緒に食べている人、その会話、お店の方の雰囲気、対応、会話、その日の体調・・・それらすべてが美味しいと感じることに影響をする。

プロジェクションマッピングのようなITによる食体験の拡張は、これらのパラメーターのどこかをいじってあげて、食体験の満足度を上げるというものだろう。ただし、それは、非常に繊細で難しく、体系化もされていない。

食体験をITで拡張することが目的化してしまったら、満足の行く食体験の提供は難しいのではないかなと、結局のところそう思う。

TOHO上野でレディ・プレイヤー1を観てきた

少し前に、上野に映画館ができた。上野、というより正確には御徒町だ。空いている、という理由で時々、ここにひとりで映画を観に来る。

近未来のVRがテーマだという「レディ・プレイヤー1」は、私のTwitterのTLではずいぶん前から、試写を観た方たちが推していたので、とても期待を膨らませて「これは必修科目だ!」として、公開初日のレイトで観に行った。もちろんひとりで。

一言で言うと「ゲーマーの、ゲーマ-による、ゲーマーのための映画」でした。80年代サブカル(”サブカル”っていう表現もまた80年代らしい)てんこ盛りで、配給会社などいろんな権利をまたいでここまで盛り込めるのはスピルバーグならではだし、スピルバーグにしかできない。その点、観ておいて損はない。

ただ、VRという技術が浸透した社会の物語を楽しみにしていた私は、正直がっかりした。現実の世界を楽しむことが、VRの世界を楽しむことになる。この物語は、そう説く。でも、そんなことは想定の範囲内で、言い尽くされていて、消費つくされた物語だ。原作小説は2011年ということだが、陳腐化している、すでに。

一方で、思ったのはこんなこと。VRの世界(デジタル)を成立させるには、現実の世界(物理)が必要で、デジタル化によって収益を上げるビジネスモデルは、フリーライダーとしてその大きな収益率を達成する。それは今の社会経済で当たり前のように起きていて、もううんざりしたモデルだということだ。

デジタル化、IT化は効率化(コネクティビティも含めて)をもたらすが、現実世界での物理的な創造をするものではないため、どれだけIT産業が巨大化しても、その下支えをする物理世界は、製造業などが担うことになる。物理世界がなければ、デジタル世界は成立しえない。私たち生物は、物理的な食べ物を食べ、物理的な居住空間に住み、物理的な生殖活動を行わなければ自身の存続または次世代の存続ができない。

でも時々、楽観的でイケイケなデジタル世界の人間は、それを忘れがちになる。

レディ・プレイヤー1の舞台は2045年。荒廃した世界で、スラム街で暮らす人口の大半はゲームの世界「オアシス」に入り浸っている。オアシスでは、創設者の遺言によってオアシスの所有権で5000億ドル相当の遺産が与えられるゲームが繰り広げられている。スラム街に暮らす若者がそのゲームの勝利をかけて奮闘するというストーリーだ。オアシス管理のために巨大資本を投じて主人公と戦う悪役として企業社長が登場。主人公はゲームの中で知り合った仲間と現実世界でも出会い、悪役社長との対決に勝利。やっぱ現実いいよね。というオチ。

VRが好きな人や、デジタルイケイケな人たちはしばしば、デジタルの中の世界の素晴らしさをとく。その中には、デジタルだけではなく現実世界を変えうる力を持つからだという主張も多い。それは否定しない。

でも、物理的な生産活動を辞めて日がな一日ゲームの世界で暮らす人々が人類の大半の世界は、成立しえない。

機械が生産活動を担い、人間は労働から解放されるととく人もいる。彼らのロジックでは衣食住といった生命維持のための物理的な生産活動を支えるのは機械であり、人間はそれらを行う必要がない。それならばデジタル世界に浸りきることもできる、と。

技術が理想の域に達すればそれは可能だけれど、それはまだ技術的にも社会的な実現可能性も、ともにメドが付いているものではない。妄想の域を出ていない。

ということを考えながら終電後にTOHO上野から自宅まで1時間近くかけて歩いていたのでした。

実世界AI研究のわけー人工的に作られた”問題”を”手段”に押し込めようとしたことで、AI冬の時代が引き起こされた

科学者は、「役に立つ研究」という言い方を嫌う人が多いようだ。でも、科学研究は現実の社会課題の対応になるものだ。

先月、理研AIPセンターのシンポジウムであった、カーネギーメロン大学教授の金出武雄先生の講演では、「実世界AI研究」として、現実の社会での問題に対応するAI研究の話題があった。

