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備忘録

テクノロジーと人間

行ってみたいVRレストラン

VRレストランと呼ぶのが適切かどうかはともかく・・・。プロジェクションマッピングなどテクノロジーで五感を刺激して食の楽しみを味わうレストランが最近増えているなーと思ったので、行きたいところをメモ。

 

佐賀牛restaurant Sagaya 銀座 (銀座)

tabelog.com

チームラボによる、部屋一面のプロジェクションマッピングとともに、お肉を味わえるそう。4月から。

www.teamlab.art

 

●初花一家鶯谷

tabelog.com

 

ここも部屋一面のプロジェクションマッピングとともにお肉。お肉とプロジェクションマッピングは相性が良いのかしら。どうなのかしら。


五感で焼肉を味わえる客席 - プロジェクションマッピング

www.e-aidem.com

 

●旬熟成 GINZA GRILL (銀座)

tabelog.com

 

20日にオープンするGINZA SIXに入るお店。目隠しをしながらお肉を食べるそう。ていうかここもお肉のお店。

www.fashion-press.net

 

●暗闇ごはん (浅草)

www.ryokusenji.net

 

浅草のお寺・緑泉寺のイベントとして、アイマスクをして真っ暗な状態で食事をとる「ブランドレストラン」。視覚を奪われることで、他の感覚が研ぎ澄まされるという。

去年、クロスモーダルデザインワークショップで青江さんが講演してくださって、感覚を引き算するというのも、VRなんだなあと思いました。引き算によって、本質が引き出されるという意味で。

【開催レポート】第十二回クロスモーダルデザインWS「感覚の減算で作る新しい体験」

ちなみにバーチャルリアリティ(VR)の定義は「みかけや形は現物そのものではないが、本質的あるいは効果としては現実であり現物であること」。

日本バーチャルリアリティ学会 » バーチャルリアリティとは

 

どれも行きたい。

ハリウッド版攻殻機動隊「ゴースト・イン・ザ・シェル」雑感

だいぶ前に試写で観ました。先週末公開されたので、記憶を手繰り寄せて雑感を。観たのは3D字幕版。

ghostshell.jp

まず冒頭の映像がすごい。香港を思わせる猥雑でネオンに彩られた、高層ビルが立ち並ぶ町並み。ビルと同じ高さの舞妓さんなんかがゆらゆら揺れている。攻殻機動隊の世界に親しんできた私たちがこういうのを観たかったよね、という映像を実写で観せてくれる。ハリウッドで作らないとこれは観られない。

それから少佐を演じたスカーレット・ヨハンソンは彼女以外に思いつかないぴったりな配役。少佐のイメージとしては押井監督版に近い。

過去の攻殻作品へのオマージュが各所に散りばめられている。あの絵もあの絵もあの絵も。。。。原作の士郎政宗さん、押井監督と神山監督へのリスペクトが感じられる、印象的な絵が実写映像で目の前に繰り広げられる。攻殻ファンこそ楽しめる。

人と機械が融合する時代、人間とはなにか、自分とはなにか、生命とはなにか、そういった問いかけが、原作漫画でも押井監督版でも描かれていた。そこが好きな人には、ハリウッド版のストーリーは陳腐に感じられるかもしれない。

ハリウッド版のストーリーは、もっと単純明快だ。勧善懲悪ものでもあり、家族、愛、といったハリウッドが好むテーマが盛り込まれる。

(それいらない・・・)と思ったけれど、前述のとおり、過去の攻殻作品へのリスペクトがすごい。だから、これは攻殻のファンムービーなのだ、と観ると、楽しめる。

攻殻ファンは実写映像の素晴らしさという点だけでも観るのは必須。これまで攻殻観たことない人は、ハリウッド版を入り口に、原作漫画や押井版の認識論の世界に入っていくのが両方楽しめていいのかも。

 

1989年の原作漫画。欄外に筆者のごちゃごちゃした書き込みがあり、一度では読みきれない。難解なので、何度も読む必要あり。

 