とても良かったので、メモを共有します。

以下、金出先生の講演メモ。

 

          ◆

 

ロボットや画像、コンピュータビジョンの分野でいろんな研究をしてきた。顔認識や自動運転、最近ではスマートヘッドライトといって、運転時に雨が降ると、雨粒に光が当たらないヘッドライトの制御をやっている。

研究は楽しくやってきたが、今日はその話はしない。「実世界AI研究」というのが今日のタイトル。

人工知能は今はやっているが、もともとはよく言われるのが、1956年のダートマス会議に集まってワークショップを行った5人が人工知能研究の元祖だと言われる。この5人の中で、ハーバート・サイモン先生とアレン・ニューウェル先生は私がいるカーネギーメロン大学の先生だ。

AIの歴史は、挫折と回帰から成り立っている。

1966年にピアス勧告が出されて、「機械翻訳は出来ない」と言われた。これに対して、1980年代に意味論が導入され、それから20年後の今ではニューラルネットワークで翻訳は急速な能力向上となった。

1968年にはMinsky-papertで、単層パーセプトロンの限界が指摘された。これによってニューラルネットワークに対する落胆があったが、その後1980年代に非線形要素を入れることで改良がなされた。さらに2000年代後半には多層のニューラルネットワークが出てきて今のブームへとつながった。

1973年に出されたライトヒル勧告では、組み合わせ爆発問題が指摘された。これに対してNPハード問題に対する現実的な「近似的」「確率的」解法が提案された。また、「知識」の書き出しと「浅い」探索によるエキスパートシステムの成功があった。

1990年頃に問題の定式化(モデル化)とプログラミングの限界が指摘された。だがそれは昨今のビッグデータとそれを活用した深層学習の登場によって克服されつつある。

「良い科学は、現実の問題に応答する」

「AI冬の時代」と言われたのが1970年代から80年代終わりのことだ。(AI研究に多額の資金を投入してきた)DARPAはそれまではAI研究の資金制限を設けていなかったが、包括的AI研究資金停止が導入されたことが冬の時代の引き金となった(AIへの"Umbrella Funding"の停止)。

では「良い」研究とは何だろうか?みんなを納得させるものだろう。

これに対して、アラン・ニューウェル先生は真摯で深い考えを持っていた。良い科学というのは、現実の現象、現実の問題に応答する、というものだ。彼はこう言っている。

Good science is in the details,Good science makes a differnce.
(良い科学はちょっとしたところにある、良い科学は差を生む)

では実世界AI研究とは何か?現実に存在する社会的、経済的、工業的・・・(あらゆる”的”)に価値のある問題に解決を与え、差を生み出すAIの研究だ。

先日話したDARPAのプログラムマネージャーが良いことを言っていた。

The objective is to "catch mice", not build a "better mouse trap."
(研究の目的は「マウスを捕まえること」であって、マウスを捕まえるワナを作ることを目的にしてはいけない)

毛沢東も、こう言った。

知識を得たいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。

人工的に作られた”問題”を”手段”に押し込めようとしたことで、AI冬の時代が引き起こされた

「応用をやりたい」と私は言っているのではない。これまでも、AIの強力な手法は、現実の具体的な問題と困難を追求する中で生まれてきた。

Logic Theoristから、手段の探索を組み合わせる手法になったが、これはGPSの開発につながった。化学構造式の同定と医学診断のために、エキスパートシステムにつながった。不確実性と因果(拘束)関係をもつ計算問題からグラフモデルとNPハード問題の近似的・確率的開放につながった。文字認識は、CNN深層学習によって精度が向上した。

なぜ、AI冬の時代になったのか振り返ってみると、人工的に作られた”問題”を”手段”に押し込めようとしたことで、AI冬の時代が引き起こされた。

MicroWorldのアプローチでは、問題の自己定義とその世界での開放が行われてきた。例えば、K.ForbusはAnalogical ReasoningとStructure Mappingと定義をしてしまった。そこから先は数学の問題になってしまった。日本では第五世代コンピュータは、Logic Programmingということを決めてしまった。

こうしたものが人工的に作られた問題だ。

一方、実世界IAでは、製品検査やシステムの異常検知といった実際の世界での問題に対応する。

AIでは、それ自体がどのように決定をしたのか説明ができないとよく言われる。これに対して「説明できる」AIを作ろうという研究がある。DAPRPAでもXAIプログラムを作って15くらいの機関で研究をしている。参加者の多くは大学の研究者だが、具体的問題、自律ロボット、軍事情報解析AIシステムといったインテリジェンス情報の解析のためにAIを使うとなったときに、説明ができないと使えない、となってしまうからだ。

一方で、「会議に参加して貢献できるAIシステム」というものがある。これは私が好きなものだ。例えば5人が会議に参加したときに、もうひといAIが参加する。このAIが本当に会議に貢献できるかどうか、というものだ。

これは伝統的なAIの問題で、問題と知識の表現方法が知られている。表現できればそのうえで計算ができる。ディープニューラルネットワークでは分散的に知識が表現されている。ただし、本当に”人のように有能な”システムの実現には、フレーム問題と記号接地問題が課題となってくる。

ディープラーニングは閉じた世界だ。ただし現実の会議では、これまでに計算をしたことがない問題も現れる。だから会議はおもしろいのだ。そのことを”フレーム問題”と言う。「〇〇病にかかった」と言うと、「〇〇病」というのがよくないことだと我々は感じるが、それは記号として記述されていない。我々が記号として使うことが、AIシステムには使うことができないのだ

マサチューセッツ工科大学では1970年前後にProjectMACが行われた。実問題の解をインプリメントする手法を開発し、Emacsなどを使うようになった。これと同じようにAIPセンターでAIの能力を実問題の解を得る手段になっていくといい。

他者の心の状態を推測するニューラルネットワーク

 他者の心の状態を推測する心の機能が「心の理論」だ。DeepMindの研究者らは、「心の理論」を再現するニューラルネットワークのモデルを作ったと論文をarXivで公開している。このモデルで、他者の心の状態を推測の可否を判別する「サリーとアン課題」を解くことができたという。

Machine Theory of Mind

Neil C. Rabinowitz, Frank Perbet, H. Francis Song, Chiyuan Zhang, S.M. Ali Eslami, Matthew Botvinick (Submitted on 21 Feb 2018)

 

ひでまんさんのTLに流れてきたのを見て気になりました。

ツールを使うことによる人の変化を設計する

Googleホームとかamazonエコーとかを使い出すと、機械が認識しやすいように話すようになる。Google翻訳を多用する友人は、Google翻訳が翻訳しやすいように日本語を書くようになると言っていた。

音声認識も自動翻訳も、便利なツールだ。でも、ツールは融通がきかない。プログラムで決められたこと以外のことはできない。音声認識も自動翻訳も、最近になってやっと精度がよくなってきたから実用レベルになってきたとはいっても、プログラムに決められたこと以外ができないのは相変わらずだ。だから、機械が認識しやすいように、人間側が行動を機械に合わせて最適化するようになる、というのは別に最近に限ったことじゃなくて機械といったツールを使うようになってから人類がずっと通ってきたことだ。

人が自分にとって便利にするために道具を生み出すが、その道具を使いこなすためには人はその道具に合うように自身の行動を変化させ道具に最適化する必要がある。程度の差はあれど、これは変わらない。

ITは人が使うツールだけれど、使ううちに人そのものが変わっていく。行動が変わる。行動が変わることで、身体が変わる。考え方や認知、認識、思考、感じ方も変わるかもしれない。

ツールを使ううちに人が変わる。でも通常は、ツールそのものの目的は設計されるけれど、副次的な、ツールを使うことによる人の変化までは設計されていない。

一方で最近は心理学、認知科学行動経済学での知見も増えてきて、またその共有も進み、ツールを設計する側にもこれらの知見を積極的に活用していこうというのが広まっている。そこで、ツールを使うことによる、人の変化も設計する、という向きも少しずつ出てきている。

こわい?でも、意図してもしなくても、ツールの利用によって人は変わる。どこまで設計できるのかは未知だけれど、望むとも望まぬとも、そちらの方向へ向かっていくんだと思っている。