 押井守監督によるアニメ劇場映画。これの公開は1995年。ネット普及以前にこの世界観。

 攻殻機動隊関連作品はほかにも多数あるが、まずこの2つを抑えてから。

ちなみに先週号で記事書きました。ウェブで公開されている。

dot.asahi.com

dot.asahi.com

人工知能および自律システムにおける倫理的考察のためのIEEEグローバル・イニシアティブ「倫理的設計」:人工知能と自律システムによる幸福を優先するためのビジョン

人工知能(AI)および自律システム(AS)における倫理規定に関するIEEEグローバル・イニシアティブ」はIEEEのプログラムのひとつで、プログラム名通り、AI/ASの「倫理的設計」ビジョン策定を進めている。

IEEEは電気、通信、情報工学などの技術者による専門家組織で、これらの分野の国際規格の標準化活動を推進している。IEEEグローバル・イニシアティブでは、「倫理的設計」に基づいたIEEE標準化の提案を行うことを目標にしている。なお、すでに一部はIEEE標準化プロジェクトの中に取り込まれている。

昨年12月に公開されたのが以下の「倫理的設計」Version1だ。

The IEEE Global Initiative for Ethical Considerations in Artificial Intelligence and Autonomous Systems.  Ethically Aligned Design: A Vision For Prioritizing Wellbeing With Artificial Intelligence And Autonomous Systems, Version 1. IEEE, 2016.

IEEE-SA - Industry Connections

上のリンクから無償でDLできる。

なお、エグゼクティブ・サマリーはIEEE日本事務所が翻訳している。

(配布していいそうで、ここにアップした)

Version1では、AI/ASの開発に伴う課題と提案の候補が示された。

今年6月にオースティンで開かれるIEEEグローバル・イニシアティブの会合でバージョンアップに向けた議論が交わされ、それを反映して今年秋に「倫理的設計」Version2が公開される予定だ。

 

「倫理的設計」Version1では以下の8セクションに分かれて課題が抽出されている。

1.一般原則

以下の3点の一般原則と、その実現の課題が挙げられている。

1.人権の最高の理念を具現化する。
2.人類と自然環境に対する最大の利益を優先させる。
3.AI/ASが社会技術的なシステムとして進化するのに伴い、リスク及び悪影響を軽減する。

人権が最初に来るのがいいなあと思った。国内でも内閣府とか総務省とかが報告書を作っているけれど、「人権」って文言が最初に入ることってないよなあ、、、と日本残念。。。

 

2.自律知能システムへの価値観の組み込み

以下の3点と課題が挙げられている。

1. AISの影響を受ける特定のコミュニティの規範と価値観を特定する。
2. そのコミュニティの規範と価値観をAIS内に実装する。
3. そのコミュニティにおける人間とAISの間の、これらの規範と価値観の整合性および適合性を評価する。

 

3.倫理的研究と設計を導く方法論

開発主体は、人間の幸福、エンパワーメント、自由がAI/AS開発の中核となるようにすべき、という内容とその実現のための課題。

 

4.汎用人工知能(AGI)と人工超知能(ASI)の安全性と恩恵

 

5.個人情報と個別アクセス制御

個人情報に関する重要な倫理的ジレンマは、データの非対称性として、課題を挙げている。

 

6.自律兵器システムの再構築

以下について提言している。

・ 技術組織が、人間による兵器システムの有意義な管理が社会にとって有益であることを受け入れる。
アカウンタビリティを保証する監査証跡により、そのような管理を確実にする。
・これらの技術を生み出している者が自分たちの仕事の意味を理解している。
・職業倫理規定が危害を加えることを意図した創作物に適切に対処する。

 

7.経済的/人道的問題

ヒューマンテクノロジーの世界的なエコシステムを形成する主な要因の特定、経済的および人道的な影響への対応、重要な難所を解消することによって実現できる解決に向けた重要な機会の提案をすることが、このセクションの目標。

 

8.法律

 

 

なお、AIと倫理や社会、開発原則といったドキュメントは国内外・官民学問わず各方面からいろいろと出ていますが、今年にはいってから出たものを以下にまとめておきます。

 

2017/01 ASILOMAR AI PRINCIPLES, future of life (FLI)

futureoflife.org

 

2017/01 REPORTwith recommendations to the Commission on Civil Law Rules on Robotics, Committee on Legal Affairs, The European Parliament