そういうことに関心を持ったのは、数年前からこういった研究をしている研究者の話を聞いていたから。正確にはもやもやと感じていたことを、研究者の言葉によって言語化されて、ああそういうことだったのか、と腑に落ちた。だから、ひとつひとつの研究じゃなくて、ストーリー全体を見せたいなあと、結構長いインタビュー記事を2年以上前に書いた。

ただそれから2年以上経っても、ちゃんと体系化はされていない、ように思う。もやもやするんだよなー。もう少しこのあたり整理したい。

人工知能(AI)の射程とブームのゆくえ

人工知能(AI)ブームももう4−5年経っていますがそろそろ失速するんでしょうか。以前、日経・読売・朝日・毎日のそれぞれについて「人工知能」でキーワード検索(見出し、本文)をして引っかかった記事数の2010〜17年の推移を調べたことがあります。4紙中、日経の記事数のここ数年の増え方が凄まじいです。経済・ビジネスで特に注目されているということ。

月ごとではなく年ごとに集計しているので傾きは適当ですが、2014-5年に傾きが急になっています。2017年は年間2092本なので、1日5〜6本は「人工知能」と書かれた記事が紙面に掲載されていることになります。

で、ここでいう「人工知能」ってなんやねんというのは、議論しはじめると永遠に終わりませんが、少なくとも実務上(企業のビジネスであれアカデミアの研究であれ)は今何を指して「人工知能」と言っているのか、明確になっているといいんじゃないかなあと思います。

人工知能(AI)」ってなんやねん、というのは、目的次第で便宜上は定義をすることはできます。

まず、おそらく上記の日経の記事でももっとも多いと思われる、社会経済的に重要という点でのAIの定義(というか射程)は、次の3分類がリーズナブルだと思っています。AIといったときにIT全般、機械学習、深層学習のどれかに含まれる、という分類です。これら3点は、以下のようにそれぞれの部分集合で表せます。図は自分で適当に作りました。面積比に意味はありません。

 

誰が言い出したのかは知らないけれど、私が聞いたのは杉山先生だったか松尾先生だったか?覚えていないけれど、リーズナブルだなあとよく使っています。

一方でエマちゃんが以前プレゼンで使っていたAIの射程は、主にアカデミア研究者にとってのAIと、社会(企業)が期待するAIを明確に切り分けて考えましょうというのが問題意識だと認識しています。AIといったときに、既存のICTの延長にあるもの、深層学習に焦点をあてたもの、汎用人工知能など「まだ見ぬ技術」の3点があるということ。

図は私が適当につくったので面積比や円の位置には意味はありません。ポイントは、オレンジの丸は今の技術の延長線上にあるものではないということ。隣接はしていて、いつか既存の技術からそっちへ移行するかもしれないが、その目処や具体的な道筋は明らかではなく実現には不確実性があるというもの。AI研究者と非AI研究者がAIについて話す時、同じAIといってもこれらがごっちゃになっていることがよくある気がします。

いろんな方たちと話していて体感的にですが、ブームで注目を浴び十分に人口に膾炙したAIですがそろそろ具体的な「成果」が求められてきているように感じます。開発投資をしているお金を出す側からね。AI導入はどう役に立ったのか、どう儲けたのか、どう便利になったのか、どういう価値が生み出されたのか、という具体的な「成果」が求められている。「期待」ではなく。AIというバズワードによるPR効果でもなく。

今年来年くらいに具体的な成果が出てこないと今の機械学習・深層学習を中心としたAIブームは一気にしぼむ(人とお金が逃げ出す)んじゃないかなあと思ってます。囲碁をするAIとかじゃなくて。投資するからにはちゃんと役に立って稼いでなんぼなので。

一方で、AIは自動化・自律化のためのツールでありその意義付けとしての効率化・最適化は常に変わらず必要なものなので、ブームのゆくえに踊らされず着実に地道に継続的に開発投資をする体力と辛抱強さがあるところが最終的には勝つんじゃないかなあと思っています。

人工知能に関わるISO/IEC JTC 1国際標準化が始まるそうで

人工知能に関わる国際標準化がスタートするけど日本から意見をインプットするので検討メンバーを募集します、というプレスリリースが情報処理学会から1/10にありました。

人工知能に関わる国際標準化がスタート-情報処理学会

ISOの中でもITの関わる国際標準化を担っているISO/IEC JTC1内に人工知能に関する分科会を設置することが昨年10月に決まりました。で何をするのかというと以下の通りです。

最初に開発する規格は、人工知能に関連する用語と基本概念を記述する「人工知能の概念と用語」、機械学習技術を用いて構成するAIシステムや機械学習フレームワークを記述する「機械学習を用いた人工知能システムのフレームワーク」の二つです。まずは、これらの人工知能に関わる基本となる規格を開発し、JTC 1内外の標準化委員会に対して人工知能の利活用に関する規格開発の基盤を提供することを目指すとともに、人工知能に関する新たな標準化テーマの探索が進められます。

 で、情処では日本から意見をこの分科会にインプットしたいということ。情処の検討会の活動内容は以下の通りです。

・新しい作業項目、規格案等のレビューと日本としての意見発信
・ISO/IEC JTC 1/SC 42へのコメント提出と会議参加
・当該分野での新しい規格項目の洗い出しとISO/IEC JTC 1への提案活動

メンバー公募でプレスリリース??とかいろいろツッコミどころがありますがまあいいや。

なお、ISO/IEC JTC 1/SC 42(人工知能にかかる分科会)には日本からのメンバーは入っていないのよね。

ISO/IEC JTC 1/SC 42 - Artificial intelligence

ISO/IEC JTC 1/SC 42の情報はあんまりないけれど、昨年10月の分科会設置のときの議事メモみたいなのと、今年4月に会議するよーというのはここでわかります。

ところで、人工知能の国際標準化としては、主に通信規格で有名なIEEEでは、AIなどの自律的な機械の設計において倫理的に配慮した設計を検討する委員会を作っていて報告書を作成中です。

ethicsinaction.ieee.org

これが直接IEEEでの標準化になるというのではなく、標準化活動に参照されるという形で活用されます。今のところ昨年末に出たバージョン2が最新版。

こっちの方は日本ではエマちゃんの個人活動からのなぜか公式になったワークショップシリーズをやっていて、ここでファクトや意見を集約してIEEEにインプットしています。これ私も手伝っていて、前のバージョン1については以下の通り。

kaetn.hatenablog.com

バージョン2では1の8分野に5分野が加わって13分野に検討されています。こっちに関しては2〜3月にワークショップシリーズをします。

サマリーの日本語訳はIEEE日本事務局の方で作っていてここからDLできます。

 

 

ITは無色透明な空気になり、社会に浸透する

イケイケドンドンの時代は良かったよな。

ってデスクが言ったのはすでに10年前のことだ。新しいテクノロジー、特にITの開発もののニュース記事を書くのが、難しい時代になったな、と思う。先端技術の開発や研究成果によって明るい未来を約束するといった文脈の記事は、いまではいかにも頭が悪い能天気な、下手したら提灯記事に見えてしまう。

もっとも、特にスピードが速いIT分野では、第三者としての記者であっても、ある程度はIT分野の企業や研究者と足並みをそろえ得つつある意味ではエバンジェリストとして記事を書いてきたというのは、ここ20年くらいのIT記事を読めば明らかだ。それだけに、余計難しい。

ここ数年、紅白歌合戦はテクノロジー学芸会さながらで、演出のテクノロジーを楽しむのが恒例になっていた。ところが昨年末の紅白歌合戦はテクノロジー要素が少なく、唯一注目が集まったperfumeの演出も、知識なく見るとテクノロジーのすごさがわからない、一見「当たり前」に見える演出だった。

渋谷の街でビル(セルリアンタワーらしい)の屋上でスポットライトを浴びて歌い、踊るperfumeの3人。終盤にかけて、そのビル周辺の渋谷の街のあちらこちらから、サーチライトが3人に向けて発せられる演出があった。渋谷の街にサーチライトを仕掛けた?そうも見えなくないが、実際は他の映像をリアルタイムで重ね合わせたAR的な演出のようだ。ただし、技術に関心がある人以外は、どちらでもいいことなのかもしれない。

ITはバレたら負けなんだよ。

ってエマちゃんは言う。本当に社会に入り込んでいる、お金になっている、仕組みに入り込んでいる、そういうITは、学芸会の目玉になるものではない。その意味では、パフュームの演出は、ある意味「バレない」ITになっていたのかもしれない。