REPORT with recommendations to the Commission on Civil Law Rules on Robotics - A8-0005/2017

 

2017/01 人工知能と人間社会に関する懇談会 報告書、内閣府総合科学技術・イノベーション会議 

www8.cao.go.jp

 

2017/02 人工知能学会倫理指針、人工知能学会倫理委員会

ai-elsi.org

 

 

トヨタ(製造業偏重でソフト産業軽視の日本の産業構造)をディスりつつエールを送る「ひるね姫」がとても良かった

エンジニア必見のアニメ映画と聞いていた「ひるね姫」。とても良かったです。自動車産業を中心とした日本の産業構造の課題を知った上で観ると、あーあれか、という楽しみ方ができます。

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

2020年、瀬戸内海に面した岡山県倉敷市のある町。自動車の改造や整備をする父親と二人暮らしの高校3年生のココネの夢と現実を行き来しながら、物語が進む。

ココネがみる夢は、24時間体制で機械をつくる国とその姫で「魔法」を使うエンシェンの物語。エンシェンは「魔法」をかけて、機械やぬいぐるみ、ロボットに命を吹き込む。「魔法」というのはソフトウェアのプログラミングのことだと示唆される。ところが、この王国では「魔法」は忌み嫌われ、エンシェンはガラスの塔に幽閉されている。

この夢と、現実世界がリンクしつつ、物語が進む。

少年と少女の冒険、勧善懲悪、ハッピーエンドのストーリー。ファンタジーの顔をしたSFもしくはロボットアニメとしても楽しめる。だが、なによりも今の日本の産業構造の風刺が効いている。

ココネがみる夢の中の王国は、第三次産業革命以降の内燃機関自動車産業が牽引した経済成長から脱却できない、今の日本の産業構造のようだ。ソフトウェア産業が必要でありながら、従来の産業構造を変えられないために、前へ進めない。

ココネらの現実世界では、その象徴として、トヨタ自動車を示唆する日本を代表する自動車企業が登場する。ハードウェアを重視するあまり、ソフトウェアを軽視し、自動走行の開発に遅れを取る。これは現実の日本企業が陥っているジレンマそのままだ。

そもそも、トヨタ関連だけでも300万人の雇用があると言われる自動車産業だが、内燃機関(エンジン)を主要技術として成り立っているため、モーター駆動の電気自動車(EV)に移行することで、これまで維持してきたシステムと大量の雇用を失いかねない。自動走行の多くはEV。そこで、自動車などの製造業の影響が強い日本の産業構造では、従来型システムからの移行がままならないのが現状だ。

ひるね姫では、ココネがみる夢も、ココネたちの現実も、この課題を強調して描いているのがわかる。ジレンマに陥り、全体的に沈没しつつある日本の産業構造を批判し、皮肉りながらも、エールを送っている。

 

映画の舞台の2020年には、VRが一般に普及している様子がサラッと描かれていました。ココネの友人で大学生のモリオとその友人は、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を付けながら、やり取りをしている。タブレットは出てくるが、PCは出てこない。ホロレンズのようにHMDをかぶりながら空中で手を動かすインターフェイスが、PCにかわって普及しつつあるようだ。

 

 なお、ココネの夢の中でロボットとカイジュー(鬼)が戦うということで、パシフィック・リムだって言う人もいたけれど、どうでしょうか。

 

 

あと、ココネの夢に出てくるロボットの足は、これを思い出しました。


Cassie - Next Generation Robot

 

あとあと、ココネこと高畑充希さんがうたう「デイ・ドリーム・ビリーバー」がとてもいいです。


高畑充希が歌う「デイ・ドリーム・ビリーバー」PV映像/映画『ひるね姫』主題歌

共感と”あざとさ”とsense of agency

先月、突如としてTwitterのTLが「すっごーい、たーのしー、おもしろーい」に染まった。けものフレンズを観ている友人は少ない。にもかかわらず、Twitterのやりとりに「すっごーい、たーのしー、おもしろーい」が入ってきたのだ。