こうした「バレない」ITには、「未来をつくる」「世界を変える」といった派手なフレーズとともにメディアで持ち上げるケバケバしさはない。むしろ、無色透明な空気のように、すこしずつそっと入れ替わり、でもそのうちそれなしでは私たちが呼吸して生きていくことができなくなるようなものだ。

だからITに関しては、技術そのものの記事よりも、アプリケーション側から書くことに重点を置いていこうって、思っています。技術主体ではなくって。

 

テンセントが注目する、世界のAIやロボットをめぐる法的、経済的、社会的、倫理的な課題についての議論

人工知能(AI)ブームの中でもここ1−2年は、AI導入の大きなカギとなる法的、経済的、社会的、倫理的な課題についての議論が、世界中で進んでいます。中でも昨年は、それらの議論がまとまって報告書や法案などの具体的な形で相次いで公開されました。そこで昨年1年間のこれらの報告書や法案などをテンセントの研究所がまとめた10項目が並ぶサイトをエマちゃんに教えてもらいました。中国語ですがGoogle翻訳でだいたい意味はわかります。

2017年全球人工智能政策十大热点 

(2017年グローバル人工知能政策10ホットスポット

ここで挙げられた世界の10の議論は以下のとおり。

 

(1)FLI、アシロマAI原則を公開(2017年1月)

AI Principles - Future of Life Institute

 

(2)米コンピュータ協会(USACM)によるアルゴリズム透明性とアカウンタビリティニに関する7原則(2017年1月)

https://cacm.acm.org/magazines/2017/9/220423-toward-algorithmic-transparency-and-accountability/fulltext

(3)欧州議会、世界初のロボット法に関する決議を可決(2017年2月)

Texts adopted - Thursday, 16 February 2017 - Civil Law Rules on Robotics - P8_TA(2017)0051

(4)ドイツ政府、世界初の自動走行車の倫理原則の報告書を公開(2017年6月)

https://www.bmvi.de/SharedDocs/EN/Documents/G/ethic-commission-report.pdf?__blob=publicationFile

(5)中国政府、AI新世代開発計画を発表(2017年7月)

www.gov.cn

(6)韓国議会、ロボット基本法を提案(2017年7月)

https://www.lawmaking.go.kr/lmSts/nsmLmSts/out/2008068/detailRP

(7)米国議会、自動走行に関する法案を議論(2017年9月)

https://www.congress.gov/bill/115th-congress/house-bill/3388

https://www.congress.gov/bill/115th-congress/senate-bill/1885

(8)エストニア政府、ロボット法を提案(2017年10月)

www.independent.co.uk

(9)NY市議会、アルゴリズム差別の課題に対して責任説明法案を採択(2017年12月)

legistar.council.nyc.gov

(10)IEEE、AI設計のための倫理ガイドライン(第2版)を公開(2017年12月)

IEEE-SA - Industry Connections

 

見ての通りですが日本は含まれていません。日本でこれらの議論がまったくなかったかといったらそうではなく、政府、学協会ともに昨年は複数の報告書などが出ています。

http://ai-elsi.org/archives/471

倫理指針本体 http://ai-elsi.org/wp-content/uploads/2017/02/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E5%80%AB%E7%90%86%E6%8C%87%E9%87%9D.pdf

http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/ai/summary/index.html

  • 総務省 AIネットワーク社会推進会議、「AIネットワーク社会推進会議報告書 2017 」を公開(2017年6月)

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01iicp01_02000067.html

報告書本体 http://www.soumu.go.jp/main_content/000499624.pdf

 

日本は眼中にないってことねってエマちゃんが言っていたんだけれど、そうかもしれないけれど、テンセントが選んだ上の10つと比べて、日本での上記3つは実効性が弱いというかほぼないというのは重要な相違点だと思います。総務省内閣府の報告書にしろ人工知能学会の倫理指針にしろ、法的にも社会的にもなんら拘束力を持つものではありません。これに対して、上の10つはFLIを除いてはいずれも法的もしくは標準化によって実効性を持つ可能性があります。その点で注目に値するのだと思います。

 

 

 