アニメ、漫画、ゲーム、グッズなどメディアを組み合わせて計画的にマーケティングをして売っていくメディアミックスが常套手段となる中、少し前の日経MJの記事によると、けものフレンズはそうではないと言う。むしろゲームは打ち切りになり、マンガ連載も終了。ところが2月にはいって、Twitter上で視聴者が勝手に盛り上がり始めたという。制作サイドが綿密なマーケティングができなかった一方で、たつき監督のコメントとして、「手のひらの上で転がされるのを嫌う今の消費者に受けたのかも」と分析している。

モノが売れない今、ビジネスから何から何まで世間のキーワードは「共感」だ。理屈ではなく、感情を掻き立てて共感を呼ぶ人が受ける、お金が集まる、購買行動につながる。

何から何まで多かれ少なかれ、私たちは企業が敷いた綿密なマーケティングに囲まれて生きている。節分の恵方巻き、バレンタインデーのチョコレート、ホワイトデーのクッキ・・・すべて食品メーカーのマーケティングのためだ。ところが私たちは、知らず知らずのうちに、それらの企業のマーケティングやPRといった情報によって無意識のうちに行動が操作されている。

そうやって「共感」を作り込もうとする「クリエイティブ」をうたう広告代理店や広報PRやマーケティングの人たちの行動には、とても「あざとさ」を感じて、私は逆に拒否してしまう。コンテンツビジネスだって同じことだ。メディアミックスでも、原作漫画は好きだけれど、それ以外には惹かれない。というのは少なくない。

最近では「クリエイティブ」をうたう、手を動かさず口だけ動かす人たちは、みんなマーケティングとPRでありお金儲けのしもべに見えてくる。(被害妄想かしら。まあだけどだいたいあってると思う)

そういう「あざとさ」を嫌悪するのは、「共感」を作り込まれることで、自分が企業側に「操作されている」感じがするからだ。だから気持ち悪いと感じる。

数年前に、sence of agencyという単語を知った。心理学や認知科学の分野で研究対象として注目されているという。「自分がやっているという感じ」を指す。行為主体感とか自己主体感、自己帰属感といった訳をするそう。

人が何かを選択するとき、sence of agencyがあるのかどうか、つまり自分自身で本当にそれを選択したという実感を持てるかどうかが「あざとさ」を感じるかどうかの分水嶺だ。

枠組みやシステムを作る人は本当にすごいと思うのだけれど、クリエイティブという点に関しては、手を動かしてものを作る人達が本当にかっこいいと惹かれる。とはいえ、産業規模が大きくなると素朴にものづくりで手足を動かす人以外のステークホルダーがどんどん大きくなり、システムとして肥大化する。そうすると、システムの上の方を感じ取ってしまって「あざとさ」を感じて興ざめしてしまうんだろうなあ。

自分で選択したのではなく、選択させられている、操作されているという感じがしてしまう。でも、そう思うからと言ってそれを拒否するのもまた、他者によって自分の意思がコントロールされているとも言えるのかもしれない。

人が自由意思を持ちそれによって行動をするのはウソだというのは、神経科学や心理学、認知科学などが明らかにしてきたことだ。ただし、それでもなお、自分が何かをしている、自分が選択しているという実感であるsense of agencyを人は持つし、その有無によってパフォーマンスも意欲も変化する。

こわいなーと思うのは(おもしろいなーと思う方が勝るけれど)、sense of agency研究対象となっているということは、いずれはそれを征服する(操作する)こともできるようになるのだろう。いや、すでに経験的に行われているのかもしれないな、ということ。

 

 

 

刀削麺はなぜ食べても食べても減らないのか

取材後、辛いものが食べたいと、カメラマンさんとふらりと入った中華屋さん。ランチで最も辛いものはこれ、ということで、刀削麺を食べました。

胡椒と山椒の効きが悪くいまいち。普通においしかったけど。

しかし、刀削麺はなぜ、食べても食べても麺が減らないのだろうか。刀削麺と言えば辛いと思いこんでいたけれど、辛い以外の刀削麺もあるのだろうか。

減らないよーと思いながらも結局完食できてしまうのは、辛さと香辛料の刺激による食欲増進効果だと思われる。ということは、辛くなくて香辛料の効きが悪いと完食は難しいのかもしれない。途中で飽きそう。

刀削麺を知ったのは社会人になって東京に来てからで、職場近くに西安があって先輩の時々連れて行かれたからだけれど、それ以前には刀削麺の存在を知らなかった。特別好きというわけではないけれど、お昼に辛いものを食べたい時には手軽だ。麺類は早く食べられる。

ところで、少し前に食べた東銀座の刀削麺園は、山椒が癖になる効き具合でおいしかったです。また行こ。

小児科医とVRーテクノロジーが社会に入ってくプロセスについて

小児科医をやっている同級生が、Facebookで以下の記事をシェアしていた。彼女が勤める病院での取り組みだそう。

www3.nhk.or.jp

VRなんて単語を知らないままに社会人になり取材で知って早10年。昨年は「VR普及元年」と言われ、PSVRの発売もあって、ゲームをする人の中ではそれなりにVRは知られるようになった。それでも、取材関係者以外から「VR」という言葉を聞くことは、これまでなかった。

なので、この取り組みは、初めて取材関係者以外の身近な友人からVR活用の具体例だった。

テクノロジーが社会に入っていくというのは、こういうふうにちょっとずつ、身近な人たちに浸透していく過程なのだなあと思った。

アラビア料理とベリーダンス

広尾のアラビアレストランへ。ベリーダンスのショーもありました(金曜土曜の夜)。初めてのアラビア料理、初めてのベリーダンス。美味しかった、楽しかった。シリア人の方がやっているお店だそう。場所柄、外国人のお客さんも多く、日本語よりも英語で話していました。

広尾のアラビアレストラン ゼノビア Arabian restaurant Zenobia

3人で行って、コース料理(2900円)を3つ頼んでそれぞれシェア。コース料理には、サラダ、スープ、ディップ?3種類、メイン(4種類から1種類選ぶ)、ナンが付いてきます。結構ボリュームたっぷり。

香辛料がたっぷりでおいしかったです。トマトソースと乳製品のソースに、それぞれ香辛料で味付けをしている感じ。煮込みが基本のよう。ラムのトマトソース煮込みが特に好き。煮込みやソースにナンを付けて食べる。

食後のコーヒーを頼んだら、このセットで出てきました。

銃!?チャッカマンです。

デザート二種類。料理名を見てもわからず、店員さんに聞いてもわからず、食べてもよくわからなかった。

煮込みと香辛料、というだけで好き。

金曜と土曜の夜はベリーダンスのショーがあります。一緒に行った方もベリーダンスを習っていますが、私はベリーダンスを観るのは初めて。

最初は圧倒されたけれど、楽しかった。それと、女性の身体をのびのびと見せることの、生命感というか肯定感がいいなあと思いました。ベリーダンスの「ベリー」は腰。腰で踊るダンス。女性らしい腰って、ある程度肉付きがあって、厚みがある。筋肉の上を、脂肪が覆っている。それを美しく見せる踊りなんだなあと。

アラビア料理は癖になりそう。

アカデミアにも蔓延する「フェイク」

架空の研究者を作り、360のジャーナルに対して、エディターになりたいむねをメールしてみたところ、48のジャーナルでエディターに、4のジャーナルでチーフエディターに採用された、という実験が、Natureに掲載された。

www.nature.com

科学研究は、専門的な知識の積み重ねがその基盤にある。知識の積み重ねをになってきたのは、専門家による査読を経た論文が掲載されるジャーナルだった。ところが、それが機能していないことが、明らかになったのだ。

スピードと競争が重視される今の時代、論文の投稿から査読を経てジャーナルに掲載されるまでの時間は足を引っ張る。そこで、査読を経ないでとりあえずアイデアを発表するとしてプレプリントを発表する場が増えている。

物理学や数学、情報科学分野では、プレプリント・サーバーのarXivにまず投稿するようになっている。

バイオ分野でも同様で、査読付きではあるがほとんど採択されるPLOS ONEなどは「トラッシュボックス」と呼ぶ研究者もいるという。

科学研究の専門性と信頼性を担保してきた、知識の積み重ねである論文が、信頼を失いつつあるのだ。

Post-truthの時代と言われる中、科学研究の分野でも「フェイク」が蔓延している。

研究不正は思った以上に蔓延している。

主に生物学の分野で研究不正を取材していた先輩が、ふとそう言った。研究のお作法は、学生や大学院生の頃に所属する研究室で先輩や先生から教えられるのが一般的だ。だから、それが「不正」だという認識がないままに、10年も20年も研究不正が引き継がれているという。