2017年振り返り

今年の振り返り。テクノロジーもの中心に、書いた記事の中で印象に残っているものをいくつか。所属先のAERAがほとんどですが、たまにほかでも書いていました。
AERAは雑誌の記事を切り刻んでウェブに載せていて、一応リンク貼っていますが、雑誌では大特集の一本だったものを分割して一本原稿としてウェブ記事になるし見出し変わるしで、元記事の文脈が変わることが多々あります。。。)

Post-truth関連

昨年の米大統領選挙とトランプ大統領誕生の影響で、今年の前半はPost-truthの話題がことかきませんでした。フェイクニュースそのものというよりも、「エビデンス」や「事実」の描かれ方、扱われ方に関心がありました。

「産学官」のエビデンス合戦 あなたは健康ビジネスを信じますか 2017/4/17 AERA
内閣府ImPACTの「脳科学」プロジェクトの過剰広報について。科学技術の情報流通については、広報PRの弊害がここ数年目立ってきたと感じています。この記事もともと大特集にねじ込んだんだけれど、当初ウェブ掲載見送られて、新聞が記事にするようになって話題になってきたらウェブでも掲載されました。

ネットで軽くなる「事実」の重み 2017/5/25 日経サイエンス
→「トランプVS科学」特集の中で書いた記事。

フェイクニュースに抗うテクノロジー アルゴリズムは分断を克服するか 2017/7/10 AERA
→上で書いた記事に続いて、ではどうしたらいいのかなーというところを取材した記事。

人工知能(テクノロジー)と社会、人間への影響関連

AIというかITと社会や人間の変化はずっと関心がある分野で、AIブームなのでAIというと記事になりやすいのでAIと社会と一応言っています。記者として外から観察して書く、というよりも、一緒に議論して考えていくということがここ数年は増えていますが少しは書いています。

SFなどコンテンツを介してテクノロジーと社会を考えるというのが好きで、その関連からアニメや映画をとっかかりにした記事も書いていました。

複雑化する社会を良く生きるためにテクノロジーでできること 2017/2/15 ハフポスト
→昔からの取材先のじゅんじさんが監訳をしたウェルビーイングについての本が出たので、それについてじゅんじさんと江間ちゃんに対談してもらった記事。

暗い未来のほうがリアル ディストピア小説が静かなブーム  2017/2/20 AERA
→テクノロジーと社会について考えるときに「ディストピア」という状況を想定して考えていたところにトランプ政権誕生で「1984」が売れているというところから取材して書いた記事。

目指すのは「人間の拡張」 『攻殻機動隊』は研究者たちの必読書 2017/4/3 AERA

押井守監督はハリウッド版をこう見た! スカヨハの「ゴースト・イン・ザ・シェル」 2017/4/3 AERA

「人工知能脅威論」が覆い隠す、本当の問題は何か?ーー日仏の研究者が議論 2017/6/1 ハフポスト

仏学者が警鐘鳴らす「AIと巨大IT企業の情報操作」 2017/6/28 AERA.dot

AIは神様になれるか テクノロジーと宗教の究極の「融合」 2017/7/30 AERA

四十九日まではロボットで一緒に 弔いだって最先端はデジタル化  2017/7/30 AERA

「AIも怒る」は幻想です 技術の進歩でSFロマンは過去の遺物へ 2017/9/4 AERA

言葉はもういらない 「触感」「表情」「bot」が感情決壊を防ぐ  2017/9/4 AERA

 会わないほうがうまくいく 2017/10/23 AERA

→大特集でオンラインやITが日常の私たちのコミュニケーションについて書きました。VRコミュニケーションのような不可避な今後をもっとくっきり描きたかったんですが、紙媒体の特性上もう少し近視眼的な話になりました。でもコミュニケーションの変容に関心があるので印象に残っています。

初対面でハグしちゃう!? VR体験型パフォーマンス「Neighbor」とは 2017/11/4 AERA

ネクストブレイク100 2018年はこれが来る! 2017/12/25 AERA

→年末恒例大特集で、テクノロジー関連はAIからAH(人間拡張)へ、をテーマに企画しました。ほかにモビリティや医療なども担当しましたが、全体的にAI(というかIT)のようなテクノロジーを使いこなすことで人間が賢く強くなっていく、という文脈で書いています。テクノロジーが人間を賢く強くするというのはテクノロジーはただの人間が作り出したツールである以上アタリマエのことなんだけれど、昨今のAIブームやテクノロジー信仰の風潮ではその当たり前のことが忘れられて過度に期待されたり恐れられたりする向きがあり、それがいかがなものかと思っているので、あえて人間拡張というワードを強調しました。