バイオの研究では、目に見えないものを様々な計測手法によって可視化するデータが研究結果の根拠になる。でも、そのデータは、時として恣意的に扱われる。例えば、特定の分子を検出するためには電気泳動が使われるが、その結果のデータをフォトショプでコントラストを強めて「データをきれいに見やすくする」ことは普通に行われる(私も学生時代やっていた)。

一方で、コントロールのデータの使い回しや、マテメソに書いていない別の細胞を使ってデータを出すといった、お作法として「アウト」の不正もある。

冒頭の先輩が言っていたのは、多くの研究者に話を聞くと、思った以上に後者寄りの人が多かった、ということだった。だが、当人たちには不正の意識は、おそらくない。研究不正事件としての告発も難しいだろう。

今の世の中で論文を読んで知識を増やすなんてやっていられない。それよりも信頼できる研究者と話すことで知識が得られる。

海外のあるエライ研究者がそう言っていたという。その分野のジャーナルは電子版を含めて無数にあり、論文を網羅するのは不可能に等しい。

地上を離れて人間は生きていけるか?「楽園追放」

2014年のアニメ映画「楽園追放」をAmazonPrimeで観ました。

ナノマシン暴走で地上文明崩壊後の西暦2400年、人類の98%は肉体を捨てて意識だけが電脳世界「ディーヴァ」で生きている。コンピュータのハードウェアは月と地球の中間の宇宙空間にあるが、計算リソースやメモリが限られ、ディーヴァに貢献できる人から優先的にリソースが割り当てられるため、常に競争にさらされている。

地球上からのハッキングを付けて、捜査官のアンジェラは地球上での活動のための生身の肉体であるマテリアルボディに意識を入れて、武器装備とともに、地球に降り立つ。そこで地球上で暮らす人間のディンゴとともに、ハッキングをしているフロンティアセッターを探す。

人を人たらしめているものは、何なのか。肉体は必要ないのか。コンピュータは意識を持つのか。といった最近のAIやコンピュータもののSFテーマに加えて、地球を離れて人間は生きていけるのか?という宇宙もののSFテーマの要素も入っています。

フルCGで美少女が主人公で戦闘シーンもあり、いいエンタメ作品。さらっと楽しめました。

異質をうけいれる「亜人ちゃんは語りたい」

今季のアニメ「亜人ちゃんは語りたい」は、他の人と違う、異質を普通に受け入れる。

demichan.com

 

高校教師をしている高橋先生の高校に、新入生3人、教師1人の亜人が来る。亜人とは、ヴァンパイアやデュラハンといった妖怪や怪物と言われる特殊な声質を持つ人たちのこと。かつては迫害を受けたこともあったが、人間として受け入れられ、社会的弱者であるため、亜人のための社会保障制度まで整っている。

これまで亜人に会ったことがなかった主人公の高橋先生に対して、ヴァンパイアのひかりは、おしゃべりでくったくない。政府から月1回支給される血液パックのほか、食事に気をつけたり冷暗所を好むなどして自分のヴァンパイアとしての性質とうまく付き合って生活している。世界に3人しかいないとされる、首と身体が分離しているデュラハンの町も、それまでに家族と試行錯誤しながらも、それなりに日常生活に馴染んでいる。

人間が社会的な動物であり、集団で生きる以上、異質さはときに、差別や偏見を生む。それは誰かの意志による意図的なものではなく、むしろ無意識の言動にあらわれる。

だから、いつも自分を振り返って考えないと、差別や偏見はだめだと思っている人こそが、異質さに対する迫害者であるということは、珍しいことではない。

でも、それを乗り越えて、異質なものを異質だととらえないで、そのまま受け入れられる社会がいいな、って思う。あの人ちょっと変、ちょっと違う。人間は、そういうちょっとした差異を見つけることが得意だ。でも、それをネガティブにとらえないで、それでいいじゃないかと、受け入れられる社会がいいな、って思う。

 

 

 