 

記者以外の活動


AI(というかIT、もっというとテクノロジー全般だと思っている)と人間、社会の関連について関心があって、客観的に記者として観察して書くだけじゃなくて、中に入って一緒に議論して進めていけないかといろいろやっていました。

人工知能学会倫理委員会 倫理指針(2017/2)
委員をやらせてもらっている人工知能学会学会倫理委員会で倫理指針をつくり、2/28に公開しました。

IEEE "Ethically Aligned Design" ワークショップ(2017/4-7)

IEEEではAIなどの自律システムを倫理的に配慮しながら設計していくための報告書を作っていて、そのバージョン1についてフィードバックをするための勉強会をエマちゃんと一緒にやっていました。最近アップデートされたバージョン2が出たので、こちらの勉強会も年明けから始める予定です。

人工知能学会誌 Vol. 32 No. 6 (2017/11)の小特集「マスメディアから見た人工知能」に、「マスメディアから見た“AI”と専門家から見た“AI”のギャップを越えて」という記事を寄稿しました。記者として、いろんな分野の専門家と一緒にこういうことがやりたいっていう話を書いています。
編集委員の鳥海さんの巻頭言、小特集「マスメディアから見た人工知能」にあたっては無償でPDFがDLできます。

あとほかに、ひでまんさんにお声がけいただいて赤ちゃん学会post-truthについて話題提供したり(2017/7)、マカイラさんにお声がけいただいて広島の平和に関する会議でテクノロジーと平和のパネルでデュアルユースの話題提供をさせていただいたり(2017/9)と、人前で話す機会がパラパラある1年でした。普段人前で話すことがないので、たまに機会があると楽しい。

 

記者としてAERAでは何でも書いていましたが、今年後半は特にテクノロジー関連を特集の中に入れることを意識していました。ただいろいろ企画したり書いたりしていて、一般向けの週刊誌でテクノロジー中心の取材記事を書くことは、もうそぐわないんじゃないかと、今は考えています。専門媒体ならありなんだけど。

一般の人向け媒体では、テクノロジー中心ではなく、社会側、人間側が課題を抱えていて、その解決方法のひとつとしてテクノロジーがあればそれを書けばいい。ただ、テクノロジーが主体になるのはちょっと違うんじゃないかなって思っています。AIにしろAR/VRが大きく話題になっている昨今だけれど、社会に入っていくのは必ずしもテクノロジードリブンではない。新しい、先進的な、先端技術によって社会をドライブしたり変えていったりするわけではない、ということを、そのあたりの分野を取材してきたここ10年で痛いほどに実感しています。それにもかかわらず、テクノロジー中心で書くと、そのあたりに寄りがちになる。それはデスクからの期待(忖度)もあったり、テクノロジー側(研究者、開発者)の関心や願望がそこにあったりするからなのだけれど、もっとも、取材する側としてもそこがおもしろい。でも、社会の実態にはそぐわない。そういうちぐはぐさは、ここ10年で強くなる一方でした。

ということで、来年は課題側から書ける場所にうつります。課題とその解決のひとつとしてのテクノロジーについて取材して書いていければと。それと、記者以外の個人でやってきたテクノロジーと人間や社会について考えて前へ進めたいなー活動の幅を、今度は仕事として少しずつ広げていければと思っています。

去年の同じ時期の振り返り

一方で、取材して書く、というだけでなくそれをもう少し推し進めて、形がないところから取材先も含めてみんなで一緒につくっていくという仕事は、新聞社を辞めた時からずっとやりたいと思っていながらなかなかできていません。つくっていく、というのは記事やメディアそのものというよりもっと大きな、メタな考え方とかあり方とか概念とかシステムとかなのかなあ。ぼやっとしていますが、その具体化も含めて、来年の課題です。来年のテーマは「定点観測ブイかつ船になる」

と書いていましたが、その点では少し進められた一年だったと思います。人工知能学会誌の小特集ではそのための具体的な取組みについて書いたつもりです。ということで来年のテーマは「定点観測ブイかつ船になる(船の比重を今年よりも高める)」です。