カルテット

不思議なドラマだった。話題になっているものはとりあえず追いかけます(職業病)。オンデマンドで追いかけつつ、初回以外はたぶん全部観ているはず。

www.tbs.co.jp

 

夢やぶれつつあるアラサー男女4人が、軽井沢の別荘で同居して再び夢のカルテットを組む。途中、サスペンスぽい謎解きもありつつのヒューマンドラマ。
 
先日取材に伺ったとある映画監督の方が、「人間はバーチャルな世界にしか生きていないんだよ」と仰っていた。
 
虚構と現実、人はそれらを分けたがるけれど、実際には不可分だし、仮に分けるとしたら、人間の自意識は虚構だ。人間は虚構の世界に生きている。
 
バーチャル=本質、という意味だから、バーチャルな世界に生きることが虚構の世界を生きることと同義ではないにせよ、物理的に実体のある世界が本質ではない、という点では、人間がバーチャル、虚構の世界に生きているというのは納得がいく。人は自らの認識が作り出した世界を生きているから。
 
フィクションは、虚構を虚構として描く虚構の世界だ。だがその虚構こそが人間の真実なのかもしれない。
 
カルテットはフィクションの虚構の世界だけれど、ドラマの世界そのものが、虚構であること、ファンタジーであることを感じられる虚構世界で、それを感じられたのが、不思議なドラマだなあ、いいドラマだなあと私は感じたのだと思う。
 
椎名林檎によるエンディングテーマ(時折冒頭で流れたことも会ったけれど)の映像は、着飾った4人がパフォーマンスをする架空の姿だったけれど、最終回は、バンに乗って移動中の4人が口ずさむ(松たか子さんと満島ひかりさんの表情が着飾った映像と同じだったことに鳥肌が立った)。それによって、ドラマの中での現実も、虚構にスライドしたように感じた。

なじみについて

本郷に寄ったついでに、東大博物館にふらりと入った。本郷で時間があると、よくここに来る。牛のはく製がいた。

牛は見慣れているし、そんなに珍しいものじゃない。でも、なじめないなあと、思った。相変わらず。自分と牛との境界面を、意識してしまうから。

私が在学中の獣医学部の裏には農場があって、牛舎もあった。見ようと思えば毎日牛をみれた。実習で触れる機会もあったし、病理で解剖することも少なくなかった。

でも、なじめないなあと思っていた。教科書で構造や機能を勉強しても、病気や治療について勉強しても、触れて手術をしたり解剖をしたりしても、なんとなく、境界線がどこまでもひかれているようで、なじめなかった。

そういうなじめない感じは、別に牛に限ったことではなく、毎日会っている人間でも同じことだ。

取材で人と会って話していても同様で、なじめないなあって。

取材の内容にもよるけれど、「その人」そのものを理解する必要がある取材では、まず自分を消し去って、自分の中をその人で満たそうとする。その人を再構成するのにそれに足りない部分を質問して埋めていくという感じ。

それでも、なじめないのだ。しっくりこない。共感できないというわけではない。そうじゃなくて、自分と相手の間の境界面を引いてしまい、それを意識してしまうということなのだと思う。他人は他人、自分は自分。その通りなのだけれど、そのなじめなさは、記者として大きな欠陥のような気が、ずっとしている。

でもときどき、なじめる人がいる。なじめるような気がするまでには何年も時間がかかるし、その間にたくさん話している。でも、多分、最初の瞬間からなじめるかなじめないかは、決まっているのかもしれない。話した内容、かけた時間ではなくて。

多様性とか、複雑さをそのまま受け入れること、消極的であること、思索的であることなのかなあ。なじめるって。

 

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●科学者と戦争の関連が興味深い

イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密 [DVD]
 

天才数学者、チューリングが対独戦争中に、ナチスドイツ軍の暗号解読に挑むストーリー。 

感想文書きました。

kaetn.hatenablog.com

 

●意思を持つAIのリアリティがない

 Googleを思わせる検索システム最大手企業トップのネイサンが作るAI搭載の女性型アンドロイドのチューリングテストのためにその広大な別荘に呼ばれたケイレブとアンドロイド(たち)のお話し。

 映像はきれいなんだけど。AIが意思を持つメカニズムの説明が腑に落ちない。ヴァーチャル・ガールはとてもよくできていて、メカニズムよくわからなくても、なんとなく腑に落ちてしまう描かれ方がしてある。

ヴァーチャル・ガール (ハヤカワ文庫SF)

ヴァーチャル・ガール (ハヤカワ文庫SF)

 

 

ディストピア感がもっと欲しかった

ガタカ (字幕版)

ガタカ (字幕版)

 

 デザイナーズベイビーが当たり前の近未来。遺伝子情報で社会的地位や職など全てが決まる。劣った遺伝子情報を持って生まれた主人公が宇宙飛行士になる夢のために、最高の遺伝子情報を持つ落ちぶれた水泳選手と共謀してなりすます。

世界観はディストピアなんだけど、結局それをハックするのは人間性みたいなあいまいなものなのだなあとお茶を濁されたような気分でした。

 

●世界観はディストピア

APPLESEED

APPLESEED

 

 

 

EXMACHINAは続編。

 

 ●なんど見ても名作

 何度見ても名作です。

スカヨハ主演の実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」の予習のために観ました。セリフもシーンも覚えてしまうくらい好き。

 ●ゲームと現実、虚構と現実の境界があいまいに

アヴァロン

アヴァロン

 

 虚構対現実っていう、シン・ゴジラのコピーは2016年の空気を表していたと思う。ゲームやVRで人はどう変わるのか?という話を少し前にしていたときにVR研究者の鳴海さんに「アヴァロン観ていないのはありえない」と言われたので観ました。

アヴァロンというゲームで戦士として最強をほこるアッシュ。ゲームの世界と現実がいつの間にかリンクしているのか、していないのか、虚構(ゲームの世界)と現実があやふやになっていく。

 

スカイ・クロラ (通常版) [Blu-ray]

スカイ・クロラ (通常版) [Blu-ray]

 

アヴァロンと同じく、 おかっぱ女性と犬が出てきます。

アヴァロンが虚構が現実になっていくような話なら、こちらは現実が虚構になっていく話なのだろうか。戦争請負会社のパイロットが主人公。でも、この世界では戦争は合法的に人を殺したり殺されたりする、世界の維持に不可欠な要素としてえがかれる。戦争請負は一つのビジネスで、パイロットはひとつの職業にすぎない。現実のはずの戦争が、あたかもゲーム(虚構)のように見えてくる。

虚構か現実か。個人的には去年のテーマだったんだけど、まだ引きずっているなあ。

 

本質的なもの

文化庁メディア芸術祭の受賞作品・受賞者の発表がありました。エンターテイメント部門には、鳴海さんたちのunlimited corridorとあぱぱさんのno salt restaurantも選ばれていて、審査委員の東泉さんがエンタメ部門の講評で、まずこの2つに触れて、

「テクノロジーの使い方がエンジニアリングの力技というより、それを使う人間の知覚をいじっている。心理的だったり、知覚のトリックでいじっている。これがすごくこれからの時代の流れになっていくんだろうと、本質的なものを感じた」

って仰ってたのが印象的でした。アートの人から見ても本質的って見えるんだーと。

目に見えるもの、そうだと信じていること、でもそれは実はそうじゃないかもしれない。そんなことは、深妙な面持ちをしたエライ学者さんたちがたくさん言ってきたしたくさん書いてきた。でも、鳴海さんたちがやってることは、そんな御託を並べるんじゃなくて、身を以て体験させてくれる。言語はいらない。っていうところがおもしろいなあと、ずっと見てきました。

ただ正直自分がおもしろいなーと思うことをほかの人も同様に思うのかどうか、よくわからない。でも、東泉さんの講評を聞いていて、他の人たちも同じように思うんだなーとわかって、嬉しかった。

現実だと自分が信じていることを疑う。知覚や心理をちょっといじるだけで。そして、そういう体験を提供する。そういうことを鳴海さんはずっとやってきていて、それってサイエンスと呼ぶのだと私は捉えていたんだけれど、同じものを他の人から見たらアートに見えるのだなあというのも興味深かった。

unlimited corridorは何度か記事を書かせてもらいまして、とても感慨深いです。

wired.jp

 ともかく、おめでとうございます!